716 名前:ましろの月 ◆4qHNPsXmKw :2006/03/15(水) 23:06:42.92 ID:2bT2p13G0
題『ましろの月』



時折、彼女は不思議な事を言った。

(*゚ー゚) 「水たまりって本当の空を映してると思う?」

数時間前まで降っていた雨が落として行った足跡。
その中の一つを見て、彼女は口を開いた。

梅雨に片足を踏み入れたばかりの今日は朝から雨で、ここのところ恒例行事のように飽きもせず降った。
残り火を振りまくように消えていくあの太陽も、前に見たのはこの時から三日も前だっただろうか。

雨の陰を運んでくる風が頬をくすぐっていく。


717 名前:ましろの月 ◆4qHNPsXmKw :2006/03/15(水) 23:07:13.54 ID:2bT2p13G0
 6/21 PM 6:18

ボクと彼女が出逢ってから数時間。
ボクが彼女について知っている事は少ない。

少し高めの声と、笑うと申し訳なさそうにえくぼが覗く事。
白いスカートがよく似合っている事と、
肩まで伸びた髪が、風に揺れるとサラサラと音をたてる事。

川沿いの遊歩道に佇むベンチに、ボクと並んで座っているという事。

名前すら知らないけれど、
ボクらが関わる上で、そんなものは必要じゃなかった。

彼女の隣にはボクがいて、ボクと彼女の間には45センチの空間。
ただそれだけの関係。


718 名前:ましろの月 ◆4qHNPsXmKw :2006/03/15(水) 23:07:33.53 ID:2bT2p13G0
(*゚ー゚) 「私たちが見ている空とここにある空は違う空かもしれないね」

( ^ω^) 「・・・・・・・・・」

彼女は足下の空を瞳に映しながら言う。
ボクに向かって言ってるのか、彼女自身に語りかけているのかは分からなかった。

ボクは彼女の声に答えるわけでもなく、ただ彼女が言うそれとは違う空を見上げていた。

また、彼女の髪が風と一緒になって踊った。


(*゚ー゚) 「水たまりって別の世界への入り口みたいだと思わない?」


719 名前:ましろの月 ◆4qHNPsXmKw :2006/03/15(水) 23:07:51.55 ID:2bT2p13G0
彼女はよく不思議な事を言った。

ただ、彼女はいつも言葉を投げかけるだけで、
ボクの言葉を求めた事は一度もなかった。

初めからボクの言葉を耳に入れる気がなかっただけかもしれない。
それともボクにではなく、自分自身に問いかけていただけだったのかもしれない。

でもそれらの言葉で、ボクはいつも彼女の世界に引き込まれていた。
羊水の中を力無く漂っているような安らぎを、彼女といる世界に感じていた。


720 名前:ましろの月 ◆4qHNPsXmKw :2006/03/15(水) 23:08:20.55 ID:2bT2p13G0
 9/3 AM 0:25

太陽は昼に死に、月は次第に夜を支配した。
闇はボクらを取り囲み、空は無数の星を生んだ。

この日の彼女も白いスカートが良く似合っていた。
月明かりに照らされて、まるで闇夜に舞う蝶のようでもあった。

乾いた風が川面を揺らしながらボクらの傍まで寄って来る。

(*゚ー゚) 「今日は月が二つ」

ボクは彼女の言葉に誘われて、視線を空に向けた。
輪郭を滲ませる事もなく、月はそこにいた。
視線を落とした先にも月はいて、風に遊ばれてゆらゆらと揺れていた。


721 名前:ましろの月 ◆4qHNPsXmKw :2006/03/15(水) 23:08:37.56 ID:2bT2p13G0
(*゚ー゚) 「あの月にもっと近づけたらいいのに」

彼女は空を見上げたまま言った。

( ^ω^) 「月は遠いぉ」

ボクは風に戯れている方の月を見ていた。
相変わらず、ゆらゆらと落ち着く様子もないままだった。
風は彼だけでは物足りないとでも言うように、
ボクらの髪や頬を撫でていった。

(*゚ー゚) 「触れられるほど近くにあればいいのに」

そう言って、彼女はボクと風を置き去りにして立ち上がると
落ち着きのない月に向かって歩き出した。
彼女は気にする様子も見せず、風に倣うように川面を揺らした。
彼女にお似合いのスカートも、涙を流しているように重々しい。


723 名前:ましろの月 ◆4qHNPsXmKw :2006/03/15(水) 23:08:56.23 ID:2bT2p13G0
そっと手を伸ばし、彼女は両手で水面の月をすくった。
彼女の手の中に、もう一人の月が現れる。

(*゚ー゚) 「つかまえた」

彼女は三つ目の月に、そう声をかけた。
だが、徐々に手の中の水は彼女の手を逃れて水面で跳ねる。
少しずつ戻っていく水は、彼女の手に抱かれていた月すらも連れ去っていった。

暫くそのまま、跡形もなく消えた月の影を見るように
彼女は自分の手のひらを見つめていた。
楽しげで、それでいてどこか淋しそうな表情をしながら、彼女は再びベンチに戻った。

(*゚ー゚) 「やっぱりあの子じゃないとダメね」

再び二つに戻った月の、独りぼっちの方を見上げながら、彼女は言った。


彼女の隣にはボクがいて、ボクと彼女の間には20センチの空間。


724 名前:ましろの月 ◆4qHNPsXmKw :2006/03/15(水) 23:09:14.56 ID:2bT2p13G0
 12/28 AM 4:41

静寂を破ってざくざくと音をたてながら歩くボクの足には、
白い絨毯となった雪が絡みつく。
ボクがいつものベンチにたどり着くと、また静寂がやって来た。

空から生まれては世界を白に染め、
あとは溶けて消えゆくのを待つだけの運命。

( ^ω^) 「お前達もいつか死んでしまうんだぉ・・」


725 名前:ましろの月 ◆4qHNPsXmKw :2006/03/15(水) 23:09:34.87 ID:2bT2p13G0
ボクの手の中には小さな紙切れが収まっている。
彼女から初めてもらった手紙だ。
もう擦り切れて、今にも形を失って崩れてしまいそうに見えた。

それでもボクは、まるでこの手紙をついさっき手にしたかのように
割れ物に触れるようにそっと、何度も何度も彼女の綴った文字に目を這わせた。

たった一行の、ボクの知っている彼女がそこにいた。


『月に、近づくの』


見上げても、月は見えなかった。
今は絶え間なく降る雪が、空を独占しているのだ。


726 名前:ましろの月 ◆4qHNPsXmKw :2006/03/15(水) 23:09:55.61 ID:2bT2p13G0
ボクが彼女について知っている事は少ない。

少し高めの声と、笑うと申し訳なさそうにえくぼが覗く事。
白いスカートがよく似合っていた事と、
肩まで伸びた髪が、風に揺れるとサラサラと音をたてる事。

川沿いの遊歩道に佇むベンチに、ボクと並んで座っていたという事。

そして梅雨の頃に僕と出会い、雪の降る夜に死んだという事。

名前すら聞けなかったけれど、
ボクにとって、そんなものは必要じゃなかった。


ボクの隣にはもう誰もいなくて、
ボクと彼女の間には、手を伸ばしても届かない程の、

月まで続く果てしない空間。



 完


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