January 28, 2011
(´・ω・`)朝焼けディミヌエンドのようです 第二幕
どんなに歌いこんでも、どんなにのどを拡げても、声変わりは止まらなかった。
ゆるやかに、しかし確実に、音域は低くなっていた。
文化祭まで持つのかどうか、ショボンにはわからなかった。
ともすれば肥大化する不安に押し潰されかねない状況だった。
だが、ショボンは平生と変わらぬ毎日を過ごせていた。
(´・ω・`)「ただいま」
返事はない。しかし、聴いている者がいる。
(´・ω・`)「今日は、こんなことがあったよ」
といっても、態々報告する必要などない。
見たことも聴いたことも、すべて共有しているのだから。
気分の問題だった。そして、なによりそれが重要だった。
朝焼けのアラマキくん。携帯でそう名乗った、謎の人物。始めのうちは、
ショボンも警戒していた。助けてくれたことは事実だとしても、理由がわからない。
どういう腹積もりなのか判明するまでは、心解くことなどできないと思っていた。
直接訊いてみても、アラマキくんは答えなかった。
他の話題を引っ張り出して、答えたい質問、
話したい内容についてのみ文章を残しているようだった。
アラマキくんとの会話は、一日一回携帯を通じたやりとりのみとなっていた。
正確には一日一回発信するのはアラマキくんの方だけで、
ショボンのしゃべったことはすべて筒抜けになっている。
そして、質問するのはいつもショボンの方だった。
そのため、会話の取捨選択を主導するのは、
どうしてもアラマキくんの側になってしまう。
目的を探ろうと重ねた質問は、すべて簡単に回避されてしまった。
アラマキくんのことは、ほとんど何もわからずじまいだった。
しかし一緒に生活しているうちに、それらの謎は気にならなくなった。
モララーとの一件以来、寝不足で悩まされることはなくなった。
家の中を歩き回っている様子はあったが、外にまでは出かけていない。
深夜徘徊をしていたのは、本当にショボンのためであったらしい。
考えてみれば、体を共有しているのだから、眠気も当然共有しているはずだった。
睡魔に襲われながらも、ショボンを助けるために、夜通し動き回っていたのだ。
静まり返った夜の町で、眠気を堪えるのは至難の業だったろう。
またアラマキくんは、発声に関するアドバイスもよこしてくれた。
体の内部と声帯を一本のホースに見立てて使う方法などは、
試してみるとたしかに声が張りやすくなった。
小手先の技から根本的でいて重要な技術まで、アラマキくんはよく知っていた。
次から次へと教えてくれるので、実践するのが追いつかないほどだった。
『表現が上達する秘訣を教えてあげるよ!』
アラマキくんは好んで表現という言葉を使った。
変だとは思わない。むしろ的確だと感じた。
アラマキくんのいうことは、すべて表現するという一点に集約されているように思えた。
『それはね――』
無駄な改行スペースはお茶目心。それくらいぼくにだってわかります。
『自分をすきになることさ』
うぬぼれだって構わない。すきだから表現できる。
すきだから、もっと知りたくなる。
携帯にはそう書かれていた。飲み込めた、とは言い難かった。
ただ、昔のことを少し思い出した。携帯に表示される文章は、無機質な電子文字だ。
それなのに、読んでいるとアラマキくんという人となりが伝わってきた。
もう、疑うことはなかった。
家に帰るのがたのしみになった。
その日起こったことを、ちょっとだけ脚色して話すのが習慣化していた。
ひとしきり話し終えてから自主練習を開始するが、身は入らなかった。
九時を回るのが待ち遠しくて仕方なかった。
不気味だった赤い印象も、入れ替わりの合図だと思うと好ましくなった。
そう思って積極的に感じてみると、この赤はけして攻撃的な色では
ないことがわかった。まるで心臓の鼓動のように、生命を感じさせる感触をしていた。
アラマキくんとの共棲生活は、ショボンの生活に今までなかった刺激を与えた。
ただし、困ったこともあった。
(;´・ω・`)「解いたはずの宿題の答が消されてる!」
頭を悩ませ苦労して解いた証明問題が、きれいに消されていた。
ぎりぎり提出直前に解き直すことができたが、あやうく恥をかくところだった。
(;´・ω・`)「徳福屋のふんわりティラミスがなくなってる!」
部活の帰りにデレと徳福屋に寄った、その翌日にはもうなくなっていた。
三個買って、三個残らず食べられてしまった。
アラマキくんはとにかく、いたずらがすきで、食い意地が張っていた。
細かな被害を上げればきりがなかった。被害を受けないよう隠そうとしても、
ショボンの行動は筒抜けになっている。抑止することは不可能だった。
ショボンも当然、不満を漏らした。抗議した。咎めだてた。しかし――。
『おもしろそうだったんだもん♪』
あるいは、
『おいしそうだったんだもん♪』
と開き直るばかりだった。謝るということを知らないに違いなかった。
このように、アラマキくんとの生活は大変なことも多かった。
けれど、けしていなくなってほしいとは思わなかった。
録画した『相克のハルカタ』を観終えてから、携帯に書かれた考察を読んだ。
相変わらず、アラマキくんは『相克のハルカタ』の考察を続けていた。
漫然と見ているだけでは気づかなかった描写、多角的な視点からの観察は、
理解を深めると共に、それ単体でもおもしろい読み物になっていた。
特にジョルジュ周辺に関する考察には、目を見張るものがあった。
どのように考えて演じているか、役者側の観点に至るまで列挙されていた。
その入れ込みように、アラマキくんもジョルジュのファンなのかなとショボンは思った。
『まさか。大嫌いだよ』
ショボンが尋ねると、アラマキくんは簡素な言葉で否定した。
少しだけ残念だった。
('ー`*川「よし、それじゃ休憩しようか」
ペニサスが手を叩いた。ショボンは汗を拭い、息を吐いた。
ここ最近の部活は、非常に熱の入った厳しいものになっていた。
文化祭がいよいよ間近に迫ってきたのも、理由のひとつといえた。
しかしなにより、モララーの妨害を警戒する必要がなくなったことが大きかった。
モララーはまったく顔を出さなかった。臨時部員も、宣言どおり真面目に参加していた。
元々素養の高かった者を集めていたのか、上達は早かった。
ヒッキーなど、聴いていて思わず唸ってしまうこともあった。
とはいえ、正規部員の全員が、すんなりと受け入れたわけではなかった。
特にデレは、臨時部員の突然の転化を信用できないようだった。
渡辺やヒートも、口にこそしなかったが不安がっている様子は見て取れた。
臨時部員の方から歩み寄ろうとしても、硬化した態度を崩すのは容易なことではない。
亀裂が入るのも仕方ないと思った。ただその中で、ペニサスだけが考えを異にしていた。
('、`*川「とりあえず、合わせて歌ってみよう」
ペニサスは正規部員、臨時部員を混合して並べると、有無をいわさず歌わせた。
いったん最後まで歌いきる。間髪いれずにもう一度と繰り返した。
また歌い終わる。またもう一度。さらに歌いきる。まだ繰り返す。
腹に力を込め、全身を使って全力で歌うのは、想像以上に体力を消耗する。
うまく声がでなくなる。失敗も頻発する。立っているのもつらくなる。
けれどペニサスは、「もう一度」という号令を止めなかった。
もう何十回連続で歌ったろうか。ようやく、休んでいいという令がだされた。
だれもがその場に座り込んだ。ペニサスだけが立っていた。
ペニサスは、そのままの格好でいいから聴いてくれないかといってきた。
('、`*川「歌を歌う理由なんてさ、人それぞれでいいんだよ。人間だしね、
みんな同じ考えってわけにはいかない。だから、気に食わないこともあると思う。
仲良しこよしでいろなんていわないさ。でもな、私たちがやってるのは合唱なんだ。
個人競技じゃない。いがみ合ってちゃ絶対うまくいきっこない、団体芸術なんだよ。
たしかにうちはさ、毎度助っ人を募集するような、ちっちゃな部だよ。だからこそ、
歌いたいってやつを大切にしたい。歌うのがたのしいなら、その感情を共有できるなら、
それだけで充分だと思うんだわ。それにさ――」
ペニサスは言葉をきると、格好いい笑みを浮かべた。
('ー`*川「くたくたになるまで一緒に歌って、どうだったよ。
不快だった、気持ち悪かった、何も感じなかった? デレ、どうだった?」
突然の指名にデレは驚いた顔をしていたが、やがて小さな声で答えを返した。
ζ(゚、゚*ζ「別に……いやなんてことは、なかったです」
('ー`*川「だろ?」
ペニサスは満足そうにそういうと、いつものように手を叩いた。
('ー`*川「よし、それじゃこれで面倒くさいの終わり! 休憩も終わり! まだまだ歌うぞ!」
この一件以来、正規部員と臨時部員の垣根は急速に取り払われていった。
いまはもう、デレでさえも、敵意をあらわにすることはなくなった――。
休憩時間には水分補給をしたり体をほぐしたりしながら、大抵は何か話し合っている。
小難しい話はしない。頭の軽くなる、連帯感を持てる話題が好ましい。
ノハ*゚⊿゚)「そんな考え方もあるんですかっ!」
('、`*川「なーる、おもしろい解釈だね」
『相克のハルカタ』を見ていない中学生は、おそらくいない。
まず間違いなく、万人に通じる話題だといえた。ショボンは
アラマキくんの考察で読んだことを、間違えないようにしながら語ってみせた。
ノハ*゚⊿゚)「先輩すごいですっ! なんでそんなところに気づけちゃうんですかっ!」
もっとも食いついてきたのはヒートだった。すごいすごいと、
笑顔になってほめそやしてくる。悪い気はしなかったが、
これは借り物の知識だ。あまり得意になるのも恥ずかしかった。
(-_-)「ぼ、ぼくだってそのくらい……」
ヒッキーが口を差し挟んできた。ショボンが何かいうと、それに対抗しようとしてくる。
この流れも、最近の定番となっていた。そしてここから。
ノハ*゚⊿゚)「気づいてた?」
(;-_-)「いや、そういうわけじゃないけど……」
ノハ*^⊿^)「だよねーっ!」
と、つながる。ふてくされるヒッキーを他所に、周囲では笑いが起こった。
声を立てて笑う者が多い中、中心から外れた場所では、渡辺が目尻を下げていた。
渡辺はたのしいたのしいと、うれしそうにしていた。
渡辺だけではない、みんなが満足そうにしていた。
ただ、デレの様子だけがおかしかった。
