3 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:21:56.27 ID:
/P8+hpvQ0 [3/63]
※
自分の部屋が近くなってから、
俺はスーパーマーケットへ寄ろうと思い立った。
シャンプーも切れていたし、
ネコにやるカリー印の缶詰と牛乳も買い足さなくてはならなかった。
俺のネコはいつも窓辺にいた。
雪の降る日に階段下の段ボール箱の中で震えているのをみつけ、
抱き上げて以来、いつも同じポーズで表を眺めていた。
時どき彼は置物に見えた。
猫の歓心を買うことが俺の歓心を買う手軽で安上がりな方法だと安易に錯覚した女たちは、
たいてい彼の歯をむきだすサービスを受ける。
4 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:22:40.14 ID:
/P8+hpvQ0 [4/63]
バイソンの墓場に立ち尽くすシャイアン族の最後の一人のようなネコ、
ガンジスの悠久の流れを眺めゆる死期を悟ったインド人のようなネコ、
俺がつきあったうちではもっとも長続きした女の一人がそう形容したことがある。
女はネコが好きだった。
ネコのほうは彼女がきらいだった。
彼女はそのことを深く悲しんだが、
俺にはどうしてやることもできなかった。
ネコは彼女が訪れると、
ゆっくりと身を起こし、
木をつたって下界へ降りていき、
彼女が帰るまでは姿を見せなかった。
5 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:23:22.71 ID:
/P8+hpvQ0 [5/63]
そうだ。
そろそろあいつに名前をつけてやらなければならない。
名前を呼べばくるという相手ではないが、
それでも心の中でつぶやく名前があるというのは、
誰にとっても安堵することだ。
大げさにいえば生きるために必要なのだ。
俺はポケットの中の小銭を探った。
深夜のスーパーには何人もの客の姿が素通しのガラスをとおして見えた。
6 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:24:21.98 ID:
/P8+hpvQ0 [6/63]
(´・_ゝ・`)
( ・3・)
タクシーが二台ほど店の前の路上に駐車し、
ドアを開け放ったまま二人の運転手が紙コップのコーヒーを飲んでいる。
彼らはその夜のジャイアンツの試合運びに対して冷静な論評を加えていた。
日本語のわからない男に、
彼らは禅について静かに議論しあっていて、
禅におけるファンダメンタリズムというものは存在し得るかどうかということが争点だ、
と説明したら簡単に納得するだろう。
そんな調子の、
夜よりほかに聞くものもない囁きあいだった。
7 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:25:00.74 ID:
/P8+hpvQ0 [7/63]
店の扉が開いて二人の若い男がでてきた。
( ゚д゚ )
( ^Д^)
両方とも、
チビの中学生が明日の身体検査に備えて、
少しでも身長を稼ごうとしたみたいに髪を極端にもりあげている。
にやけ顔が買物の入ったビニールの袋をぶらさげている。
8 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:25:34.52 ID:
/P8+hpvQ0 [8/63]
俺はポケットから小銭をとりだしてみた。
手のひらいっぱいに握れた。
処分しなくてはポケットにまた穴があく。
裁縫仕事に夜の時間をとられるのはつらい。
握った指の端に鍵の束もひっかかっていた。
閉じきれなかった指の股から一枚の百円玉が転がり落ち、
地面で乾いた音をたてた。
これもゲームセンターで千円札を百円玉にかえたせいだ。
いまいましい。
地震が起こったらまずゲームセンターを焼き打ちにしてやると考えながら、
俺は身をかがめて百円玉を追おうとした。
9 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:27:50.56 ID:
/P8+hpvQ0 [9/63]
空気が切り裂かれる音がした。
小気味よい音だった。
眼の端で、
なにかがその寸前にきらりと光ったように思えた。
はっきりと後頭部に小さな空気の衝撃を感じた。
一秒前で俺の頭はそこにあった。
まだあったなら、
今頃は空気の波ではなく、
十グラムの弾頭の衝撃を首筋で味わっていたはずだ。
10 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:28:44.92 ID:
/P8+hpvQ0 [10/63]
無防備な体勢のままふり返ると、
一台の車が気にさわるタイヤの摩擦音を高く響かせて、
通りの向かい側から急発進したのが見えた。
ありふれた形の乗用車であること以外は、
車の色も、
むろん照明を消したままのナンバーの見えなかった。
事件はたったそれだけだった。
しかし、
悪意の射手は路上に倒れた一人の男を残して去っていった。
俺でなかったことが残念だろう。
11 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:30:23.29 ID:
/P8+hpvQ0 [11/63]
