458 名前:( ^ω^)ブーンが氷鬼をするそうです :2006/03/14(火) 22:41:19.59 ID:Dcy7pPfN0
 ブーンとジョルジュは逃げ続けた。走って走って、頭がどうにかなりそうだった。
 突然、ブーンが後方で奇声を放った。情けない声だった。
「うわあッ!」
「ブーン!? 馬鹿ッ!」
 ジョルジュは大声で怒鳴った。やむを得なかったことではある。確かにこの雨では仕方がない。
 ブーンは水溜まりに足を滑らせ、思いっきり転倒してしまっていた。身体中に擦り傷ができ、膝からは血が滲んでいた。
 こうしている合間にも狂気の教師、荒巻は、あ、は、は、は、と不気味な笑い声を放ちながら追走し、迫ってくる。
 荒巻との相対距離はおよそ五十メートル。すぐに追いつかれる距離だ。
 癲狂な革靴の音が豪雨に沈む灰色の校舎に反響した。
 ジョルジュの全身に恐怖が電光の如くに走る。捕まるわけには、いかない。ショボンの為にも。
 ジョルジュは覚悟を決めた。これ以上、仲間を――。
「ブーンッ! 捕まれッ!」
 仲間を、失いたくない!
 ジョルジュは未だに転んだまま起きあがろうともしないブーンの腕を掴み、一目散に走り始めた。
 何故だ! 何故こいつは荒巻から逃げようとしない! 何故転んでおいて立ち上がろうとしない!
「う……うっ……」
「――ブーン?」
 ジョルジュはハッとして己が引っ張っているブーンの童顔を覗いた。
 泣いたって、状況は変わらないというのに。こいつは泣くことで自己主張をしている。弱い弱い、人間だ。
 だからこそ、俺が護らねば。
 そう言えば、前のもこんな事があった気がする。自分とブーンが余り仲が良くなかった頃の話。それをジョルジュは思い出した。

 ブーンの全てが、大嫌いだった。
 鈍い所作。愚鈍な思考。鈍くさい行動。間の抜けた声。ブーンの全てがジョルジュを苛立たせた。
 ブーンが隣の席になったとき、ジョルジュの怒りは爆発した。最悪の形態、“虐め”となって。


463 名前:( ^ω^)ブーンが氷鬼をするそうです :2006/03/14(火) 22:55:14.30 ID:Dcy7pPfN0
「なぁ、内藤。鉛筆かしてくれねぇ?」
「うん、いいお! ジョルジュ君、こんな僕だけど仲良くしてくれお!」
「……ああ、分かったよ」
 分かっていないのはお前だ、ブーン。お前は自分に降りかかる害毒すら払いのけられない植物。
 目の前に害虫が迫っているというのに、それが友好者たる仲間だと、お前は錯覚しているのだ。
 その馬鹿さ加減が内藤ホライゾンなのだ。ジョルジュはそう思った。
 自分なら演技であっても、こんなことは出来ないだろうし、したくもない。汚らわしい妄想だ。
 ブーンはニコニコと微笑みながら、ジョルジュの仕草を眺めていた。
「――なに見てんだよ」
「ご、ごめんだお」
「腹立った。許さない」
「え?」
 ブーンが恐怖と困惑の眼差しで凝視した事を覚えている。
 ジョルジュは手にした鉛筆を、内藤ホライゾン、と書かれた鉛筆を、ぼきり、と折った。
 ブーンの顔が青ざめて行く。ようやく気が付いたか、馬鹿め。凡愚め。愚者め。
「な、ジョルジュ君――」
 ブーンの全てに腹が立つ。初対面の相手をいきなり名前で呼ぶなんて、失礼千万だ。
 そもそもこいつに名前を呼ばれることすら汚らわしい。