(´・ω・`)「デレ、どうかした?」
ζ(゚、゚*ζ「……え? う、ううん。なんでもないよ」
デレは会話にも加わらず、上の空といった態でいた。
ここのところ、デレは頻繁にこのような状態へ陥っていた。
どうもそれは部活中だけでなく、他の時間にまで及んでいるようだった。
良くも悪くも天真爛漫なデレが、こうも調子を落とすと、
こちらまで変になってくる。心配だった。しかし渡辺は、
そんなデレを見ても「本当にたのしいね~」といって相好を崩していた。
「ショボンくん、今日は俺たちに付き合ってもらえないかな」
部活が終わって帰ろうとしたところを、
三人の臨時部員に呼び止められた。あまり話したことのない三人だった。
ショボンは疑問に思ったが、断るのも悪いと、彼らに付いていった。
道を歩いている途中で、異様な気配に気がついた。
彼らは自分から誘ってきたにもかかわらず、一言も話さず、ただ無言で歩き続けていた。
ショボンを含め四人、沈黙のまま行進した。
どこへ行くのだろう。道はとうに、ショボンの帰り道から外れていた。
見覚えのある道だった。そのときから、予感はしていた。
このまま歩いていくと、記憶の中の、とある場所へとたどり着く。
息が詰まりそうだった。彼らの行進は、確実に記憶の経路をたどっていた。
もはや疑いようもなかった。足が止まった。目の前にはその場所――今にも、
そして数年前からずっと崩壊しそうなまま、しぶとく立ち続けているあの廃屋があった。
玄関ドアが壊れて斜めに傾いているのも、二階の壁が崩れ落ちて
部屋の中が丸見えになっているのも、すべて記憶のままだった。
「それじゃ、俺たちはこれで」
ショボンを連れてきた臨時部員は、一度二階を見上げてから、
何事もなかったかのように去っていった。
ここから先は、ショボンひとりで行けということらしかった。
中も昔のままだった。一歩進むたびに、床が軋んで悲鳴を上げる。
昔と違うのは、ショボンの体重が増したことで、床板が限界ぎりぎりといった
しなり方をすることだった。二階への階段も、登れるのか不安になるくたびれようだった。
( ・∀・)「遅かったな、もう少しで寝入ってまうところだった」
二階にはモララーが寝転がっていた。視線は崩落した天井を越え、
遥か遠くの空を眺めている。ショボンはモララーの傍へ近寄るため、足を踏み出した。
( ・∀・)「気をつけろよ、がきのころとは違うんだからな」
腐った床は下手をすると簡単に底が抜けそうだった。
一点に体重をかけないよう、不自然な進み方になる。
尺取虫のような動きのまま、モララーの隣までやってこれた。
( ・∀・)「あいつはいないよな」
(´・ω・`)「あいつ?」
( ・∀・)「お嬢様だよ。あいつがいると話がややこしくなる。
……安心しろ、もう何も企んじゃいない」
腰を下ろした。お尻の下が音を立ててへこんでいくのがわかる。
懐かしい感触だった。昔はもっと、怖くて仕方がなかった気がする。
いや、怖がっていても、よかっただけかもしれない。
(´・ω・`)「まだ、来てたんだ」
( ・∀・)「頭の中を整理したくなったときなんかに、たまにな」
微風が絶えず木屑を吹き転がしていた。
前方から後方へ、壁が崩れているためなんなく通り抜けていく。
二階からの景色は、日常でもよく見ている。
ショボンの部屋も二階にある。学校でも窓を開ければすぐそこにある。
だが、ここの光景は他のどれとも異なっていた。
壁の崩れによって見える角度が大きく拡がっているため、
というわけではなさそうだった。現実の町並みが、この場所を基点として
非現実に塗り替えられているような感じがした。なぜだか、涙が出そうだった。
( ・∀・)「おまえが人を脅せる人間だとは思わなかった」
モララーは仰向けのままそういった。脅す。物騒な言葉だ。
身に覚えはなかった。けれど、おそらくはモララーのいうとおりなのだろう。
ショボンの体が深夜、脅し、あるいは話を持ちかけに歩き回ったのだった。
( ・∀・)「責めちゃいない、俺もやってることだ。あいつらにとっては、
これでよかったのだろうしな。……あいつらは、たのしそうにやってるか?」
答えに窮した。本当のことをいっては、モララーの自尊心を
傷つけることになりはしないだろうか。といって、嘘をついてよろこぶとも思えない。
迷った末に、本当のことをいった。
モララーは対して気にも留めていなかったようで、
眉根ひとつ動かさない涼しげな表情のままだった。
だから――。
( ・∀・)「そうか。それじゃなぜ、おまえはたのしくもないのに歌う」
突然の言葉に、ショボンの方が狼狽した。床の軋みが、そのまま家全体をゆらした。
いつから気づかれていたのだろうか。モララーはさも当然といった様子で、話を続けた。
( ・∀・)「俺にはどうしてもわからん。歌いたくもないおまえが、
なぜここまで躍起になっているのか。慣れもしない裏工作にまで手を出して、だ。
おまえの中ではいったい、どうつじつまがあってるんだ?」
先の動揺が静まらないままに、新たな質問が飛んできた。なぜ歌うのか。
それはショボンにとって、根本の問題だった。好悪は関係ない。
ショボンは歌い続けなければいけない。保ち続けなければならない義務だった。
(;´・ω・`)「ぼくは、歌わないとぼくじゃないから」
( ・∀・)「つーさんか」
間髪いれずにつながれた名前は、ショボンの呼吸を止まらせた。
のどの奥が痙攣する。
( ・∀・)「俺も、つーさんだ」
声は聴こえる。だが、頭が働かない。考えることができない。
( ・∀・)「親父さんは来るのか?」
ショボンは答えない。
( ・∀・)「相変わらずか……」
モララーは目をつむった。もう、何も言う気はないようだった。
ショボンは壁の外を眺め続けた。陽が落ちる。
『お父さんはずっとああなの?』
翌日のことだった。アラマキくんから、初めて質問された。
詳しく説明する気は起きなかった。ショボンは簡単に、そうだよとだけ答えた。
『仕事なんかにかまけてる暇があるなら、もっと子どものほうを向くべきだ。
父親として、なってない』
意外にも強い語調で、アラマキくんは父を非難した。
ここまで感情をむき出しにした文章は、これまでになかった。
少なからず、反発した。何も知らないくせに、勝手なことをいっていると思った。
(´ ω `)「仕方ないよ。父さんにだっていろいろあるんだ」
声がふるえていた。のどは、いまもまだ痙攣したままだった。
_、_
( ,_ノ` )「……うん、まあ、いいか。そこそこ形にはなったな」
文化祭前日になってようやく、渋澤から否定以外の言葉が出た。
そこかしこから安堵の息が漏れている。二日前、突如としてやってきた
渋澤の猛稽古によって、部員全員心身ともに疲弊しきっていた。
しかし無駄な疲れではないことは、顔を見れば明らかだった。
努力した、耐え抜いた、これだけやったという自信が、表情に表れている。
明日の本番では、みんな、心地の良い緊張感を持って挑めるのだろうなと、ショボンは思った。
从'ー'从「帰りにマック寄ってかない~?」
という渡辺の提案により、いつものメンバーでマックへ行くことになった。
疲れてはいても、こういう寄り道に使う体力は残っているのだから不思議なものだ。
学校外でこの四人と一緒に行動するのは、他人の目が気になる。
だが、断るという選択肢は思い浮かばなかった。
从'ー'从「ヒーちゃんは、ヒッキーくんのことどう思ってるの~?」
渡辺がずばり直球で質問した。ペニサスも興味のない振りをして、
しっかりと聞き耳を立てている。ヒッキーがヒートに好意を抱いていることは、
もはや公然の秘密になっていた。ヒッキーの行動はあからさまで、
誰もがすぐに感づいた。ただ――。
ノハ*゚⊿゚)「歌が上手ですっ! あたしも負けてられませんっ!」
('、`*川「そ、それだけか?」
ノハ*゚⊿゚)「えと、なんか、まずいでしょうかっ?」
当人だけは、このとおりだった。ペニサスは名状しがたい表情で口をつぐんだ。
おそらくヒッキーに同情しているのだろう。ショボンも同情した。
対照的に渡辺は、鼻歌でも歌いかねない笑顔を浮かべて、たのしそうにしていた。
从'ー'从「かわいそうだね~。ねえデレ~」
ζ(゚、゚*ζ「え? う、うん。そうだね」
話を聞いていなかったのか、デレの返事はあいまいだった。
それからしばらく、食事なのかおしゃべりなのか判然としない時間をすごした。
終始興奮しているヒートを、渡辺がからかっている。その様子を、ペニサスは
ポテトを食べながら眺めていた。変化のない和んだ空気の中、デレが立ち上がった。
ζ(゚、゚*ζ「ごめん、ちょっと……」
デレはトイレの方へと歩いていった。その後姿は、肩が落ちて力ない。
トイレのドアを閉める動作すら、漫然として見えた。
ノハ*゚⊿゚)「デレ先輩、最近元気ないですよねっ。ショボン先輩、何かあったんですかっ?」
(´・ω・`)「なんで名指し? いや、知らないけど」
ショボンが答えると、ヒートはなぜか不満そうな顔をした。
渡辺はなおも笑っている。わけがわからず、ショボンはフィレオフィッシュを口にした。
('、`*川「いろいろあるんだろうが、デレなら乗り越えるだろう。なんだかんだいって、
やるときはやるやつだからな。あいつなら心配いらんさ」
ペニサスはポテトの箱に指をつっこみ、もうなくなっていることがわかると
上から圧しつぶした。そばにあった紙ナプキンが、ゆるやかに浮かんですべった。
('、`*川「私にとって明日が、文等中でやる最後の合唱だ。今までやってきた中で、
最高のものにしたい。紆余曲折あったが、今年はそれができる面子だと思う。
ここにいるおまえらだけじゃない。部員全員で力を合わせれば、必ず達成できる」
ペニサスは平べったくなったポテトの箱を、指で挟んだ。
指を上下に交差させて、右に左に箱を揺らしている。
テーブルにあごを乗せたヒートが、箱の動きに合わせて頭を傾けていた。
ノハ;゚⊿゚)「ううっ、なんだか緊張してきましたっ」
从'ー'从「ミスした人は逆さ磔の刑だね~」
ヒートが頭を抱えた。渡辺とペニサスが声を立てて笑った。
ポテト箱の動きが止まった。ひとしきり笑った後、
ペニサスは二本の指でショボンを指差してきた。
('ー`*川「ショボン、明日は期待してるぞ」
(´・ω・`)「……はい」
のどの底がひくついた。
『平常心で発表に望めるおまじないを教えてあげるよ!