ちょうど俺とすれ違いかけた二人の若者のうちの一人の頭部に、
赤黒い穴が開いていた。
顔の反対側、
射入孔とは全然つりあわない位置の下顎には、
もっと大きめの穴があき、
輪郭もあいまいに崩れた穴から血が滲むように流れ出していた。
それが射出孔だった。
( ゚д゚ )
その若い男は路上に寝転んだままわめきもしなかったし、
生涯はじめてで最後の経験についての感想を述べようともしなかった。
12 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:31:05.87 ID:
/P8+hpvQ0 [12/63]
俺は眼をチックの患者のように激しく開閉した。
そのたびに鼻孔が醜く歪んだと思う。
俺はかたわらにしゃがみこみながら、
見た目の傷のひどさにもかかわらず、
撃たれた男には生き残るチャンスが十分にありそうだと考えた。
多分、
あまりにも理想的な角度で頭蓋骨に対して弾頭が侵入してきたため、
比較的口径の小さな、
それでも頭蓋骨を貫通する力を持った弾頭だが、
頭皮と骨の間に滑り込み、
徐々に勢いを減殺されながら頭骨のぐるりを骨膜を裂きながら半周して再び顔面の軟部を突き破り、
下顎の骨にあたって飛び出してきたのではないだろうか。
ずっと以前、
今の商売をはじめる前に一度か二度、
こんな弾頭の気まぐれな傷を見たことがある。
14 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:32:46.60 ID:
/P8+hpvQ0 [13/63]
( ^Д^)
連れの男はビニール袋をぶらさげたまま硬直している。
北極の女王に愛されすぎた北欧の少年みたいだなと俺は一瞬思ったが、
すぐに考え直した。
彼女の趣味がこれほどひどいとは思えない。
哲学的な二人の運転手が近づいてきた。
彼らも紙コップを離さない。
一人は口に運びながらゆっくり歩いてくる。
彼はきわめて日常的な態度で非日常をうけいれようとしている。
15 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:33:17.71 ID:
/P8+hpvQ0 [14/63]
深夜スーパーの店員が近づいてきた。
|゚ノ ^∀^)「どうしたんですか」
運転手が答えた。
( ・3・)「よくわかんないな。倒れちゃったんだよな」
もう一人がいった。
(´・_ゝ・`)「そうなんだよね。倒れちゃったんだよね」
そして俺の耳元に口を近づけていった。
(´・_ゝ・`)「まさかドッキリカメラじゃないんだろ」
16 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:33:49.47 ID:
/P8+hpvQ0 [15/63]
※
( ^ω^)「わからないんですおね。ほんとに」
( ^ω^)「ひょいと見たらあの若いのが倒れている。
血が出ていて、体をピクピクさせてる。
ふり返ったら車が急発進して行った。
そういうことなんですおね」
( ´ー`)
刑事は頭の後ろで腕を組み、
椅子ごとうしろにそり返って俺を眺めていた。
細めた眼は冷酷だった。
絵描きがモデルをどう料理しようか、
白いカンバスを前につくる眼つきとそっくりだった。
17 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:34:31.57 ID:
/P8+hpvQ0 [16/63]
( ´ー`)「それだけかね」
( ^ω^)「そうですお。それだけですお。
誰か異常に鉄砲好きの野郎が、
マッチ箱を茶筒のうえから射ち落とすのに飽きた。
泥棒ネコを脅すだけでも満足できなくなった。
街へ出て、誰でもいいから射ってみた。
それがたまたま運の悪い若者に当たっちまった。
それだけじゃないですかお」
( ´ー`)「被害者は十七歳」
と中年の刑事はいった。
姿勢はまるで崩さなかった。
喋るたびに見せる汚れた歯が気にさわった。
18 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:35:14.57 ID:
/P8+hpvQ0 [17/63]
( ^ω^)「気の毒だと思いますお」
( ´ー`)「そこらのスナックのバーテンだった。
バーテンといっても氷を割るのに自分の歯を使うようなタイプだけどな」
( ^ω^)「店の名前を教えてくださいお。
そこへは近づかないようにしたいから」
( ´ー`)「当分あの顎は使いものにならんだろう。
だから心配することはないぜ」
( ^ω^)「それはよかった」
( ´ー`)「だけどな」
と刑事はいって、
椅子を正しい位置に戻し、
身を乗り出した。
19 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:36:08.84 ID:
/P8+hpvQ0 [18/63]
( ´ー`)「だけどまだねんねでさ、
人に恨まれるような一人前のことなんかできやしない」
息がにおった。
過重な深夜労働のせいだろうか。
それとも、
夜のにおいってやつはもともとこんなだったろうか。
( ´ー`)「狙われるようなタイプはあそこにはいなかったんだよな、ひとりも」
( ^ω^)「そうですかお」
( ´ー`)「おまえしかいないんだよな、狙われるとすりゃ」
