1 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 20:44:49.18 ID:ePkIPzpb0 ?
 山間。2000mクラスの山々の間に、小さな施設が存在した。
もっとも、小さいのは地上部分で、施設の大半は地下に有るのだが。


(あれ?何で・・・僕は・・・こんな所に居るんだお?)
 暗く、狭い部屋の中。ある少年が目を覚ました。
常に笑っている様にも思える目が、小さく開く。

(大分長く、眠っていた、気が、するお?)
 事実、彼は幾週間も、『施設』の、この部屋に『保管』されていた。
だがその幾週間の間、彼が何をされたのか。

彼自身は何も知らない。


2 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 20:46:01.45 ID:ePkIPzpb0
(ツンに・・・会いたいお・・・・・・。)

 ツンに会いたい。
他より先に出た欲望。
 いや、それだけしか頭に無かったと言う方が良いだろうか。

少年は寝台から降りると、扉のような物から外へ出ようとした。


 しかし、少年は気が付いた。
(・・・・・・あれ、ツンって『何』だったお・・・?)と。

 今の少年に、『ツン』に会うことを達成できるとは、全く思えない。
なぜなら、あらゆる事を忘却の海に放り込んでしまったから。
『ツン』の顔、どんな人であったのか。
むしろ人なのかどうなのかすらも。

 彼は、その名詞以外の全くの記憶を奪われていたのだ。

3 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 20:46:32.59 ID:ePkIPzpb0
(・・・とりあえず、こんな狭い所からは、出たいお・・・。)

 少年は、この異質な空間に不安を感じていたのだ。

 二、三度、鈍い、大きな音が響き、分厚い金属製の
扉が飛ぶと、これもまた金属光沢を発する重厚な壁に当たって、
更に大きな音を出した。
 
 十数センチの超硬合金製の扉が破られた事で、肝を潰したのは
施設職員達だったが、扉を飛ばした当人は、肝を原始単位まで分解する
驚嘆ぶりで、暫し思考停止に追い込まれざるを得なかった。


4 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 20:46:55.79 ID:ePkIPzpb0
「あ、あ・・・?お・・・・・・?ちょっと叩いただけだ・・・・・・お?」
 少年の脳は、やっと言葉を発する事を了承した。
それは質問のイントネーションを含むが、誰も応える筈は無かった。
 戦車砲でも持って来い、といった威容で、『開かず』をアピールしている
様にすら見えた物が、間違い無く、現在は延長線上の壁と接吻しているのだ。

 一つの疑問から、枝分かれした多くのそれらに、人はどうしようも無くなる
ときがある。この瞬間の少年は正しくその事象に翻弄されていた。
――どうしてあれ程の扉を破れたのか。
――むしろ自か他の誰がしたのか。
――自分のした事であるならば、どうして出来てしまったのか。
――どうして出来るようになったのか。むしろ何時出来るようになったのか。
――昔はどうであったのか。

 昔、過去。
 其処にまで思考の及んだ瞬間、再びピタリと思考が止まる。
 理由は、簡単な事。
 彼に過去が無いだけだ。


 過去に思考を巡らせる時間は、結局少年に与えられる事は無かった。
何時の間にか部屋を出ていた彼に、銃弾の歓迎があったからである。

5 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 20:47:40.78 ID:ePkIPzpb0
////

 質の良い絨毯が敷かれている、広々とした部屋。
時々カタカタというタイピングの音と、電子機器独特のノイズが発せられる以外、
全くもって、静かだった。


 静謐の終焉は足音によって引き起こされた。
高級な家具に取り巻かれながら、室内を占有していた者が、
湯気の絶えて久しい紅茶を口に運ぼうとした瞬間のことである。

6 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 20:48:18.00 ID:ePkIPzpb0
「所長!モナー所長!たたた、大変です!地下で被験体Bが・・・」
 ドアが乱暴に開かれ、女性が入室した。酷く慌てて。

 なだれ込むと言うに相応しい、そんな様子を苦々しく見ていたのは、
本来の表情であったならば、笑い顔と言われるであろう部屋の主だった。

 彼――、モナー『所長』は、うんざりしつつ彼女の頭上のモニターを指差す。
そこには彼女の伝えた事象が既に大写しになっていたのだ。
彼の脱力が反映して、座っている豪奢な椅子も、僅かに軋む声を上げた。