やり方は簡単さ。それはね――』
ぬいぐるみのアラマキくんを机に置いた。時刻は六時半。
窓からは、赤から白へと変化する途上の光が差し込んでいた。
柔軟運動をして、シャワーを浴びて、朝御飯を食べる。
着替えを済ませ、鏡を見て、格好を整える。
必要なものをかばんに入れ、最後に携帯を確認し、ショボンは家を出た。
今日は文化祭。ついに、発表本番の日が訪れた。
クラスメイトが体育館へと向う中、集団から抜けて第二音楽室へと行く。
予行も兼ねて、最後に一度合わせる。その後は、発表まで待機することになっていた。
発表は吹奏楽部、演劇部の後に行われる。
希望すれば見にもいけたが、去年はひとりも見にいかなかった。
さすがに昨日とは様子が違う。みな引き締まった顔をして、
背筋まで垂直に伸びている。会話をしても、浮かれた雰囲気はない。
ただ、極端な硬直状態に陥っているわけではなさそうだった。
蓄えた実力を、早く発揮したくて仕方がないといった感じだった。
_、_
( ,_ノ` )「おまえら、そろそろ行くぞ」
吹奏楽部の指揮を終えた渋澤が、案内にやってきた。息を呑むのがわかる。
渋澤を先頭に、体育館へ向った。演劇部の劇が終わるまで、傍の広場で待つ。
片付けが済んだらすぐに、入場することになっていた。
時間はもう、いくらもなかった。外は肌寒い。
なのに、嫌な汗が噴き出して止まらなかった。唾液が、うまくのどを通らない。
緊張しつつも堂々としている仲間の姿に、より一層煽られる思いだった。
ショボンは、デレの手をつかんだ。
(;´・ω・`)「ごめんデレ、ちょっと一緒に来て!」
デレが何かを言い出す前に、ショボンは走り出した。
何度かつんのめりそうになったが、校舎に入ることができた。
廊下にはだれもいなかった。ショボンと、デレだけだった。
ζ(゚、゚;ζ「どうしたの? 早く戻らないと」
デレは不安そうにしている。突然連れて来られたことよりも、
発表に間に合わなくなるのではと不安がっているようだった。
ショボンもそれは同じだった。早く済まさなければならない。息を深く吸い込んだ。
『人前で、すきな食べ物を思いっきりの全力で叫ぶのさ!』
携帯に書かれていた文章が頭に浮かぶ。誰にでも可能な、簡単なおまじないだ。
とうぜん、ショボンにだってできるはずだ。吸い込んだ息が、体の内部に溜め込まれた。
『先に恥ずかしい思いをすれば、緊張なんてなんのその、ベストの状態で挑めるものだよ。
ただし、本当に、腹の底から吐き出すんだよ。そうしないと意味ないからね』
後は吐き出すだけだった。デレが怪訝そうにしている。心臓が狂っている。
アラマキくんは、この光景も見ているのだろう。簡単なことだ。息が苦しくなってきた。
すきな食べ物の名前、すきな食べ物。吐き出すだけ、それだけ――。
ショボンは急いで体育館前へ戻った。後ろからデレが付いて来ている。胸が痛い。
結局ショボンは、溜め込んだ空気を元の場所へ還元するだけに留まった。
人前ですきな食べ物を叫んだからといって、何の意味があるのか。
必要ないことだと、ショボンは自分を納得させようとした。
長い廊下の出口で、人が立っているのに気がついた。
ショボンは立ち止まった。そこにいたのは、モララーだった。
ζ(゚、゚;ζ「な、なによ」
デレはショボンの背中に隠れて、用心深く顔だけ覗かせていた。
モララーは意に介した様子もなく、真っ直ぐにショボンと視線を合わせてきた。
( ・∀・)「つーさんの代わりに、聴き届けてやる」
ショボンは視線を逸らした。体育館から拍手の音が漏れ出している。
もう時間がない。ショボンは走り出した。
モララーが視界に入らないよう、下を向いたまま。
整列して壇上へ上っていく。二階席から放たれる照明が、目に眩しい。
観客席がかすれて、よく見えなかった。モララーはどこにいるのか。
ここからではわからなかった。
いま気にするべきなのは、観客席ではない。
指揮台に登った渋澤に意識を向ける。ざわめいていた場内が、きれいに静まり返った。
圧縮した空気が体育館中に満たされている。
その空気を、振り下ろされた指揮棒が切り裂いた。
息の揃った、順調な滑り出しだった。
狭い室内とは異なり、広い場所では音が拡散する。
そのため周囲とのずれがわかりづらくなってしまう。
スタートを失敗してしまうと、途中で修正するのは至難の業といえた。
ソプラノ、テノール、バスの動きに気を配りながらも、
一番大切なのは指揮に忠実に従うことだった。
すべての音を客観的に把握できるのは、指揮者だけである。
三日間の猛稽古によって、指揮に合わせる体ができていた。
すべてがうまくいっている。問題ない。何も問題ないはずだ。
だがしかし、ショボンはブレスの度に、のどが絞まっていく感触に襲われた。
うまく息が吸えない。スタッカート、フォルテ、クレッシェンド。強い記号が続く。
なのに、強い音が出せない。酸素が足りない。
おまじないをしなかったからなのか。関係ない。
去年はそんなことしなくても歌えた。昔は、もっと上手に歌えた。
酸素が足りない。指揮に集中しないと。照明が熱い。観客の姿が見える。
そこでショボンは、見てしまった。
見えてしまった。二階席の照明横。
手すり前の最前列に立っているモララーが、見えてしまった。
あのときと同じ目をしている。違う、そんなところまで見えるわけがない。
それはただの記憶だ。
指揮棒がショボンを指した。ソロパートへ突入する。
のどが閉塞している。歌わないと。人々の視線が突き刺さっている。
他に音はない。歌う者はいない。声が。渋澤が怒った顔をしている。
怖い。モララーが見ている。あの目が。どよめきが聴こえる。歌わないと。でも――。
声が。
姉さん。
便器の中で吐瀉物が跳ねた。透明な水が濁っていく。
嘔吐感は一向に治まる気配がなかった。もう一度吐き出して、流した。
部屋の中で、携帯のランプが明滅していた。新着メールが来ている。
ショボンは内容を確認すると、すぐさまトイレへと駆け込んだ。
文化祭から三日が経過していた。
ショボンはあれ以来、家にこもっていた。
部員からは絶えずメールが来ていた。非難的な内容はひとつもない。
どれもこれもやさしい、仲間を気遣うメールだった。
ショボンはそれらのメールを読んでいると、堪えられず、吐いた。
何度も吐いた。腹の中が空っぽになると、胃液だけを吐いた。
期待を裏切った。迷惑をかけてしまった。部長の三年間を、ぶち壊しにしてしまった。
仲間に顔向けできない。たしかに恐ろしいことだった。
だがそれよりも、歌えなかったという事実そのものが、ショボンの神経を蝕んだ。
彼女たちのメールは、やさしい。しかし、ショボンが歌わなかった理由を、
ただの失敗と捉えていた。気にしなくていい、大会で挽回すればいい、
いつでも待っていると、ショボンが歌うことを信じて疑わない。
違う、そうではない。歌えなくなってしまったのだ。
昔のようには歌えないと、体がそう決まってしまった。
“ショボン”は死んだのだ。歌えない自分に、何の価値があろう。
だからこそ、彼女たちのメールは突き刺さった。
やさしくされればされるほど、期待に応えられない自分と対峙することになる。
ショボンにできることはただ、すべての文に目を通し、便器に向かうことだけだった。
もう何時間こうしているのかわからなかった。トイレと部屋を往復して、
新着メールが届けばそれを、なければ過去のメールを読み返した。
いま、ショボンは部屋へ戻るところだった。
携帯が光っていた。足が止まった。
三日目ともなるとさすがに、新しく来るメールの件数も減っていた。
ショボンは携帯に手を伸ばした。ふるえてうまくつかめない。
内容を確認する前から、胃液が逆流しそうになった。
だがディスプレイには、想像とはまるで異なる文章が表示された。
『おばけ屋敷にて待つ』
差出人は、モララー。お化け屋敷というのは、あそこのことだろう。
ショボンは携帯を閉じた。モララーには悪いが、外へ出る気にはなれなかった。
だれとも顔を合わせたくはなかった。
ショボンは背を壁につけ、その場に座り込んだ。
そのまま動かずに、雲の動きを追った。
雲の陰が茜色から、黒色へと濃淡を強め始めたころだった。
玄関ドアが開き、閉まる振動が背中に伝わった。
シャキンが帰ってきていた。階段を下りる。板張りの階段が音を立てた。
シャキンは近づいてくるショボンに気づき、顔を上げた。その顔が、困惑に歪んだ。
(;`・ω・´)「おまえ、その顔どうしたんだ」
(´・ω・`)「父さんこそ、また早いね」
会話が途切れた。シャキンはネクタイをゆるめ、上着を脱いだ。
かばんを置き、箪笥から衣類を取り出している。ただ着替えるだけの量ではなかった。
ショボンは呆然と、シャキンの動きを見ていた。
(`・ω・´)「……明日から、一ヶ月ほど出張なんだ」
シャキンはトランクケースに荷物を詰めながら、いった。
視点は固定されて、けしてショボンの方を向くことはなかった。
ショボンは黒いトランケースに目を向けた。
一ヶ月の出張だからといって、何かが変わるわけでもない。
どうせ普段から、ろくに顔も合わせていなかった。仕方ない、仕方ないんだ。
ショボンは自分に言い聞かせようとした。仕方ないと思えば、