俺もそう思った。
地下鉄の一件といい、
この大げさな狙撃といい、
偶然とは思えない。
しかし認めるわけにはいかなかった。
自分には心当たりがまるでなかった。
どちらにしても、
おそらくかなり長時間にわたって尾行し続けただろう、
相手の存在に気付きもしなかった自分を恥じなければならない。
20 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:37:23.28 ID:
/P8+hpvQ0 [19/63]
( ^ω^)「だからいったでしょ。
これはピストルマニアの仕事だって」
( ´ー`)「そうじゃないかも知れないぜ」
( ^ω^)「そうに決まってますお」
( ´ー`)「とにかく、いまどんな仕事してるのか教えてくれよ」
( ^ω^)「仕事? なんてことはない調査ですお」
( ´ー`)「だからそのなんてことはない調査の内容だとか依頼人を教えてくれよ」
( ^ω^)「ありふれた市民が依頼した、
いわゆる、ありふれた愛に関する調査ですお。
こんな殺伐とした手合いとはなんの関係もありませんお」
21 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:38:12.53 ID:
/P8+hpvQ0 [20/63]
( ´ー`)「ほう……」
刑事は鼻のさきで笑った。
( ´ー`)「ありふれた愛か。いいね。いいよ」
彼は両肘をデスクのうえに突き、
さらに身を乗り出して、
上眼づかいに俺の顔をのぞきこんだ。
なぁ、歯を磨いてきてくれよ。
それから俺の名前を呼んだ。
テレビ局でうろつく連中がそうするように「ちゃん」づけでだ。
俺はぞくっと身を震わせた。
歯槽膿漏の座敷イヌにペロリと顔を舐められた気分だった。
22 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:39:31.66 ID:
/P8+hpvQ0 [21/63]
( ´ー`)「その愛の物語について詳しく教えてくれないかな」
( ^ω^)「刑事さん」
と俺はいった。
穏やかでシャイな人柄を印象付けるべく努力して表情をつくった。
権力に弱い卑屈さをスパイスとしてふりかければ完璧なのだが。
( ^ω^)「刑事さん。勘弁してくださいお。
とにかく亭主の浮気なんてのは本筋に関係ないんですお。
俺はこう見えたって弱いものしか相手にしない。
暴力とゆで玉子はえらく苦手なんですお。
だいたいが離婚調査と行方不明のネコ捜しが専業のしがない、
良心的な部分もありますが、とにかく大したことの全然ない探偵なんですお」
23 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:40:34.94 ID:
/P8+hpvQ0 [22/63]
刑事は薄笑いを消さなかった。
この男なら誰かを射ち殺すときも薄笑いを絶やさないだろう。
雑然とした部屋の中をちらっと盗み見る。
( ^Д^)
不運な若い男の連れがぼんやりすわっている。
彼は片足のスニーカーを脱いで、
足指の先でもう片方の足のふくらはぎを黙々つまんでいる。
まだ友人の災難のショックから抜けきらずに、
逆に無感動な状態にあるらしい。
二人のタクシー運転手はもう帰されたのかも知れない。
間もなく夜が明ける。
24 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:41:11.42 ID:
/P8+hpvQ0 [23/63]
(#´ー`)「おい」
刑事がこぶしで机を叩いた。
( ´ー`)「かっこつけるんじゃないぞ、探偵」
( ^ω^)「は?」
激しい口調とは裏腹に、
彼の顔に貼りついた薄笑いはまったく形を変えていなかった。
音声さなければ理想的な中年だった。
いい忘れていた。
それに歯磨きの習慣さえつけば。
25 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:41:56.81 ID:
/P8+hpvQ0 [24/63]
( ´ー`)「お前だって、
細っこい裏道を下向いて歩いてるタマだろ?」
( ^ω^)「はぁ」
( ´ー`)「なんだったら徹底的に服の埃を叩き出してやってもいいんだぜ。
そういう態度を続けるつもりならな」
( ^ω^)「そんなつもりは毛頭ありませんお。
ただ、俺はピストルで狙われるような大物じゃないと」
( ´ー`)「こっちが調査してやろう。
心当たりの百や二百すぐに出てくるようになるさ。
なんだったら今度の一件だけじゃないぜ。
合計したら二百年くらい一人暮らしをするは破目になるかもな。
警察ってのは一度やると決めたらけっこうやるぜ」
刑事はにやにや笑った。
笑い返して場の雰囲気をなぎゃかにする勇気はなかったので眼をそらした。
26 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:42:52.85 ID:
/P8+hpvQ0 [25/63]
( ´ー`)「お前だって、
細っこい裏道を下向いて歩いてるタマだろ?」
( ^ω^)「はぁ」
( ´ー`)「なんだったら徹底的に服の埃を叩き出してやってもいいんだぜ。
そういう態度を続けるつもりならな」
( ^ω^)「そんなつもりは毛頭ありませんお。
