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( ^ω^)ブーンと鋼鉄の城と樹木の民のようです:『序章』
- 3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 2007/05/30(水) 21:55:25.85 ID:xKyO+pog0
- 『序章』
1
鏡のように太陽の光を反射していた水面が揺れ、細波が立った。
風が静まると、湖面は穏やかに緑色の影が浮かび上がった。
湖の中心に聳える一本の巨木を映したのだ。
森の中は枝葉が鬱蒼と折り重なり、昼にも関わらず全体が仄暗いのだが、
その一帯だけはぽっかりと輪を描くようにして黄金よりも眩しい陽が降り注いでいた。
透き通るような空色の羽を持った小鳥がその枝で羽を休め、
鹿や兎、羆や栗鼠などの森の住人達は樹液の溶け込んだ湖水で喉を潤す。
生きとし生ける全ての者達へ恩恵を与えるその存在は、『精霊の木』と呼ばれた。
満月の夜にのみ生える銀色の葉を手にすれば願いが叶う。
遠い異国の書物の一節で、そんな風に語り継がれる程の神々しさを纏う魔法の木だ。
それは、樹齢数百年にも及ぶ老木で、辺を囲うどの樹木よりも壮大である。
不意に、樹木を覆う茂みの一角が、がさがさと音を立てて揺れた。
その奥では一つの影が動いている。
不穏な気配に気づいた動物達は、皆一斉に身体を強張らせた。
「怖がらなくても大丈夫だ」
- 4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 2007/05/30(水) 21:57:07.85 ID:xKyO+pog0
- 高い声と共に、気配の主はその場に現れた。
それは、所々が汚れ破けているぼろぼろの服を纏った一人の少女だった。
歳は十を超えた程だろうか。
同世代の子供たちよりも比較的背は高く、すらりとした体型だった。
みすぼらしい服装とは裏腹に、夜の闇よりも深い色を持った黒髪黒眼が美しく、
あどけなさと艶やかさを同居させた不思議な雰囲気を持っていた。
「こっちに、おいで」
彼女は湖の辺にまで近づくと、穏やかに微笑みながら声を掛ける。
対して動物達は彼女を睨んで動こうとはしない。
つかの間の沈黙が流れる。
「あっ」
突然、巨木の枝が跳ねた。
小鳥達は一斉に飛び立ち、動物達は散り散りに駆け出す。
無常にも彼らは彼女の横をすり抜けるようにして、逃げ出していく。
そして、いつの間にか一斉にその場から消え去ってしまっていた。
「……ふう」
彼女は呆然と背後のほうを見た。
残ったのは踏み倒された草々に、降り散らばった落葉だけだ。
誰も居ない空間に視線を投げかけたまま、彼女は溜息をついた。
- 5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 2007/05/30(水) 21:59:08.57 ID:xKyO+pog0
- ふと、頭頂に違和感を感じた。
そっと髪を撫でてみる。
彼女の細く、白い手が掴んだのは一枚の葉であった。
鳥が飛び立った際に零れ落ちた巨木の葉のうちの一片だ。
彼女は掌でそれを弄びながら『精霊の木』を見上げた。
頻繁にこの場所に訪れるが、何時見ても圧倒される。
やはり太古の昔から信仰されるだけのことがある。
それ程に、濃厚な存在だった。
「なあ、お前は私をどう思っているんだ?」
彼女は森の主に語りかけた。
だが、主は何も返さない。
枝と枝の隙間から吹き抜ける風の音と、葉同士が擦れる音が響くだけだ。
「……やはり、村の者や動物達のように、私を忌み嫌うのか?」
それでも、彼女は語りかける。
己の存在の所以を、神の化身に問いただす為だ。
生まれ持った、黒髪黒眼。
そして、民族として押された不能者の烙印。
決して望んだことではなく、生まれもって与えられたものだ。
変えようもない、抗うこともできない運命。
それらの理不尽さを己の肌に感じ続けていた。
- 6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 2007/05/30(水) 22:01:15.33 ID:xKyO+pog0
- 「おう、居たか。準備はいいだろうな」
背後から男の低い声がした。
草を掻き分けるざわめきが響く。
しかし、彼女はその音に振り返ることはなかった。
「ああ、何の未練はない」
背を向けたまま、彼女は男に応える。
そう言い切った後、視線を変えることもなく微動だにしなかった。
「やれやれ、やっぱお前どうかしてるぜ?