大抵のことは諦めることができた。だが、今回に限って、それはまったく通用しなかった。
得体の知れない衝動が、抑え難くショボンを突き動かした。
(´ ω `)「急だね」
思いがけず、咎めるような口調になった。
(`・ω・´)「いや……ずいぶん前から、決まっていた」
そういうことか。あのとき言いよどんでいた理由が、いまになってわかった。
胸の底の感情が、ますます膨らんでいく。
(´ ω `)「どうして言ってくれなかったの?」
(`・ω・´)「機会がなかっただけだ。隠していたわけではない」
嘘をついている。あの日、モララーにブーンをけしかけられた日、シャキンには
機会があった。あのとき事故の経過を尋ねたのは、心配したからではなかったのだ。
ショボンを置いて出張しても平気かどうか、確かめただけだったのだ。
ショボンはシャキンを睨んだ。シャキンはそのことには気づかない。
目の前にある荷物しか視界に入っていない。父とまともに向き合ったのは、
いつが最後になるのだろうか。父がぼくを見たのは、あの日が最後だ。
(´ ω `)「父さん……どうして、どうしてぼくを避けるの?」
答えは知っている。けれど、いままでは怖くて口にすることができなかった。
平衡感覚が働いていない。どこまで話していいのか、どこで止めるべきなのか、
判断がつかなくなっている。衝動に取り憑かれている。衝動が――。
(;`・ω・´)「避けてなど――」
(#´・ω・`)「避けてるよ!」
爆発した。もう止まらない。父への不満が次々と思い浮かんでくる。
それは最近の記憶から始まり、枝分かれするように連続した過去へと遡って行った。
(#´・ω・`)「ぼくがまだ合唱続けてたって、父さん、知らないでしょ」
シャキンの顔はショボンへ向いている。
しかしいまに至っても、直視しようとはしない。
不満の記憶は四方へ拡がり、関連した思い出をも侵食した。
心地の良いはずだった思い出が、異なった印象に塗りつぶされていく。
(#´・ω・`)「そうだよね、知ってるわけないよ。父さんは、ぼくのことを
嫌ってるんだから、恨んでるんだから。ぼくなんか、視界に入れたくないよね」
何も思い出したくない。
なのに勝手に、記憶は浮かび上がってくる。幸せを感じていた時期もあったのだ。
それがいまにつながる現実だとしたら、あんまりではないか。
(;`・ω・´)「ばかなことをいうのはやめろ」
(#´;ω;`)「それじゃあなんでさ! なんでぼくを見てくれないんだよ!
なんで、なんで許してくれないんだよ……。許してよ、助けてよ!」
いってはならない一言があった。普段ならば絶対に口にしない。
だけどもう、ブレーキはとっくに焼き切れていた。
(#´;ω;`)「父さんだって――父さんだって、母さんを死なせたくせに!」
ほほに衝撃が走った。直後に、熱くなった。
シャキンの手が、空中で静止していた。はたかれた。
ショボンはもう、なにを、どうすればよいのか、まるでわからなかった。
錯綜した意識のまま、家を飛び出した。
56 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/01/27(木) 20:20:50.26 ID:ENz7hFCf0
あてどもなく彷徨っているはずだった。
何かを考えられる状態にはなかった。あるいは虚脱していたからこそ、
体が勝手に動いたのかもしれない。かつての幸福感を求めたのかもしれない。
ショボンはいつの間にか、モララーの待つ廃屋に到着していた。
躊躇はなかった。ショボンはごく当り前のように、中へと入っていった。
( ・∀・)「幽霊が住み着いてるって噂、仕入れてきたのは俺だったか、つーさんだったか」
モララーは以前と同じく、寝転がった格好で二階にいた。
( ・∀・)「幽霊なんていやしなかったな」
小学生のときだった。この廃屋に、幽霊がいるという噂が立ったことがあった。
少数の目撃例は、尾ひれのついた怪談話へと様変わりして流布した。
ショボンは怖い話が苦手だったので、話題になっても近づかないようにした。
しかし、モララーと――つーは違った。
ふたりは真相を確かめるべきだと、気焔を吐いていた。
嫌がるショボンを引っ張って、朝な夕な廃屋へと詰め掛けた。
父の眼を盗んで、深夜に部屋を空けることもあった。
怪奇現象には遭遇しなかった。
人が歩き回る音も、ひとりでに開閉するドアや家具も、どこからともなく
鳴り出してくるオルゴールも、胸部に刺し傷のある太った男も、すべての噂は嘘だった。
それでも三人はここへ来た。食べ物を持ち寄って、自分たちの秘密基地とした。
だれかが入ろうとしたら、脅かして追い払った。廃屋に幽霊はいなかったが、
日常とは異なる非現実性を感じる場所ではあった。それは嫌な感覚ではなかった。
もしかしたら見えないだけで、幽霊はいたのかもしれない。
その幽霊はきっと、ただそこにいただけで、悪いものではなかったのだろう。
( ・∀・)「食べるか? 安心しろ、ハムとツナサンドだけだ」
モララーがビニールに包まれたサンドイッチを持ち上げた。
ショボンが受け取らないでいると、モララーはビニールを開けて、自分で食べ始めた。
モララーの持ってきた卵サンドで、一度、大変な事態になったことがある。
知らなかったのだ、だれが悪いわけではない。それに、大事にまでは至らなかった。
ただそれ以降、モララーは持ってくる食料を厳選するようになった。
モララーがサンドイッチを食べる以外に、音といえる音はなかった。
街中が静かなのか、この廃屋だけが特別なのかわからなかった。
あのときの幽霊は、まだここにいるのだろうか。
もし幽霊というものが本当に存在するのなら、
やはり思い出深い場所へと留まるのだろうか。
(´・ω・`)「もしかして、ここに来てるのって――」
( ・∀・)「まさかだろ。俺はオカルト信者じゃないんだ」
言い切るより前に、モララーは意図するところを見抜いていた。
それはきっと、心のどこかで考えていたことだからに違いなかった。
突然、階下から木を引っ掻く音が響いた。
音は間断なく響き渡り、廃屋を揺らし、天井からは
木屑がこぼれ落ちてきた。ショボンは腰を抜かしそうになったが、
モララーは気に止めた様子もなくサンドイッチを口に運んでいた。
一際大きく振動した。足音が一階の床を通り、そのまま階段を駆け上がってきた。
何かが顔を出した。暗くてよく見えない。その何かが、勢いよくショボンに突進してきた。
腹にぶつかった途端、強烈な臭いが漂った。何かの正体は、ブーンだった。
ブーンはショボンの周囲を回りながら、時折頭を押し付け甘えてきた。
( ・∀・)「つーさんはだれからも、動物からも好かれる人だったな」
モララーは腰を起すと、食べかけのサンドイッチを放り投げた。
ショボンに纏わりついていたブーンが、鋭敏な反射神経でもって空中を舞った。
崩れかけた床の上に器用に着地するときにはもう、サンドイッチは影も形もなくなっていた。
( ・∀・)「あの人は大人だった。つーさんと同じ年になっても、俺はまだまだ
がきのままだ。損得ばかり目に付いて、ダチの作り方もわかっちゃいない」
モララーが立ち上がった。月明かりを受け、影が伸びている。その影が、動いた。
( ・∀・)「おまえは歌うべきだ」
モララーの顔は陰になっていて見えない。
しかし、ショボンの視界には、モララーの表情がたしかな形となって現れていた。
( ・∀・)「ずっと考えていた。おまえが歌う姿を見て、なぜこんなにイラつくのか。
俺はつーさんだと思った。つーさんが歌えなくなったというのに、
おまえが罰も受けずに悠々と歌っているから、許せないのだと思った」
メールを受け取ったときから、予想はしていた。おそらくいま
言われたようなことを突きつけられるのだろうと。どうしようもないほどに、
責め立てられるのだろうと。それならそれでいいと思った。しかし――。
( ・∀・)「だが、違った。文化祭の日、おまえが歌えなかったのを見ても、
俺の気は晴れなかった。恨んでいたのなら、よろこんでもいいはずだ。
けどそのとき俺が感じたのは、もっとごちゃごちゃした、よくわからないもんだったよ」
モララーの述懐は、ショボンへの罵倒とはならなかった。
( ・∀・)「三日間考え続けて、ようやく気づけた。俺はおまえの歌う姿勢が
気に食わなかっただけだ。単純な話だ。つーさんがどうとか、
過去がどうだの関係ねえ。俺が気に食わない、それだけが重要だ」
モララーはひとりで気づき、ひとりで先に進んでいた。
苦しかった。非難して、罵声を浴びせてくれた方が、どんなに楽かしれなかった。
( ・∀・)「もう一度いうぞ。おまえは歌うべきだ。
だが、後ろ向きのいじけた考え方で歌うことは許さねえ」
理解しないでほしかった。その上で歌えと、そんな酷なことをいわないでほしかった。
(´ ω `)「勝手だよ――」
勝手という言葉が箍を外した。
静まりかけた記憶に、次々と付着していった。
(#´・ω・`)「勝手だよ、みんな勝手だ! モララーも、父さんも、姉さんも!」
期待も、失望も、羨望も、嫉妬も、軽蔑も、嫌悪も、友情も、愛情も、
与え、与えられるなにもかもが。
(#´;ω;`)「姉さんが勝手にぼくを庇ったから、父さんが僕を嫌うんだ、
こんな思いをしなくちゃいけなくなるんだ!