ただ、俺はピストルで狙われるような大物じゃないと」
( ´ー`)「こっちが調査してやろう。
心当たりの百や二百すぐに出てくるようになるさ。
なんだったら今度の一件だけじゃないぜ。
合計したら二百年くらい一人暮らしをするは破目になるかもな。
警察ってのは一度やると決めたらけっこうやるぜ」
刑事はにやにや笑った。
笑い返して場の雰囲気を和やかにする勇気はなかったので眼をそらした。
27 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:44:05.21 ID:
/P8+hpvQ0 [26/63]
( ´_ゝ`)
背の高い男が刑事部屋に入ってくるのが見えた。
俺たちの姿をみとめるとまっすぐに近づいてきた。
( ´_ゝ`)「よぉ、探偵」
と俺に声をかけた。
( ^ω^)「やぁ」
と俺は答えた。
すこぶる情けない声だった。
自分で自分を嫌悪した。
28 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:45:08.25 ID:
/P8+hpvQ0 [27/63]
( ´_ゝ`)「今度は大事件だったな。
ピストルで狙われたんだって?」
( ^ω^)「別に俺が狙われたわじゃないですお。
自分には覚えがまるでないんだから」
( ´_ゝ`)「まぁそういうなって。
命を狙われるくらいの大物になって貰わなきゃ、
俺としてもさびしいぜ」
流石という刑事はそんなことをいいながら俺と刑事のいるデスクの脇に立ち、
ロングピースに火をつけた。
この男には時どき情報を貰う。
かわりに酒をおごる。
刑事には珍しく一杯以上は要求しなかった。
そのかわり大衆小説と歌謡曲に関する長いレクチャーにつきあわされる。
バーのとまり木で股間をかくことさえしなければ、
普通の勤め人でも通らないことはない。
29 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:48:06.75 ID:
/P8+hpvQ0 [28/63]
( ´_ゝ`)「白根さん」
と流石は、
老いたチェシャーキャットみたいな中年刑事に声をかけた。
( ´_ゝ`)「こいつはね、一時グレてましてね、
その頃からのつきあいなんですわ。
正義の心情もだしがたく探偵になった、
なんてほざいてますがね。
実は探偵になりゃ女にもてるじゃないかと小知恵を働かせただけらしい。
どうだ、おい」
と流石は俺の方の視線をとばして続けた。
30 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:50:02.68 ID:
/P8+hpvQ0 [29/63]
( ´_ゝ`)「当てはずれだろう。
深夜スーパーに通うようじゃ、
女ひでりと貧乏とはいまでも仲良しらしいじゃないか」
(;^ω^)「あいかわらずだなぁ、毒舌」
( ´_ゝ`)「お前のほうは変わった。デブになった。
とくに腹のまわりがふっくらしてきた」
( ^ω^)「酒場では羨望をサカナにして虚無を飲んでたからお、昔は」
流石は笑った。
喉だけを震わせる奇怪な笑い声だった。
( ´_ゝ`)「じゃなにかい、お前。
いまは愛と希望をたらふく詰め込みすぎて、
腹が突き出たっていいたいのかよ」
31 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:50:42.68 ID:
/P8+hpvQ0 [30/63]
※
俺は都村兎尊に会うことにした。
自宅近くへ行こうかというと、
兎尊は新宿で会いたいといった。
そして、
駅の改札口近くで待ち合わせしようと提案した。
32 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:52:28.31 ID:
/P8+hpvQ0 [31/63]
午後三時でもこの街には人があふれていた。
人波の中に流されていると気づかないが、
一歩身を引いて、
たとえばいま俺がそうしているように、
巨大で、
このうえもなく不恰好な灰皿の脇にたたずむと、
この魔都の醜悪さが目につく。
世界で最も堕落した街。
この二つの相反する条件が、
悪徳を炎のようではなく雨季のカビのようにはびこらせる。
人は仮面をつけ、
硫黄のにおいのする息を吐き出しながらどこえともなく急ぐ。
33 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:53:28.08 ID:
/P8+hpvQ0 [32/63]
引退したら、と俺は考えた。
この街で死ぬまい。
人が死ぬべき場所というものがある。
アメリカ人なら、プエルトリコだ。
コスタリカやバハマだ。
ヨーロッパ人ならカナリアと邪に悩まされるのはごめんだ。
街のおだやかなどよめき、
人々の営みのひそやかな音の反響する遠い昔を懐かしみながら、
自分の手で帽子をずりさげて顔をおおいたい。
34 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:54:39.46 ID:
/P8+hpvQ0 [33/63]
( ゚∋゚)
六フィートをはるかに越える白人が一人、
俺の前に立った。
俺は彼を見あげた。
鼻のしたに髭をたくわえているが、
どこかつきに恵まれない顔をしている。
( ゚∋゚)「あのー」
とかれは日本語でいった。