脱国なんてのはまだ子供のお前にすら死罪を言い渡されるほどの大罪だ。
本当に覚悟は出来ているのか?」
男は両腕を頭に組んで、呆れたように言った。
彼の纏う装甲が鈍い音を立てる。
鋼の鈍重な全身鎧を纏った男だった。
身の丈は二メートルに及ぶほどであろう。
武骨という言葉が相応しい様相だ。
左腰には鋼鉄の長剣、右腰にはリボルバー式の拳銃を引っ掛け、
背には金刺繍が入った緋色のマントを羽織っていた。
だが、その重厚さとは反対に彼の口調は軽いものである。
「今更何を言われても気持ちは変わらないさ。もう私には何も残っては居ない。
民としての扱いを受けず、あまつさえ――」
- 7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 2007/05/30(水) 22:03:02.00 ID:xKyO+pog0
- 「おい!!」
男は言葉を遮った。
それまでと違って、不快感を込めたような声だった。
口調の変化に彼女は驚き、はっと振り返ると、
そのまま不思議そうな表情で男の顔を凝視した。
「……ゴホン。悪い。まあ、所詮お前の過去は俺には関わりのない話さ。
お前が俺の国に協力さえしてくれればそれでいい」
対して男はばつが悪そうに彼女に向けていた視線を逸らし、
一つ咳払いをすると、念を押すようにそう言った。
「奥に馬が待っている。このまま俺の国に直行するぞ」
そして、彼女の返事を聞かずに踵を返し、直ぐに歩き出す。
男はそう言いきると、瞬く間に茂みの奥へと消えてしまった。
「…………」
彼女は、立ち止まったままであった。
再び、目の前の巨木を一瞥する。
巨木はただ穏やかに葉枝を揺らしていただけだ。
「もう、ここには帰らない。再び訪れるとすれば……此処を炎で埋め尽くした後だ」
彼女は誰に言うわけでもなく呟いた。
- 8 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 2007/05/30(水) 22:04:59.05 ID:xKyO+pog0
- 「これも、もう必要ない、か」
おもむろに彼女は左手首を掴む。
彼女の左腕には拙い木彫りのブレスレッドがあった。
五年前の誕生日に贈られたもので、
常に肌身離さず、心の拠り所としていた大切なものだった。
一瞬だけ、戸惑った。
が、強引にそれを腕から引き抜く。
細い手首からするりとブレスレッドは外れ、緑の絨毯に転がり落ちる。
「……さよなら。唯一味方だったのは君だけだ」
彼女は名残惜しそうに、腕輪を見つめる。
だが、それでも敢えて、捨てた。
このブレスレッドがある限り、民族としての負い目を背負ってしまうからだ。
「おい、どうした? さっさと来いよ」
男の声がした。
そこで彼女ははっと我を取り戻す。
そうだ、あの男に出会った夜からこの国との決別を、そして――
「ああ、今行く」
――樹木の民への復讐を決めたのだから。
彼女は駆け出した。
もう、迷いはない。
もう、この国に彼女の居場所は存在しない……
- 10 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 2007/05/30(水) 22:07:08.35 ID:xKyO+pog0
- 2
「……ハアッ!! ……ハアッ!!」
少女が、一人駆けていた。
金髪青眼の幼い少女だった。
一歩駆け出すたびに、腕に付けられたブレスレットが揺れる。
根や草ででこぼことした獣道のせいで何度も転びそうになる。
それでも、走ることを止めなかった。
胸の中を蠢き回る不穏を抑えきれなかったからだ。
樹木と蔦で遮られた緑のカーテンを潜り抜けていく。
早く、早く。
早く行かないと間に合わない。
「おねえちゃん……」
――数分後、息を切らしながら彼女はその場に立ち尽くす。
いや、動く事が出来なかったのだ。
間に合わなかった。
既に人影はなく、微かに誰かが居たという余韻が残るのみだ。
唯一、精霊の木の前にあったのは、彼女が黒髪の少女に贈ったブレスレッドだけだ。
彼女の視界は歪んだ。
次に溢れてくるのは大粒の涙。
大切な者を止める事が出来なかった悲しみ。
その視線は悲しげに、遠く、森の奥の方に向けられていた。
『序章』 終