姉さんが生きていれば、姉さんが生きれば――
ぼくが、ぼくが死ねばよかったんだ! ぼくが死ねば、全部丸く収まったんだ!」
床が爆発した。モララーの足が、床を踏み抜いていた。
怖気づいたショボンの目の前まで、モララーは詰め寄ってきた。
( ・∀・)「自分勝手で何が悪い」
屹然と言い放つモララーは、
視界に映っていた記憶の中のモララーと、異なる瞳をしていた。
( ・∀・)「そうだ、俺は勝手だ。俺の行動はすべてが自分のためだ。
たのしいから関わる、つまらんから避ける、理想があるから努力する、
気に食わないから、矯正する。全部自覚してのことだ。だがな――」
襟首を引っ張られた。顔が、目前にまで迫っている。
( ・∀・)「おまえも充分勝手なんだよ。歌うも歌わねえも、てめえの問題だ。
決定すんのは自分の意思だ。被る結果も、責任も、全部ひっくるめて自分のもんだ。
てめえの勝手を、つーさんにおっ被せてんなよ」
モララーは手を離すと、そのまま後方へと下がった。
崩れた壁の直前まで下がり、そこで止まった。
外の景色を背後に、モララーの姿が浮かび上がっていた。
( ・∀・)「それでも死にてえってんなら止めやしねえ。
自分勝手に、ひとりで死ね」
モララーが飛んだ。
その次の瞬間にはもう、視界に映るのは現実の町並みだけとなった。
ブーンが足元でまとわりついてきた。足を振り上げた。空を切った。
ブーンは距離を取った。困惑したような顔をしていた――。
家の中は真っ暗になっていた。シャキンの気配はどこにもなかった。
ショボンは自室に戻り、制服からベルトを抜き取った。
革製の、丈夫なベルトだった。
ショボンはそれを一度真っ直ぐ伸ばすと、首に巻きつけた。
留め金の冷たい感触が、ちょうどのど仏の辺りを圧迫した。
ベルトの余った先を、両手で握りしめた。
ベルトの質感というものを、初めて理解できた。そしてそのまま、引っ張った。
眼球が飛び出しそうになった。目の前が白んでよく見えない。
目と鼻の中間点が、つまったように閉塞した。革の絞まる音が、耳でなく骨で聴こえた。
案外苦しくはなかった。それよりも、留め金の物理的な圧力が気になった。
脳が頭部よりも膨張したように、感覚が自分とそれ以外の境界を曖昧にした。
白く見えた景色が、だんだんと陰を濃くしていった。
視界と共に意識も、暗く、黒く沈んだ。
もうなにもなかった。
咳と共に目覚めたとき、ショボンは座った格好に携帯を握りしめていた。
携帯は開いていた。まだバックライトが消えていない。
ついさっきまで使われていたのだ。ショボンは表示された画面を見た。
『バカ! アホ! マヌケ! 死のうとなんかするな、バカ!』
無造作に投げ捨てられたベルトが、床に転がっていた。首に手をあてた。
のど仏が、留め金型にへこんでいる。夢ではない。現実に、自分がやったことの痕だった。
内部も圧迫されたままなのか、妙に息苦しかった。
ショボンは携帯を閉じようとして、あることに気がついた。
もう一度確認しようと携帯を凝視した途端、バックライトが消え去った。
ショボンは顔を上げて、壁にかかった時計を見た。時間はまだ、九時を回っていなかった。
ショボンは口を開いた。息が漏れた。
何度か息を吸い、吐く行為を繰り返してから、携帯に文章を打った。
『自由に出てこれるの?』
携帯を握ったまま、待った。
一分も経たないうちに、視界が赤く染まった。
『やってみたらできたんだよ。そんなことより、もうバカな真似するんじゃないぞ!』
意識が返ってきた瞬間に、文章が目に飛び込んできた。
ショボンは寝転がって、いまもらった文章と、先程のメッセージを読み返した。
幾度読み返しても、飽きなかった。視界がまた赤く染まった。
今度は時間が一気に飛んで、朝の六時になっていた。
『話を聴いてくれないかな』
なにもかもを打ち明けたかった。
不特定のだれかにではなく、アラマキくんだけに聴いてもらいたかった。
『うん』
アラマキくんから返事をもらって、ショボンは事の起こりと、
その背景となる過去の出来事を書き始めた。
いまよりももっと子どもだったころ、ショボンは引っ込み思案で、
いつもおどおどと何かを怖がっていた。幸いいじめられるようなことはなかったが、
積極的に友人を作ることもできず、教室では常に孤立していた。
ショボンには姉がいた。姉の名はつーといって、ショボンとは対照的に
活発で笑顔の絶えない少女だった。物心ついたときにはすでに
母を失っていたショボンにとって、つーは姉よりも母に近い存在といえた。
ショボンはつーに頼り切っていた。何をするにしても、どこへ行くにしても、
つーの意見をうかがった。つーはこれではまずいと思ったのだろう。
自分が所属している市の合唱団に、ショボンを連れていった。
まずは自分が歌ってみせて、同じように歌ってごらんとショボンに促してきた。
そこにはつー以外にもたくさんの人がいた。
大人よりも、同年代の子の目が気になった。ショボンは一応真似してみたが、
ほとんど蚊の鳴くような、だれの耳にも届かない息が漏れただけだった。
つーはショボンの頭に手を乗せて、こういった。
『失敗してもいいんだ。ありったけの自分を表現してみな』。
ショボンはうなづいたが、言葉の意味を理解したわけではなかった。
ただただ姉に嫌われたくないという一心で、あらん限りの声を出した。
『おまえ、こんなでかい声だせたんだなあって、姉さん驚いてたよ』
ショボンはそのまま合唱団に在籍した。
ショボンが歌うと、多くの人が上手だとほめてくれた。
ショボンにも、歌えば歌うほど上達していく実感があった。
それが自信にもつながった。初めての友達もできた。
その友達は、ショボンが来るより以前から合唱団に所属していた、
モララーという同い年の少年だった。モララーは頭がよく、
いろんなことを知っていたが、ショボン同様友達がいないようだった。
ふたりは一緒に行動するようになった。
ふたりだけでは危ないと、つーもそこに加わった。
いろんな遊びをして、様々な場所を駆け周った。
合唱でも、息を合わせて歌うことができた。
『姉さんはぼくのこと、自慢の弟だっていってくれたんだ。このころは父さんも、
発表を見に来てくれてたんだよ。慣れないカメラ操作に、四苦八苦してた』
つーは中学に上がり、合唱団を辞めた。ショボンには学校での友人ができた。
それでも三人の関係は続いた。モララーはだれよりもつーを慕っていた。
表面には現れなかったがおそらく、恋愛感情のようなものもあったに違いない。
発表のときつーが来たことを一番よろこんだのは、
モララーだった。つーは毎回欠かさずやってきた。
ショボンも姉に自分の歌声を披露するのが、いつもたのしみだった。
一年の総決算となるような、大きな大会があった。
団員の気合の入りようもひとしおで、当然ショボンも意気込んでいた。
そのときの曲はショボンの感性とよく合致しており、いままでで一番自信があった。
姉に聴いてもらえる日が待ち遠しかった。
だが、姉が中学の用事で来られなくなってしまった。
つーは中学校でも合唱部に所属し、そちらの方へ出席しなければならなくなっていた。
それでもショボンは、姉がきっと来てくれると信じていた。
しかし、結局つーが、大会場に顔を見せることはなかった。
ショボンは歌いたくなくなってしまった。モララーが慰めて、静止して、
次の機会に聴いてもらえばいいじゃないかといってくれたにも関わらず、
歌うことを放棄して、会場から抜け去った。
『モララーのいうことは、いつだって正しかった。
間違ったことはいわないと、知っていたはずだったんだ』
会場から去ったショボンは、幽霊屋敷と噂される廃屋に引きこもった。
ショボンはこのとき、具体的に何かをしようと考えていたわけではなかった。
単純に、逃避の場所をここに選んだだけだった。
そのため、いつ出て行けばいいのか、わからなかった。
壁板の隙間から差し込んでいた光が、完全に消え去っていた。
いつの間にか降り始めてきた雨のせいで、廃屋全体が湿り気を帯びていた。
幽霊なんていないという結論がでていても、真っ暗闇の廃屋は怖かった。
ショボンは動けなくなっていた。
ふるえながら座っていると、どこかから名前を呼ばれた気がした。
空耳かと思っていると、声は雨音を越えて、はっきりと聴こえた。
それはモララーと、つーの声だった。ショボンは恐怖心も忘れて、廃屋から出て行った。
声の聴こえる方を目指して、がむしゃらに走った。
急に走り出したせいか、関節や心臓がひどく痛んだ。
耳鳴りのせいでショボンを呼ぶ声も掻き消えた。
ただ体を打ち跳ねる雨音だけが、やかましく響き渡っていた。
ショボンは焦って、もっと急いで走らなければいけないと思い込んだ。
そうして走り続けて、ショボンはようやくモララーを発見することができた。
うれしくて、脇目も振らず駆け寄った。モララーが何かを叫んでいると気が付いたのは、
直射したライトに目が眩んだときだった。
目の前に、走行する車が迫っていた。突然の事態に反応することもできず、
自分の体へと襲い来る車体を呆然と眺めていた。このまま立っていたら
ぶつかるということだけ、いやにはっきりと理解できた。
だが、ぶつかったのは車とではなかった。
ショボンは跳ね飛ばされたが、ほとんど無傷のまま何事もなかった。
その代わり、車の車輪近くで、つーが転がっていた。
ショボンはつーと、モララーを見ていた。
モララーは、雨ざらしのつーには目をくれず、ただ真っ直ぐにショボンを見つめていた。
『そのときのモララーの目は、きっと、一生忘れられないと思う』
モララーは合唱団をやめた。
小学校が別々だったふたりは、中学生になるまで再開することはなかった。
その間モララーが何をやっていたのかは、知らない。
しかしショボンは、合唱をやめずに続けた。