( ^ω^)「なんだお」
と俺は答えた。
35 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:55:51.81 ID:
/P8+hpvQ0 [34/63]
( ゚∋゚)「東京は高いですね」
( ^ω^)「物価のことかお?」
( ゚∋゚)「そう。高いね」
彼はジーンズの前ポケットに両手指をひっかけていた。
黄金と従順な女性の国へやってきたつもりが、
そこにはプラスチックの花が咲き、
進化したタヌキみたいな女しかいないことに気づいて大いに落胆しているのだろう。
どこからきたかは知らないが、
ここが世界の保守派の悪の牙城だということを忘れては困る。
36 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:57:04.49 ID:
/P8+hpvQ0 [35/63]
( ゚∋゚)「僕はお金がないですね」
と白人はいった。
( ^ω^)「そうか。残念だったお、そいつは。元気でやれお」
( ゚∋゚)「大森にサダコさんがいるです」
( ^ω^)「俺からもよろしくと伝えてくれお」
( ゚∋゚)「でも大森にいけないですね」
( ^ω^)「そうか。金がないのかお。すごく残念だお」
俺は周囲を見まわした。
早く兎尊が姿を現さないかと思った。
尾行者の気配はまるでかんじられない。
37 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 18:58:29.90 ID:
/P8+hpvQ0 [36/63]
( ゚∋゚)「サダコさんに電話したです。
そして、すぐ来なさいといったです。
そして僕はお金がないですね。
大久保から歩いてきたです。
大森は遠いでないですか」
じゃ帰れば?
といいかけてよした。
大きな体に似合わない不安を灰色の眼に宿した男に、
少しばかりの同情心を感じたのだ。
大久保あたりの外人宿に住んで、
夕食には焼いたサンマを酔客のおごりで食べているクラスとしては日本語の入り筋もいい。
頭は悪くないだろう。
俺はこの男を、
外人のホーボー族に優しいサダコおばさんのところへ行かせてやってもいいと思い始めた。
38 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:00:35.91 ID:
/P8+hpvQ0 [37/63]
( ^ω^)「わかったお」
といって、
俺はポケットから百円玉を何枚か掴み出した。
俺の命を弾丸から救ってくれたはずの一枚も混じっているはずだが、
そいつを額に入れて飾っておく趣味はなかったので、
まとめて彼の手に押しつけた。
( ^ω^)「やるからあっちへ行けお」
大男は微笑して腰を折った。
( ゚∋゚)「ありがとう」
( ^ω^)「いいんだお。
俺は日本人には珍しく親切なんだお」
39 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:01:58.77 ID:
/P8+hpvQ0 [38/63]
大男は一冊の本をとりだして俺に渡そうとした。
コンサイスくらいの大きさで、
表面は硬い厚紙だった。
( ^ω^)「なんだお」
ひらいてみると聖書だった。
( ゚∋゚)「あげます。ただで貰わないです」
( ^ω^)「いらないお。だいいち俺はゾロアスター教徒だお」
( ゚∋゚)「いいから、いいから」
とやつはいった。
( ゚∋゚)「僕もあまり読まないですね。
でも、なんですか、ピンチのとき助かります、時々。
いい本です、時々。気は心です」
( ^ω^)「けっ」
もうそのときには白人はさっさと身を翻して、
自動券売機のある方へ歩み去っていった。
41 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:03:17.79 ID:
/P8+hpvQ0 [39/63]
俺は本をかたわらのゴミ箱に投げ捨てようと思ったが、
なぜか気が咎めた。
なにしろいちおうは聖書だからな。
あとで電車の網棚にでも置き去りにしよう。
(゚、゚トソン
兎尊の姿が見え、
俺は聖書を上着の内ポケットに急いでしまいこんだ。
42 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:03:54.94 ID:
/P8+hpvQ0 [40/63]
※
西口の地下の店に入ると空気がひやっとした。
俺たちはバーテンダーの定位置からいちばん遠い席を選んだ
コーヒーにしますかと尋ねると、
兎尊はカシスを注文した。
午後のカシスとはなかなか渋い選択だと俺は思った。
とりわけこんな店では。
43 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:05:04.44 ID:
/P8+hpvQ0 [41/63]
(´・ω・`)
コーヒーアンドワインという、
文化財保護委員会から記念品を貰えそうな、
古めかしい看板を出し続けているこの店のバーテンダー兼オーナーは、
俺の古いなじみだった。
やはりまともに就職できない同類で、
やつも俺も一時は「第四次産業」に足を踏み入れていたことがある。
もともとも瓶の中で帆船を組み立てるのが女よりも好き、
といったタイプだったから第四次産業の産業戦士としては大成する見込みがなかった。