「その情報、既出だ。まあ僕も驚いたよ。厚さ10センチも有る扉をよくも、さ・・・。
しかし渡辺、君が慌てる必要は無い。もう、手は打ってある。
僕としては、毎度モニターの存在を忘れる君に危機を感じてしまうよ。」

 モナーは、慌てる秘書にそうは言ってみたが、彼自身も、
顔の血流が僅かに滞るのに気付いていた。
決して表情に直結しないとしても。

7 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 20:49:23.44 ID:ePkIPzpb0
「・・・『VIPPER』って、自動小銃で処分できたっけ?」
 小さな声。指でトントンと、机を鳴らしながらの言葉で、
問いかけの意味を含んでいたが、渡辺にすら聞こえなかった。

『VIPPER』・・・? それは、先の少年の事を指すのだろうか?


8 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 20:50:45.18 ID:ePkIPzpb0
////

 通路では、一方的な銃撃が行われている。
十人の施設保安員が、隔離室から出た人間に向かって撃ち始めたのだ。

 普通のヒトならば、挽肉になっているだろう。

 銀色の通路の壁に、黒っぽい弾痕が集中して在る。
自動小銃の一点射撃だ。

9 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 20:52:15.43 ID:ePkIPzpb0
「全員、分かってるな?今使ってるマガジンの弾全部ブチ込んだら、
射撃を中止するんだ。で、生死確認。奴が死んでりゃそれでいい。
が、生きていれば・・・どうする?ギコ。お前なら?」
 銃火器の放つ、煙と匂いに包まれながら、醜男が問うた。

「・・・そりゃあ、撃ちますよ?でも新種の病気の患者でしょう?死んでますって。
あんなに弾を喰ったんですから。心配し過ぎですよ、ドクオ主任。」
 ギコと呼ばれた青年は、醜男の問いに答え、少しの付け足しをした。
 彼らは、『新種の病気』の患者が逃げた、とその時信じていた。

                                  ・ ・ ・ ・
「そうかもな。だがあんなに厳重な隔離をされたのが、只のヒトだと思うか?
・・・・・・ほら。」 
 ドクオは目配せをした。

 硝煙に人のシルエットが未だ映っている。

10 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 20:52:53.59 ID:ePkIPzpb0
「なんで・・・まだ生きているんだ?」
 後ろに控えていた他の職員が、異口同音に呟く。
ギコも、ドクオも、言いはしないが、口内にまで上った言葉だった。

 そして、次にそれを、今度は視界の中央に捉えようとした時である。

 フッ、と、その場から少年が消えたように見えた。



11 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 20:54:07.85 ID:ePkIPzpb0
////

 少年には分からなかった。何故、撃たれなければならないのか。
今まで考えていた事など、些細なものだったと思える。
 この切迫した生命の危機に較べれば、だが。


 スローモーに流れる時の中で、彼は頭の中身が全部ごっそりと
入れ替わる錯覚を覚えた。
 そこで一度、『少年』の記憶は途切れる。


12 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 20:54:58.82 ID:ePkIPzpb0
////

 ある醜男が意識を三途の向こうから引っ張り出してくる。

そして、自分の目が、光を感じない事実に気が付いた。
電気配線のショート音や、何者かの呻き声は聞こえれども、
ショートの火花も、何者かの怪我の様子も、視覚出来ないのだ。

(もう一度眠れ、とでも言いたいのかね。もし、神なり仏なりがいるんなら・・・)
 ドクオは、もう使う意味が無い瞼を閉じて、また眠りに落ちていった。


13 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 20:56:09.54 ID:ePkIPzpb0
 また、ある青年は、意識を取り戻すと、目の前に、首無しの男が
自分に寄り掛かっているのを見た。

 瞳孔が収縮する。
 気持ちの悪いベトベトとした汗が背中を伝う。

 そして、最後に遅れて・・・
「うわぁ、ぁあぁ!」
 彼は酷い狼狽ぶりを見せた。

 それを払い除けようと必死になって腕を振り回すも、
              ・ ・ ・ ・
肉塊に当たるのは、右腕だけだった。

14 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 20:56:47.02 ID:ePkIPzpb0
 右の腕で、やっと首無しを何処かへ押し倒した。
横になった切断面から、再び血が噴出する。
 そして男は、それを、押し退けた死体の下から発見する。
       ・ ・
 血塗れの左腕。