『姉さんが助けたのは、自慢の弟だったぼくなんだ。だからぼくは、
ずっとぼくのままでいなくちゃいけない。歌の上手なショボンでいなくちゃいけない』
つーがいなくなり、シャキンとふたりで暮らすことになった。
そのときから、シャキンは家にいつかなくなった。遊び歩いているというわけではない。
いつ休んでいるのかわからなくなるほど、仕事に没頭しているようだった。
シャキンは元々口数が少ない。息子のショボンとも、会話らしい会話はしなかった。
ただ、つーとはよく話をしているようだった。つーを通して、三人で家族らしい行事に
参加したこともあった。家族はつーで成り立っていた。
つーの死後、シャキンはショボンと目を合わせようとしなくなった。
本人は否定するかもしれない。だが、ショボンは敏感に察知していた。
ショボンは、シャキンが自分を恨んでいるのだと感じた。
そしてそれは、どうしようもないことなのだと、
もう手遅れなのだと思わざるをえなかった。
97 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/01/27(木) 22:36:03.27 ID:ENz7hFCf0
歌うしかなかった。いままで以上に、歌うことへ時間を費やした。
もし仮に、シャキンとの仲が改善するとしたら、歌以外の方法はないように思えた。
シャキンはショボンの発表を見に来ることがあった。
つーが褒めてくれるような歌を歌い続ければ、
いつか聴きに来てくれるかもしれないと、そう信じた。
だが、意気込むショボンに変異が訪れた。
声変わりが、始まった。
時間と共に、ショボンの声は低くかすれていった。
どうにかしなければ。調べられる限りの方法を調べ上げ、可能な限り実践した。
かつてヨーロッパで流行った性徴を抑える方法というものを知り、
それを試してみることも考えた。しかしそんなことをしたら、
シャキンがどう思うだろう。踏み切れなかった。
実行した様々な方法は、ある程度の効果をもたらした。
しかし、それは緩和させる、遅らせる、ごまかすといった程度の効果で、
問題の解決を意味することはなかった。
ショボンは歌い続けた。少しでもかつてのように、
褒められていたころの声が出せるよう、努力した。
中学に上がり、モララーと再会し、つーのいた合唱部に所属して、
新たな仲間と知り合っても、思いは変わらなかった。
だがそれも、先の文化祭で瓦解した。もはや、歌う意味がなくなった。
『ぼくはどうしたらいいのかな』
すべてを語り終わって、ショボンはアラマキくんに尋ねた。
助けてほしかった。自分の事を真剣に叱ってくれたアラマキくんなら、
何をするべきか教えてくれる気がした。何といわれても、従うつもりだった。けれど――。
『それはぼくが答えていいことじゃないよ』
アラマキくんは教えてくれなかった。
日がな一日、アラマキくんと話をして過ごした。
ほとんど自分のことをしゃべっていたような気がする。
恥ずかしかった思い出も、つらかった、あるいはおもしろかったことも、
思いつく限りを文章にした。携帯を通じての会話は、声を出すよりも本音を話せた。
『ぼく、雑誌に載ったこともあるんだよ。天才とか天使の歌声とか書かれてて、
えへへ、ちょっと大げさだよね。でも、悪い気はしなかったなあ』
なにより多くの時間を、自慢話に割いた。昔の自分はこんなにすごかったのだと、
知ってもらいたかった。つーがどんなにすばらしい姉だったのか、
モララーがどんなにすごいやつなのか、たくさん自慢した。
『ぼくの料理もね、全部姉さんゆずりなんだよ』
書いているショボンがくだらないと思う話にも、アラマキくんは真摯に
反応を返してくれた。けしてバカにしてくるようなことはなかった。
どころか思わぬ返しを披露して、そこから話題が拡がることも多かった。
姿かたちは見えなくとも、自分とは異なる個性が、
たしかにそこにいるのだと信じられた。デレや部活の仲間たちとも違う。
遠慮のない、けれど安心感のある関係は、久しく忘れていた感触だった。
どれだけの間そうしていただろうか。時間や日付の感覚が薄れていた。
食事などといった生活に必要な行動は、すべてアラマキくん任せにしていた。
アラマキくんと会話する以外のことは、意図的に考えないように努めた。
新着のメールも、中身を確認しようとは思わなかった。
だから、この展開は想定していなかった。
『しょーぼー! 開けてよー!』
インターフォンが連続して鳴らされている合間に、
ショボンを呼ぶ声が響いた。声の主はデレだった。
デレはショボンの家を知っている。予想して然るべき事態だといえた。
ショボンは耳を塞ぎながら、音が止むのを待った。
デレが去るまでの間、アラマキくんが入れ替わってくれはしないかと思った。
気づかれないように注意して、窓から様子をうかがった。外は寒いのだろう。
デレは重そうなコートを羽織っていた。申し訳なかった。
そのとき、デレの顔が上を向いた。ショボンは咄嗟に身を引いた。
見られただろうか。わからない。聴こえるわけがないとわかっていても、
音を立てないよう気をつけた。息を殺しそのままでいると、
ほどなくインターフォンと呼び声の連鎖が再開された。
それもやがて止まった。今度はより慎重に、窓の外を覗いた。見当たらない。
諦めて帰ったのだろうか。デレにしてはあっさり帰ったような気もする。
ショボンは気になって、確認のために階下へ降りた。玄関扉を少しだけ開いて、頭を出した。
ζ(゚ー゚*ζ「……おひさ」
デレがいた。徳福屋の文字が印刷された紙箱を、顔の位置まで持ち上げている。
寒さのせいか、顔がいくぶん赤くなっているように見えた。
窓から覗いていたのは、やはりバレていたのだと考えるしかなかった。
呼びかけを繰り返したのは、気づいていない振りをするためか。
その後は窓から死角になる場所へ隠れて、ショボンが
確かめに来るのを待っていたのだろう。
ζ(゚ー゚*ζ「さ、入ろ入ろ! おじゃましまーす!」
デレは返事も待たずに、ショボンの背中を押して強引に家の中へと上がってきた。
ζ(゚ー゚*ζ「限定チーズタルト、並んで買ってきたの。一緒に食べよ!」
デレは箱を開けると、中から取り出したチーズタルトをショボンに手渡してきた。
断るわけにもいかず、ショボンは両手で受け取った。タルトのしっかりとした感触に
ゆびを這わせながら、さっそくパクつき始めたデレを眺めた。
デレは一方的に話しかけてきた。一見して景気の良い、
何もかもがうまくいっているかのような口ぶりだったが、
言葉の端々に思わせぶりなニュアンスが含まれていた。
ショボンがいなくても平気だと安心させるのと同時に、ショボンが
いないと大変なのだと、自尊心を傷つけないように苦心しているのが
わかった。心づかいはありがたかったが、うれしいとは思えなかった。
ζ(゚、゚*ζ「いまね、モララーのやつが来てるの」
デレの語調が、淡々としたものに変わった。デレはいう。
文化祭から四、五日ほど経過したある日、不意にモララーが第二音楽室へ
やってきた。モララーはショボンの代わりを務めるといって、勝手に参加した。
意外なことに、モララーはソロパートもそつなくこなした。
さらにそれを見ていた渋澤が、一も二もなく採用してしまった。
反対しようにも、その理由がなかった。以前のように邪魔をすることもなく、
それどころかだれよりも熱心に取り組んでいた。
もともと臨時部員との連携は取れていたので、合唱にも支障はでなかった。
ペニサスやヒートとも衝突はなかった。打ち解けたとはいわないまでも、
問題なく接することはできているようだった。
デレにしても――いまは、嫌いではなかった。
ζ(゚、゚*ζ「それでも私は、ショボンと一緒に歌いたいんだよ」
ショボンは身構えた。ついに来るべき話題が来た。デレが何やら説得していたが、
ショボンはほとんど聴いていなかった。今までの話に大した意味はなく、この話題こそ、
デレがショボンの下へ訪れた最たる理由のはずだ。
強要しにきた、というわけではないのだろう。それくらいはわかる。
善意で、本心から心配しているのだと思う。一緒に歌いたいという言葉も
半分は建前で、立ち直ってほしいという憂慮こそが本音なのだと思う。
だからこそ、会いたくなかった。いい加減な相手なら、こちらも気に病むことはない。
適当にあしらってしまえば済む。デレを見た。この寒いのに、ひたいには
うっすらと汗が光っている。直視できなかった。
携帯を開いた。デレが目の前にいる。きっと気分を害することだろう。
それを承知の上で、ショボンは携帯を打ち始めた。もっと賢い選択肢が
あるのかもしれない。しかし、ショボンにはこの方法しか思い浮かばなかった。
ζ(゚、゚*ζ「ねえ、無視しないで。私だって、怒るときは怒るんだよ?」
案の定気色ばんだデレから、突如振動音が響いた。ショボンは自分の携帯を、
ゆびで軽く叩いた。デレは困惑した態で、プリクラの貼られた携帯を取り出した。
デレが携帯を開いても、ショボンには見えない。だが、内容はわかっていた。
携帯には、こう書かれている。
『声がでないんだ』
デレの視線が、携帯からショボンへと戻った。そんな顔をしないでほしい。
みじめさを痛感してしまう。デレが、部員のみんながいい人ばかりだからこそ、
期待に応えられないという事実に堪えられない。ショボンは次のメールを送った。
『こうしてるだけで吐きそうなんだよ。デレ、お願いだから』
最後の言葉まで打ち込むことはできなかった。
察してほしいと願うのは、虫のいいわがままだろうか。ショボンは視線を伏せた。
周囲の様子に気を配り、椅子を引く音が聴こえてくるのを待った。
ζ(゚、゚*ζ「ショボン、声はでないの? それとも出したくないの?」