俺の方は向上心がありすぎた。
「思想の科学や」や「サウスチャイナ・モーニングポスト」を読んでいても大成できない。
やつはバーテンダー学校に入り、
俺は「週刊平凡」の広告で探偵学校に入った。
44 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:05:59.12 ID:
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数年後、
どしゃ降りの雨の日に雨宿りにこの店の階段を駆けおりると、
バーテンダーが客のいないカビ臭い店の隅でアポリネールの「カリグラム」読んでいた。
やつは俺を見るとワニみたいな口をあけてガハハと笑い、
マティーニをつくってくれた。
うんとドライにしてくれといったら、
生のジンをグラスに注ぎ、
栓を抜いたベルモットを隣にどんと置いた。
においを嗅ぎながら飲めといって、
またガハハと笑った。
そんな話を俺は兎尊にしてやった。
きょうは襟元のとじたミズガラシ色の服を着ていて、
俺は少しだけそのことが残念だった。
45 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:06:53.72 ID:
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( ^ω^)「ご主人は」
と口調を改めて俺はいった。
すでに三十分以上の時間が店に入ってから過ぎていて、
二人とも三杯目を注文したところだった。
( ^ω^)「ご主人は、あなたを裏切ったりはしていませんお。
調査の結果そういうふうなことになりましたお」
兎尊は俺を見ていた。
なにをいいたいのかわからなかった。
( ^ω^)「働きものですお、ご主人は。
遅くまで残業が多いし、ときには技術者のセミナーにも顔を出すし。
報告書はこの袋の中に入っていますお。ついでですが調査費の請求書も」
テーブルのうえに滑らせた封筒に、
兎尊は手を触れようとはしなかった。
かわりにハンドバッグからセイラムの袋を取り出し、
一本の煙草を抜いて火をつけた。
深く吸って、吐きだした。
46 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:07:54.45 ID:
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( ^ω^)「大変多忙な生活だと思いますお。
よくは知りませんが、
あのくらいの年齢がいちばんたいへんなんじゃないでしょうかお。
確かに若かった頃の快活な印象はだいぶ薄れているようですが、
仕方のないことかも知れませんお。察してあげくださいお」
-v(゚、゚トソン「あなた、それはなんですの?」
俺は気をそがれて、言葉を呑み込んだ。
-v(゚、゚トソン「いい加減な調査をするということ?
それとも私にたいする同情?」
( ^ω^)「どういうことですお。彼はあなたを裏切っていないお。つまり浮気もしていない。
少なくとも私が注意を払っていた期間にはそういうことはなかったお。
気配も感じさせなかった。今後、仮にあり得るとしても彼のようなタイプは、
男にありがちな多少飲みすぎて夜だけのできごとにして、
決してあとをひかない。私はそう思うお」
47 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:08:46.85 ID:
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兎尊は俺の眼の奥をのぞきこんだ。
研究者が細胞分裂を観察しているときの眼だ。
俺は網膜がむずがゆくなって視線をそらせた。
-v(゚、゚トソン「都村に女がいることは知っています」
と彼女はいって、煙草を灰皿でにじり消した。
俺は溜息をついた。
多分、調査費は取りはぐれることになるだろう。
48 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:11:06.55 ID:
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彼女は続けた。
(゚、゚トソン「名前は知りませんが、顔は知っています」
俺は酒を飲みほした。
彼女の顔に正対する気分ではなかった。
バーテンダーに声をかけてもらいたかった。
しかし彼はカウンターの端で身じろぎもせずうつむいて立っていた。
やつはまだアポリネールにいかれているのだろうか。
悪い癖だ。
治さないと老後を幸福には送れない。
49 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:12:10.82 ID:
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(゚、゚トソン「あなたにお渡しした写真。
あれ、半分に切れていたでしょう」
( ^ω^)「ええ」
俺はつぶやくように肯定した。
(゚、゚トソン「切ったほうに女の人が写っていました。
主人のデスクの引き出しに入っていたんですが、
いまでは、あの人が私に見つけるように仕向けたんじゃないかと思えて」
( ^ω^)「過去の人じゃありませんかお?