 その後も、ジョルジュはことあるごとに、ブーンを傷付け、蔑み続けた。
 ある時は陰湿な言語による虐め。ある時は一方的な差別と搾取。
 侮蔑、憎悪、侮辱。負の感情全てを、ブーンに叩き付けた。
 なのに。なのにブーンは。
「あはは、ゴメンだおゴメンだお――。ジョルジュ君、怒らないで欲しいお。僕が悪かったお」


 何故こいつは、笑っていられるんだ。
 こうまでも平和そうに、ニコニコと――へらへらと。
 ジョルジュは無性に、腹が立った。だが何処かいつもとは違う、そんな苛立ちだった。


466 名前:( ^ω^)ブーンが氷鬼をするそうです :2006/03/14(火) 23:12:27.34 ID:Dcy7pPfN0
 そして翌日、ジョルジュは信じがたい現実に絶句した。
「ごめんだお――ごめんだお――げほッ、げほッ」
「あーあー、聞こえない聞こえない。ムシケラが何を言っても俺達には聞こえましぇーん」
 体育館裏。何となく、ブーンを虐める新たなネタを考えようとして、ジョルジュは体育館裏に赴いた。
 そこでジョルジュは、目撃した。苔生したコンクリートの上を這いずり廻るブーンの姿を。
 ブーンの綺麗な頭を踏み付ける、DQN達の姿を。
「痛い、痛いお――許してくれだお」
「ああ? 許してくれだぁ? テメエには卑屈さが足りねぇよ!」
「許して、下さい――」
 DQNは、にっこりと微笑んだ。ブーンを解放してやるつもりなのか。ジョルジュがそう思った次の瞬間。
「嫌だね」
 ブーンの絶叫と共に今までで一番強烈な蹴りが、ブーンの腹を直撃した。ブーンの身体が大きく撥ねた。
「死ね! 死ねよ! 卑屈さが足りないんだ、死ね! 死んでわびろ!」
 ジョルジュの心に、今まで抱いたことのない感情が湧き起こった。
 ブーンが、何をしたというのだ。DQN達があれほどまでの制裁を加えるほどの事をブーンはしたというのか。
 否、そのようなはずはない。ブーンはそのようなことが出来る人物ではない。
 つまりそれは、一つの結論を指し示す。

 DQN達の行動は、一方的な嫌悪感から来る、完全に一方的な虐め。
 つまりそれは――、自分がDQN達と一緒の事をしていると云うことで。
「違う!」
 ジョルジュは一人声を荒げていた。DQN達の兇悪な視線が一斉にジョルジュに突き刺さった。
 突然の闖入者の乱入に戸惑うDQN連中。そして何より一番戸惑っていたのは。

「ジョルジュ君――」
「悪かったな、内藤。たった今、この瞬間から俺は、お前の味方だぜ!」
 ジョルジュは一気に歩幅を詰め、DQN達のみぞおちを貫いていった。
 ジョルジュの耳は確かに捉えていた。DQN達のわめき声に混じった、ブーンの健気でか細い謝罪の声を。
「ブーン、お前は、俺が、絶対に、護ってやるからな!!!」
 ジョルジュは精一杯の大声で、そう叫んだ。夏の日差しの高い、二年前の夏。


471 名前:( ^ω^)ブーンが氷鬼をするそうです :2006/03/14(火) 23:32:16.24 ID:Dcy7pPfN0
 そうだ、現実。現実を直視しなくては成らない。
 だが今目の前で繰り広げられている現実は、とても信じられなかった。
「角を曲がるぞ! 内藤!」
「わかったお!」
 ジョルジュとブーンは急停止し、校舎の端を折れた。校舎の外郭に沿って逃げている形だ。
「教室に入るぞ!」
 急いで隠れなければ、荒巻に見つかる。見つかれば即、命はない。
 そもそも自分達が追われている理由すらジョルジュは理解していない。
 だが今自分達が置かれている状況が異常事態だという事だけは分かる。