待ち望んだ音は得られなかった。代わりに、質問を投げかけられた。
ショボンには答えられない。
ζ(゚、゚*ζ「ショボンが歌いたくないっていうなら、残念だけどそれはしょうがないよ。
ショボンの自由だもん。だけど勘違いしないで。合唱部を辞めた時点で縁を切ろうとか、
そんなことは絶対にありえないから。歌が上手だからショボンと友達になったんじゃないんだよ。
ショボンより前に歌がくるんじゃない、歌よりもまず、ショボンなの」
デレが身を乗り出してくる気配が伝わった。デレの声はいままでよりも真剣で、
かつ鋭い口調をしていた。胃がひっくり返りそうだった。
ζ(゚、゚*ζ「なんでもかんでも溜め込まないで。迷惑だと思っても周りに打ち明けて。
もっと友達を、私たちを頼って。嫌な話だから遠慮して聴かせない。
そう考えるのもわかるよ。だけどね、そんな気づかい、ぜんぜんうれしくなんてない。
それは、信頼してないって告白してるのと同じなんだよ。私の器はおっきいんだ。
ショボンが思ってるよりもずっと、何百倍も受け止められるんだよ。
ショボンはもっと、自分を晒すべきだよ」
ショボンは開きっぱなしの携帯で、新しいメールを書こうとした。
しかしそれはならなかった。手元まで伸びてきたデレのゆびが、
二つ折りのショボンの携帯を閉じてしまった。
ζ(゚、゚*ζ「伝えたいことがあるなら、直接口でいって」
待ち望んでいたはずの、椅子を引く音が聴こえた。その音は長く尾を引いて、
消えてしまうのが惜しいように思えた。足音がショボンから遠ざかっていった。
聴こえなくなってしばらく経ってから、玄関扉の閉まる振動が伝わった。
チーズタルトだけが残っていた。甘くておいしい、徳福屋の限定チーズタルト。
一日数個しか作られない、憧れのお菓子だ。ショボンは口を開いた。
だが、結局口に入れる前に置いてしまった。
『いる?』
アラマキくんも甘いものには目がない。促すまでもなく、
すぐさま食べてしまうだろうと思った。予想通り、赤い印象が視界を覆った。
ところが、意識がもどったあとも、チーズタルトはそのままの形で残っていた。
『声がでないって、ほんと?』
ショボンは答える代わりにうなづいた。嘘ではなかった。
通常の呼吸には支障なかったが、声を出そうとした途端に気道が閉じ、
息を吐き出せなくなった。
『もう歌うのはいや?』
矢継ぎ早に浴びせられた質問は、頭の中に様々な言葉を喚起した。
思いつくままに携帯へ打ち込んでいく。しかし、どうにもまとまらない。
気持と文章が乖離しているような気がする。ショボンは一度すべて消して、四文字だけ打ち直した。
『いいんだ』
『何がいいの?』
まだ質問は続く。
『全部。このまま家にこもって、アラマキくんと話していられれば、それでいい』
『それがショボンの望んでいること?』
『わからない。何かをしなきゃいけないって、焦りみたいなのはある。
だけど、どうすればいいのか、ぼくにはわからない。だからもう、いいんだ』
124 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/01/27(木) 23:16:47.28 ID:ENz7hFCf0
『うそだね』
携帯が軋んだ。知らず、手に力がこもっていた。
『焦燥感があるのは、どうすればいいか本心ではわかっているからだよ。
本当にどうでもいいなら、苦しんだりなんかしない。大切だから、簡単に切り捨てることができない。
大切であればあるほど、真正面から向き合うのが怖くなってしまう……』
胸をつかんだ。皮が引っ張られて、痛い。
けれど、こうしていないと、携帯に書かれていく文章を読むことができなかった。
『だけど、そこで留まっちゃいけない。やりたいことがある間、時は薬にはならない。
動かないでいても、結局苦しいままだよ』
『それじゃあ、アラマキくんが教えてよ』
子どもっぽい反抗心。しかし、それだけではない。
入れ替わる前に、続きの文章を書いた。
『アラマキくんの言うことなら、何にだって従うよ。勇気だっていくらでも出せる。
がんばって声も治すようにする。だから教えてください。ぼくはどうしたらいいの?』
すがらせてほしい。突き放さないで。ぼくに理由をください。
ショボンが書き終わってから、長い間入れ替わりは訪れなかった。
呼吸が荒いのは、乾燥した空気が原因だろうか。外からは自然音が聴こえる。
なのに、家の中には何もない。
書いた文章を消そうと、ショボンは携帯を操作した。
その瞬間、視界に赤色が差し込んだ。
『自分が何をしたいのか、どうしてこだわるのかは、自分で気づかないと、だめだ』
アラマキくんからの返答を受けて、ショボンは支離滅裂な反論を書き連ねた。
何でもいいから、書かずにはいられなかった。
しかし、いくら書いても、アラマキくんは返事をくれなかった。
体中が痛かった。ショボンは何もやっていない。原因はアラマキくんだ。
アラマキくんとは音信不通になっている。ショボンがいくら話しかけても、
一向に返事はなかった。しばらくは一心不乱になって携帯に打ち込み続けていたが、
それもやめた。一方的な語りかけは、むなしかった。
といって、アラマキくんがいなくなってしまったわけではなかった。
むしろ、積極的に体の主導権を支配していた。昼夜を問わず、ショボンの意識は
途切れた。睡眠と覚醒を無差別に繰り返していると、時間の感覚が狂った。
狂ったのは時間だけではない。体が気だるく、思い通りに動かせなくなっていた。
筋肉や関節が熱を持って、意識もはっきりしなかった。アラマキくんが自分の
時間を使って、ショボンの体を酷使しているようだった。
はっきりしない意識の中で、ショボンは自分に向けられた言葉の数々を
思い起こしていた。思い起こさざるをえなかった。アラマキくんとの会話で
発散できていたものが、今は自分の中で鬱積している。
ましてや声が出せない。独り言すら不可能だった。
意味もなく家の中を歩き回った。階段を登るとき、熱を持った膝が砕けそうだった。
しかし本当に苦しいのは、膝や腱ではなかった。出張前にシャキンが漁っていた箪笥は、
閉じきらずに開いていた。必要のなくなった衣服が、無造作に放り出されている。
そこに体温は残っていない。
いくつかは箪笥に戻し、使った跡のある衣服は洗濯籠に入れた。
洗濯籠には、着た覚えのないショボンの衣服が投げ込まれてあった。
鼻を近づけ、抱きしめた。乾いた汗の臭いがした。
楽譜を取り出して、歌詞とおたまじゃくしを眼で追った。
想像の中で、理想の音色が再生された。しかし、途中から音が止まった。
ソロパートに差し掛かった辺りだった。
ショボンは、ファイルしておいた合唱団時代の楽譜も読み直した。
姉の、そしてモララーの歌声が聴こえてくるようだった。
その間に、自分の声を合わせた。しばらくは順調だった。
だが、ふたりの声が消えた。ファイルの中ほどまで進んだところだった。
発散できずに溜まったものが、さらに重さを増した。姉と会いたかった。
思い出そうとしても、顔がかすんでしまう。もっと、生きているうちに
姉の姿を眼に焼き付けておくんだった。そこまで考えたところで、ふと気がついた。
アルバムがあるはずだ。シャキンは発表を見にくるたび、カメラを携帯していた。
そのとき撮った写真が、どこかにある。捨てたりしていなければ、
それはおそらくシャキンの部屋にあるだろう。
ショボンは階段を降り、シャキンの部屋へ向った。
先程入ったときには見当たらなかった。注意して探したわけではないが、
物の少ない父の部屋で、アルバム程度の大きさを見逃すとは思えない。
きっと、眼に見えない所に保管されてある。
閑散とした部屋に、押入れの荷物がうず高く積み上がった。
押入れが空になっても見つからず、今度は天袋を捜索した。
ほとんどの荷物を取り出した奥の奥、日常では絶対に手の届かない場所に、
口をガムテープで閉じられた紙袋があった。二度と開けることはないという意思を感じた。
その中に、アルバムはあった。
写真は父らしく、几帳面に年代順で並んでいた。
今の自分よりはるかに小さなつーの姿を見るのは、奇妙な感じがした。
そこにはおどおどと、情けない顔をしたショボンもいた。
たぶん、いまも対して変わってはいない。
136 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/01/27(木) 23:27:21.35 ID:ENz7hFCf0
年代が進むごとに、写真と記憶が符合していった。それにつれて、
胸苦しさにも拍車がかかった。しかし同時に、ショボンはある既視感に捉われていた。
この苦しさと同質のものを、かつてあの廃屋でも感じたことがあった。
記憶と一致するつーの写真を見つけたとき、ショボンはアルバムを閉じた。
いてもたってもいられなかった。意識が混濁している。
ただ、体は勝手に動いた。ショボンはアルバムを持って、家を出た。
姉が発表を見に来てくれなかった日、何を思ってあの廃屋にこもったのか、
思い出さなければならない。歌うことを放棄した理由を。
姉に、何を聴いて、見てほしかったのかを。
廃屋の片隅に座った。そこは、あの日ふるえていたのと同じ場所だった。
ショボンはアルバムを開いた。始めから最後まで見終えたら、また始めから繰り返し見た。
何度も見返して、ショボンは変化に気がついた。
写真に映った自分は、始めのうちこそ情けない顔をしているが、
次第にはっきりと、表情に自信が満ちてきていた。
『おまえは歌うべきだ。だが、後ろ向きのいじけた考え方で歌うことは許さねえ』
モララーの言葉が頭に浮かんだ。ようやく理解できた。
ショボンはかつて、自分の事がすきだった。だからこそ、自分を表現することに