あるいはたんに会社の部下であるとか」
(゚、゚トソン「違います」
彼女は断言した。
(゚、゚トソン「主人はこの何年も私の体に触れません。
遅くなるときはかならずお風呂に入ってきます。
隠そうともしません、そのことを」
( ^ω^)「そうですかお」
50 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:13:15.97 ID:
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ねえ、と彼女はいい、俺の名前を呼んだ。
(゚、゚トソン「あなたのお気持ちはとても嬉しいんです。
知らないで済むことなら、そのほうがいい。
どうなったところで、私には離婚する気持ちが全然ない以上ね。
確かに氷は冷たいですけど、
一度凍ってしまえばいくら冷えてもそれよりは冷たくなりようがないですしね」
( ^ω^)「それはそうですお」
(゚、゚トソン「ただ」
といって兎尊は言葉を切った。
俺はその先が聞きたくなった。
聞いてもどうしようもないことは分かっていたし、
生活費の足しにはならないことも知っていたが、
誘惑をおさえ切れなかった。
51 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:14:09.62 ID:
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( ^ω^)「ただ、なんですかお」
(゚、゚トソン「相手の人に子供がいるのかどうか知りたかった。
住んでいる場所も見当はついています。
でも、自分で確かめに行く勇気はなくて、とても」
( ^ω^)「それで私を傭ったと」
(゚、゚トソン「ええ。
子供ができない体になったとわかるまでは凄く優しかったんです。
病院でそのことを知らされると、彼は蒼ざめました。
それから長いこと低い声で笑っていました。
笑いながら涙をいっぱいに浮かべて。
思い出すと辛いんですよ、いまでも」
出ましょう、と兎尊がいった。
俺は慌てて立ちあがった。
どこへ、とは尋ねなかった。
尋ねさせない気迫が彼女の言葉の中に潜んでいた。
52 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:16:20.31 ID:
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※
俺はベッドに腰かけて自分の腹の肉をつまんでみた。
フレンチトースト二枚分はどの厚みが手のひらに残った。
俺はそれをもみしだいた。
愛と希望を腹に詰め込んだ結果がこれだとしたら皮肉だ。
兎尊はあおむけにベッドに横たわっていた。
シーツを巻きつけず、
少しずつ肉がつきはじめてルーベンスの裸婦を追いかけつつある下腹と、
小さくまとまった陰毛とを隠そうとはしなかった。
53 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:17:51.20 ID:
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(゚、゚トソン「こう思ったんでしょ、あなた」
と兎尊は同じ姿勢のままでいった。
(゚、゚トソン「離婚しても、一人でやっていけそうにな女だ。
だからそっとしておくべきだ」
俺は黙っていた。
立ちあがって冷蔵庫に近づき、扉をあけ、
ビールを一本取り出して栓を抜いた。
瓶から直接、口の中に苦い液体を流し込んだ。
冷えすぎていて、うまいとは思えなかった。
兎尊の人生のような味かも知れない。
54 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:18:40.63 ID:
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俺は兎尊に、なにか飲むかと尋ねた。
彼女は、なにも、と答え、それじゃシャワーを浴びたら、
という提案には無言だった。
あれから酒場を出て、
兎尊と俺は新宿の雑踏を歩いた。
長い間、黙って歩いた。
彼女は確信を抱いたものだけが見せる歩調でまっすぐ歩き、
俺は飼主の気持ちを忖度しかねているイヌみたいに彼女についていった。
55 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:20:01.08 ID:
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それから俺にこういった。
いっしょに寝てくださる?