「クソ、何だってこんな・・・。」

 ギコ自身のそれか、彼は確認しなかった。いや、しなかったと言うよりは・・・。

16 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 20:57:49.51 ID:ePkIPzpb0
 数分を置いて、救護班が急行する。
 目を潰された醜男はイビキをかいて寝ていた。
 左腕を失った青年は、首を右に向けて昏倒していた。

 後日、地上へのエレベーターが、何者かに使用された事実が明らかになる。
それは施設保安員でも、救護班でもなく。


17 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 20:59:42.47 ID:ePkIPzpb0
////

 『VIP市』。標高2000m級の山々、ガイドライン山脈を北に臨む中堅都市。
人口は、合併によって、50万人に去年届いたばかりである。

合併による人口の増加は、街の面積の増大に直結している。
実際、この街の面積は、雑談県の中で二番目に広い。

 そのVIP市では昨今、奇妙な事件が多発している。



18 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 21:00:18.35 ID:ePkIPzpb0
「また、一家皆殺しですか?・・・うわ、酷いな。何度見ても慣れない。」
 現場の惨状に不快感を煽られたのは、しょぼくれた顔の警部補だった。
 しかし、吐き気を催さないだけ、まだマシといえる。

 首を刈られ、その胴体の上に無造作に置かれる者。
 首の肉数センチを残した首切りに遭う者。
 そして極めつけは、太いドリルのような物で首の肉を挽肉にされて絶命する者。

 どれも首に何かされて死んでいる。三人分の血液が、
狭くは無いその部屋の床を、朱に染めてしまいそうだった。


19 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 21:00:54.63 ID:ePkIPzpb0
「遅いな、ショボン警部補。お前はこのところ、私との二人行動、
という原則を忘れているな?あと、こんな事、慣れる必要は皆無だ。」
 不意に、先客が口を開いた。声は落ち着いている。
微妙に肩を怒れせているようにも見えた。
 黒い青色の髪を、肩まで伸ばした端整な顔が、ショボンに向けられる。

(怒らせちゃったかなぁ、ああ、もう、あの信号で捕まらなければ・・・。)
 ショボンの汗腺は、現在冷や汗を奮起して製造中。
彼の生白い顔に、更に薄い青が塗り重ねられる。

「はぁ、すみません。渋滞に捕まらなければ良かったんですが・・・。
ところで、クー警部は大丈夫なんですか?こんなの見て。」
 ショボンは大げさに言い訳をしつつ、そんな事を訊いてみた。
もしかしたら、平然としていられるコツが有ったりするかもしれない、と思ったから。

20 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 21:01:25.10 ID:ePkIPzpb0
「鑑識、被害者の首周りを良く調べるんだ。凶器の破片が付着
している可能性もある。ショボン、お前は聞き込みだ。」

「・・・無視ですかそうですか・・・。聞き込み行ってきます・・・。」
 肩を落としたショボンと入れ違いに、一人の警官が入室した。
そして、

「ウボエアァァアァ・・・」
 盛大な吐瀉を、その警官は披露して見せた。
まだ制服が、『着られてやっている』という新米だった。ご愁傷様。

(そうそう、僕はあんなのだった。ちょっと前まで。こんな連続殺人事件の
前までは・・・。その頃は警部も、そんなピリピリしてなかったし・・・。)
 そう思うとショボンは、涙が出そうになった。
この事件の前まで、クー警部は時々笑顔(と言っても微笑程度)を、
見せる事も有ったのだ。が、今は。彼の言う通りである。

21 : ◆0FbgyDIQ0. :2006/06/04(日) 21:02:38.83 ID:ePkIPzpb0
 『奇妙な事件』とは、このような連続一家殺害事件のことである。
室内には物色された形跡が存在する。よって強盗目的であるとされるが、
これらの事件が奇妙と言われる理由とは、一家全員が殺害されるだけでない。

 一つは、この事件を含めて、被害者は全員が首をやられていること。
方法は多岐に及ぶが、場所は一点に絞られる。

 もう一つは、抗った形跡が無い事。それは近しい者の犯行か、もしくは
余程の力の差が有った事を物語っている。


 が、最も大きい奇妙は、これ程の事件を、どのメディアも報道していない事だ。
テレビ、新聞、ラジオ、そしてインターネット上でさえも、話題に上る事が無い。

 その頃、季節は梅雨前、少し早いセミの音と、山々から吹き降ろす爽やかな風が
梅雨の季節の向こう側を、 何も知らない 市民に垣間見させていた。


 あの少年、『被験体B』の脱走から、一月余り。
 
 今、彼は、何処で、何を・・・?