 息を殺し、氷鬼の体制に入る。命の掛かった氷鬼だ。

「なあブーン。荒巻の野郎、どうしたんってんだよ」
 ブーンは返事をしない。ブーンは自分の云いたくないことになると、途端に緘黙してしまう。
 これがショボンなら得意の弁舌ではぐらかすだろうし、ドクオならドクオで聞き難いオーラを醸し出すのだろう。
「云いたくないんだったら、いいんだ」
「いや、云うお――」
 押して駄目なら、引く。ブーンは簡単に折れた。無邪気で真面目なブーンにこういう誘導を駆けることは躊躇われる。
 だが今は聞かなければならない。荒巻が狂った理由を。そして。
 ニダーのことも。

「ツンは、覚醒剤をヤってる」
「なッ!」
 あっさりと、ブーンは云った。思わずジョルジュは声を荒げた。ブーンの声は落ち着いている。いつもの口癖もなく、まるで事件のことを語る犯人のように飄然としていた。
 だがブーンがこの一連の狂気の仕掛け人であるはずがない。今の描写は間違いだろう。
「僕は、見たんだお。ツンが荒巻先生から白い粉をもらうところを。そして先生に、お金を払うところを――」
「う、嘘だろ。ツンとあの荒巻が――」 
 ぐるりぐるりと視界が歪む。漆黒の教室。整然と並べられた主無き座席。ニダーだけじゃなかった。ツンまでもが、ツンまでもが。狂っている。何もかもが。そして次の瞬間。

 ぐるりと歪む視界の片隅に、ジョルジュは荒巻の姿を見た。


480 名前:( ^ω^)ブーンが氷鬼をするそうです :2006/03/14(火) 23:58:46.84 ID:Dcy7pPfN0
「あ、荒巻先生!」
「ふふ、これは先生の勝ち――なのかな?」
 荒巻がガラリと教室のドアをスライドさせた。
「荒巻、テメェ! 何で隠してやがった!」
 荒巻が自嘲気味に笑う。ジョルジュにはその一挙手一投足が白地らしかった。
 こいつも、中毒者なのだ。自分の弱さに負け、薬に逃げた。最低の人間だ。
「ふふふ、長岡君。いずれは分かることだったのだ。それが少し速いか遅いか。その違いだけだよ」
 ポケットから煙草を取り出し、ゆっくりと噴かす。煙がゆっくりと天井に立ちこめていく。
「教師が、煙草を吸っていいのかよ――」
「なぁに、大目に見てくれたまえ。先生と君たち二人の間の秘密だ」
 糞ったれが。
 大人という人種はコレだから卑怯だ。あちらから勝手に秘密の共有を持ちかけてくる。こちらが子供だからと云って嘗めてかかる。
 ならこちらからも攻撃に出るまでだ。ニダーを惑わし、ツンまでも惑わした、この狂った初老の男を倒す為に。

「荒巻、あんた――覚醒剤って知ってるか?」
 小細工は荒巻には利かない。人生経験から何から何まで自分達は荒巻に負けている。ジョルジュは荒巻が嫌いだったが、その賢さは認めている。
「覚醒剤、通称ドラッグ。含有成分は――」
「そう言う意味じゃねえよ。ドラッグの恐ろしさぐらい。あんた、知ってんだろ?」
「知っている。知っているとも。ドラッグは憎まれるべき物だ。この世にあってはいけない物だ」
「なら、何で! 何であんたは!!」

 ジョルジュは腕を大きく振り上げた。目が充血している。ブーンは思わず両目を瞑った。
 静寂だけが、室内に残った。雨の音だけが聞こえる。誰の声も聞こえない。ブーンはそろそろと目を開けた。赤黒い肉塊が見えた。

 これが夢だったら良いのに。
 ブーンはそう願った。ジョルジュとの楽しい思い出が蘇る。楽しかった夏の日々。修学旅行での痴漢騒ぎ。いろいろと、馬鹿をやった。でも。
「うわああああッ!!l」
 ブーンは狂わんばかりに絶叫した。
 ジョルジュの骸を目の前にして。


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