49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/01/19(木) 20:01:27.35 ID:qz05COlKO
水族館に着くとそれまでと違って彼女は精一杯はしゃいでいた。
『彼女』は子供の様に嬉しそうな顔で青い水槽の中を華麗に泳ぐ魚を眺めていた。
「魚が好きなのかお?」
「うん。まあね。」
「生臭い所とかかお?」
「なんでよ。
魚を見てると羨ましくって。」
「羨ましい?」
「うん。あんな風に泳げたら楽しいだろうな、とか‥‥
あの魚にはどんな風景が見えるのかな、とかね。」
僕は巨大な水槽の中を悠然と泳ぐマグロに視線を向けた。
あのマグロはここが海ではないという事を知っているのだろうか。
「僕はこういう所に来ても関係ないことばっかり考えてしまうお。
あのマグロいくらぐらいで売れるんだろう、とか。そんな事ばっかりだお。」
51 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/01/19(木) 20:02:43.80 ID:qz05COlKO
「ふふ。アンタらしいわね」
僕は魚よりも微笑む『彼女』に見とれていた。
君こそ僕のことがどんな風に見えるのだろう‥‥。
彼女ははじっこの小さな薄暗い水槽の前で微笑みながら僕に手招きをしていた。
僕は彼女の横に立ち水槽をのぞき込む。
そこにはグロテスクな物体がのっそりと横たわっていた。
「ナマコ‥‥キモいお。」
「これ食べられるのよね。一応高級食材だし。」
「これを旅行のお土産にショボンに買っていったらきっと面白いことになるお。
凄いショボーンとした表情が目に浮かぶお。」
「ふふ、意外と何の躊躇もなく食べちゃうかもよ。
ポン酢でチュルッ、って。」
53 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/01/19(木) 20:03:26.33 ID:qz05COlKO
「ははは、バーボンハウスの新メニューに入るかもしれないお。」
「おつまみで?」
「いや、敢えてカクテルだお。ミキサーにかけて、こう‥‥」
僕はシェイカーを振る動作をしながら言った。
「あははは。嫌よ。そんなのお客が逃げ出しちゃうわよ。」
『彼女』は明るく笑った。
僕が『彼女』のこんなに楽しそうな顔を見るのは初めてだった。
水族館の中を歩いていくと巨大な水槽のトンネルの様な空間にでた。
頭上の水のアーチを、色とりどりの魚が文字通り飛ぶように泳いでいく。
54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/01/19(木) 20:04:41.55 ID:qz05COlKO
「きれい‥‥」
「だお‥‥。」
『彼女』は群れをなして大きな水槽の中を堂々と泳ぐ小さな魚達に目を向けた。
「ああいう魚ってさ、綺麗にみんなで泳いでるけど、リーダーみたいなのがいるのかな?」
「いや、そうじゃないらしいお。
取り敢えずついて行ってるだけで、誰かが気まぐれに道を逸れればみんなそっちについていってしまうらしいお」
「ふーん。素直なのね、きっと。」
「そうかお?」
55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/01/19(木) 20:05:11.26 ID:qz05COlKO
「うん、素直。
で素直じゃない奴に振り回されちゃうの。」
そう言った彼女は少し寂しそうに見えた。
僕は水槽の中の魚の群れに視線を戻した。
「好きだお。僕はそう言うの。
せっかくの広い場所だお。たまには自由に泳ぎたいはずだお。
きっと‥‥心の一番深い所は誰よりも綺麗で真っ直ぐなんだお」
「そうなのかな‥‥。」
彼女は僕を見て尋ねた。
僕の視線は水槽の中に向けたままだった
一匹の魚が横に逸れ、他の魚がみんなそれについていった。
「そうだお。きっと。」
「そっか‥‥」
彼女は小さく呟きまた水槽の中を眺めていた。
もう一度、そっか、と呟いた彼女は少し笑っていた。
56 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/01/19(木) 20:06:00.05 ID:qz05COlKO
帰りの電車、また僕らは無言だった。
乗客の少ない車両の中は静けさに包まれていた。
窓から射す夕日が電車の中をオレンジに染める。
レールの上を走る黄金色の光に満ちた鉄の箱は、まるで輝く水槽の中のようだった。
僕はそっと横に座った『彼女』の手を握った。
驚いて僕を見た『彼女』の顔も夕日に照らされ、とても綺麗だった。
「嫌かお?」
「ううん。‥‥このままでいて‥‥」
『彼女』は恥ずかしそうにうつむいた。
「ありがとうね。ブーン。」
彼女は小さな声で呟く。
「ううん。こっちこそありがとうだお。ツン。」
僕は目を合わせられないまま手をつないだ。
彼女の柔らかい、小さな手から温もりが伝わる。
僕らの街まであと五分。
もう少し、手は繋いだままで。
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