瞳が、割ったばかりの石炭のように、
輝きを帯びていた。
街のざわめきが一瞬だけ消え去ったように思えた。
俺は頷いた。
俺たちはさらに歩き、
夕暮れの小路を通り抜け、
一軒のラブホテルに入った。
シャワーも浴びずに抱きあった。
俺は彼女の胸を押しあけ、
乳房のにおいを嗅いだ。
そのときはじめて彼女のつけている香水の名前を思い出した。
56 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:23:25.92 ID:
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あなたとはこんなことをしてみたかったのよ、
と兎尊は喘ぎながらいった。
フィルム保管室で偶然みたいにあなたにキスされてから、
時々思い出していたわ。ずっとよ。ずっと。
俺も告白した。
再会したときに淫らな思いを持ったことを。
ただし、
仕事の依頼の電話を貰うまでは、
こんなことを一度も思いだしたことはなかったということは黙っていた。
なぜあなたを家に呼んだかわかっちょうだい、
と彼女は俺の体のしたで囁いた。
57 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:25:30.71 ID:
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なぜだと尋ねた。
ひょっとしたらこんなことをしてくれるかも知れないと思ったの。
午前中というのは女がいちばんいやらしくなるときなのよ。
彼女は俺に背中を向けたがった。
そして尻を高く掲げ、興奮が昂まると、
お尻をつねって、もっと強くつねって、と絶叫した。
俺は彼女の過酷な要求を十分に満たそうと努力した。
一リットルの汗と虚脱感がその労働の報酬だった。
58 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:27:52.31 ID:
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フィルム保管室の事件を思い出した。
もっとも、
いまの行ないそのものが六フィートの波の立つ海だとしたら、
油を流した海の、それも岸辺のできごとにすぎなかったが。
それは、俺の眼から見ればこんなふうだった。
フィルムを棚に並べて、
人の気配にふり返ると兎尊がドアをうしろ手に閉じてたたずんでいた。
俺は多分、
あいまいな微笑を浮かべて意味のないことを彼女にいった。
彼女はそのコマーシャルフィルム制作会社のディレクターのアシスタントで、
俺は昼間はそこでアルバイトし、夜は学校に通う、
ひねて老けた苦学生だった。
身分が違う、
というきわめて古典的なエクスキューズが俺の脳裡をかすめ飛んだ。
59 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:29:39.25 ID:
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しかし、彼女はつかつかと俺に近づき、
土俵際で駄目を押す力士みたいな仕草で俺を湿った壁に押しつけた。
自分の片手を壁についた。
お蔭でさらにぴったりと壁に押しつけられる恰好になった。
俺は牛にアリーナの側壁までおいつめられた闘牛士の心がわかる気がした。
それから彼女は唇を近づけた。
俺は眼を閉じようかどうしようか迷った。
考えたあげく眼をひらいたままにしておくことにした。
60 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:30:48.38 ID:
/P8+hpvQ0 [58/63]
ふりかかる火の粉を避けることはないが、
一生屈辱感にさいなまれるような態度は、
精神の底にこびりついた自尊心の残骸にかけてとりたくはなかった。
だが行動がともなわなかった。
彼女はもう一方の手も壁についた。
つまり、
俺は彼女に犯されるようにしてキスされたのだ。
自慢できない過去には違いない。
彼女は自分のしたことを終えると、
ひとこともなしに扉から出ていった。
その後姿は、
命を賭けて国境を越える亡命者のそれのように他人の入り込む隙がなかった。
結局、それきりだった。
間もなく彼女は結婚するために会社を辞め、
俺はそのこととは無関係に、もっと割のいいアルバイト先へ移った。
61 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:32:12.49 ID:
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(゚、゚トソン「あなたに会ってみたかったの」
と兎尊はいった。
横たわり、手枕をしていた。
乳房が自重に耐えかねて歪んでいた。
(゚、゚トソン「あなたに会って」
と彼女は続けた。
(゚、゚トソン「自分がいまどんな場所にいるのか知りたかった。
あなたと寝てみれば」
彼女はそこで言葉を切った。
俺は待った。
(゚、゚トソン「あなたと寝てみれば、
自分がどれくらい変わったか、
これからどうすればいいか、
そんなことがわかるんじゃないかと思ったわけ」
62 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:34:18.65 ID:
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( ^ω^)「彼は昔の彼ならず、ということもあるお」
(゚、゚トソン「そうね。そういうこともある。
でも、あなたはかわってなかった」
( ^ω^)「そうかお」
(゚、゚トソン「そうよ。昔から同じにおいがした」
( ^ω^)「そうかお」
(゚、゚トソン「かわったのは体つきだけ。
お腹が前よりずっと出ているってことだけ」
なんと答えていいのかわからなかった。
多少の修辞学を使ってもらわなければ答えにくい。
真実に近づきすぎるのはときに罪だ。
63 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:34:56.86 ID:
/P8+hpvQ0 [61/63]
( ^ω^)「それで、君はなにかわかった?
なにか決断した?」
彼女はシーツをすっぽりかぶった。
そして、いった。
(゚、゚トソン「なんにも」
彼女はシーツのしたで身を丸くした。
64 名前:
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/09/20(月) 19:36:09.28 ID:
/P8+hpvQ0 [62/63]
(゚、゚トソン「ほんとうに、なんにも。
わかったのは、私がこういう行為に飢えていたということだけ。
たったそれだけ」
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