喜びを感じていた。ショボンの歌は始めから、誰かに聴かせる為の自己表現だった。
表現を伝えたい相手は限られていた。極少数の友人、シャキンに、なによりつーだった。
だからショボンにとって、つーの来ない発表会に意味はなかった。ショボンはつーに、
自分はこんなにすごいのだと、立派なのだと、そしてそれが、つーのおかげだということを、
表現して見せたかったのだ。
『ショボンはもっと、自分を晒すべきだよ』
当時のショボンは、一から百まですべて自分のために歌っていた。
過去の栄光や、他人のためという不純を交えず、ただ“今の”自分を表現するために歌う。
ショボンの声が澄んでいたのは、声変わりしていないからではなかった。
純粋に利己的だったからなのだと、ついに気づくことができた。
『自分が何をしたいのか、どうしてこだわるのかは、自分で気づかないと、だめだ』
夜闇で写真が見えなくなっていた。いまにも、自分を呼ぶ声が聴こえてきそうだった。
気づくのが遅すぎた。ショボンののどはもう、歌を響かせることを許さない。
胸苦しさが、ピークに達していた。
この苦しさの正体も、いまやもう判然としていた。歌いたい、表現したいという欲求。
胸をかきむしり裂けた部分からでも、声をふるわせたい。
いま持てる我がすべてを、表現しつくしたい。
ショボンが廃屋へ逃げ込んだ理由は、つーが来てくれなかったから、
だけでは正解にならない。当時のショボンにとって、表現することはイコール姉に
見てもらうことだった。ショボンは単純に、歌いたかっただけなのだ。
なんとわがままで、身勝手で、純真なのだろう。
ショボンはいま、自分のことがすきだと、自信を持っていうことはできない。
しかし、表現したいという欲動は、かつてと同じか、それ以上に沸き上がっていた。
142 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/01/27(木) 23:46:10.32 ID:ENz7hFCf0
ショボンは階段を登った。のどの奥が痙攣している。
歌いたい。声を上げたい。
(;´ ω `)「――っ――」
声がでない。詰まった吐息だけがもれる。
(;´ ω `)「――っ――ぁ、ぁ――ぁ、っぁ――」
崩れた床に足を突っ込んだ。
体が落ちそうになるのを、這いつくばって堪える。
(;´ ω `)「ぁ――ぁぁっ――ぁぁああああ――」
立ち上がって、立ち上がって、あの日のふたりに、ぼくはここにいるよと叫ぶ。
(#´;ω;`)「あああああああああああああああああああああああ!!」
赤く意識が途切れた。
ベッドで眼が覚めるのは久しぶりな気がした。
テーブルに置かれたアルバムは、アラマキくんが持って帰ってきたのだろう。
起ったことはかろうじて覚えている。あれは、夢ではなかった。唾液を飲み込んだ。
枕の上で、頭を動かした。アラマキくんのぬいぐるみが見当たらなかった。
寝起きと共に視界へ飛び込んでいたのが当り前になっていったので、違和感があった。
ショボンは立ち上がり、部屋の中を見回した。見つからない。
アラマキくんは居間にいた。そこにあったのは、アラマキくんだけではなかった。
仰向けに寝転がったアラマキくんが、携帯を抱きしめていた。
隣には白色で装飾のない皿の上に、楕円形をしたオムライスが乗っていた。
半熟卵の割れ目からは、まだ湯気が立ち昇っている。
アラマキくんから携帯を受け取り、ボタンを押した。
当り前に、アラマキくんからのメッセージが表示されると思った。
予想に反する画面が映った。
録音した音声データが並んでいる。その一番上に、覚えのないタイトルが付いている。
『歌ってみた』と書かれたそのデータを、ショボンは再生してみた。
文化祭で歌った曲が、ショボンの声で流れ出した。
しばらく聴いていて気づいた。流れる声は、たしかにショボンの体を使っている。
だがそれは、ショボンの歌とは隔絶していた。細かなテクニックの差異ではない。
芯や根本のところで、表れが異なっていた。
オムライスを乗せた皿の影に、保護色をした紙片が折りたたまれて隠れていた。
拡げると、そこには肉筆の文章が書かれていた。差出人はアラマキくん。
ショボン宛の、手紙だった。
『私からショボンへの、初めてのお手紙です。携帯ではいっぱいお話したから、
なんだか変な感じ。ちょっと照れちゃうね。
歌、聴いてくれてるかな? 合唱については門外漢だから、
あんまり自信はないんだけど、どうだろ?
ちょっとでもいいところが見つかったなら、うれしいな。
歌ってみて、よくわかったよ。ショボンは歌に対して、本当に真剣なんだね。
おんなじ体でも、やっぱりぜんぜん違う。私じゃショボンみたいに歌えない。
きみが昔どんなにすごかったのか、私は知らない。だけど安心していい。
きみの歌、今だってとても素敵だよ。私が保証する。ショボンの歌声、私はすきだよ。
本当はずっと、歌ってって、いいたかったんだ。だけど、いわなかった。
だって、それよりもずっと、自覚してほしかったからさ。
きみがどんなに素敵なのかって、きみ自身に知ってほしかったんだ。
だから、これは私のわがまま。気づいてくれて、ありがとうね。うれしい。
私が作ったオムライス、いま、たべてくれてるのかな?
ショボンの歌ほどじゃないけど、私のオムライスもいろんな人にほめられた、自慢の一品なんだ。
おいしくて、お腹が膨れたら、ね、勇気をだして、やりたいことと向き合いにいこ?』
音楽の再生が終わった。ショボンはもう一度リピートすると、
曲が流れている間にオムライスを平らげた。
151 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/01/28(金) 00:00:41.67 ID:tiBhD1nx0
事故に遭った日のことを思い出していた。
あの日も授業が終わってから、人目に付かないよう気をつけて校舎に侵入した。
階段を登った辺りから、威勢の良い歌声が届いてくるのも同じ。
あの日はそうして、扉を開けるのをためらっていた。
だが今日は、違う。ショボンは取っ手に手をかけると、一気に横へスライドさせた。
部屋の中が静まった。次第にざわめいた。暖かく迎え入れてくれる空気はない。
仕方のないことだ。それも、覚悟の上だ。
デレ、ペニサス、渡辺、ヒートやヒッキー。渋澤に、モララーもいる。
願ってもない状況だった。ショボンは全員が見渡せる場所まで歩を進めると、
腰を折り、頭を下げた。
(´・ω・`)「すみませんでした。ぼくに、歌を歌わせてください」
頭を上げた。みな、距離を取って成り行きをうかがっている。
すべての視線がショボンへと向いていた。多様な表情の中心に晒されている。
しかしそれは、真正面から受け止めなければいけない。
頭を、顔を、心を下げて、自虐の愉悦へ逃げようとするのはもうやめだ。
だれも動かなかった。受け入れがたいのだろう。文化祭での失敗よりも、
無断で欠席したことが引っかかっているに違いない。ショボンが何を考え、
どう苦しんだとしても、そんなことは関係ない。
厚顔無恥と受け取られるのが、むしろ当然だと思えた。
だがその中でひとり、デレだけは何か声をかけようとしている様子を見せていた。
ただ頭の中で言葉がまとまらないのか、実際に何かを口にすることはなく、
ゆるやかな足取りで近づいてきた。しかし、それを遮る者がいた。
( ・∀・)「ダメだな。おまえのパートは、いまは俺が担当している」
モララーが不敵な笑みを浮かべながら、ショボンの前に立ちはだかった。
( ・∀・)「歌わせてほしいだと? おまえのヘマでこいつらがどれだけ
恥ずかしい思いをしたか、わかってていっているんだろうな。
おまえがほったらかしにしていた間、どれだけの混乱があったかも知らないだろうが」
モララーの言葉は、部員全員の代弁といえた。ぐうの音もでないほどの正論だ。
しかしだからといって退くつもりはない。ショボンは精一杯、モララーをにらみつけた。
モララーは、うれしそうに口角を吊り上げた。
( ・∀・)「練習もせずに塞ぎこんでいたやつが、いまさら歌えるかどうかも疑問だ」
(´・ω・`)「証明してみせるよ」
ショボンはモララーから視線を外し、ある人物へと方向転換した。
(´・ω・`)「渋澤先生。先生は、実力主義者なんですよね?」
静観を決め込んでいた渋澤を、話の中心に引きずり出す。
渋澤は動じた様子もなく、切れ長の鋭い目を鈍く光らせていた。
(´・ω・`)「ぼくがいま、実力で結果を示します。モララーよりもぼくの方が有能だと、
証明してみせます。ですから、ぼくに歌わせてください」
大それた発言に、周囲がどよめいている。
だが、渋澤は普段どおりの不機嫌な表情を崩さない。
_、_
( ,_ノ` )「あんなみっともない真似は二度とごめんだ。俺は慈善家じゃない」
(´・ω・`)「ですが、ぼくと同じ音楽を愛する者です」
渋澤の鋭い目が拡がった。真っ直ぐにショボンの目を捉えてきた。
ショボンも、視線を逸らさない。
先に折れたのは、渋澤だった。
_、_
( ,_ノ` )「これで最後だ。もうチャンスもやらんぞ」
(´・ω・`)「それで結構です。このまま手を拱いていたって、何も変わらない」
渋澤が課したテストは、最後までひとりで歌いきるというものだった。
もちろん可否は出来で決定する。ごまかしは利かない。
ショボンは衆人環視の中、準備運動を始めた。歌詞は頭に入っている。
音譜も思い出せる。のどをふるわせれば、声もでる。
ほほ、背中、腹筋、すべて異常はない。準備は万端――ではない。
ひとつだけ、絶対にやっておかなければならないことがあった。
(´・ω・`)「ちょっとだけ、待ってもらえますか」
ショボンは息を吸い、吐く行動を繰り返した。一呼吸ごとに、肺が拡がる。
溜められる保有量が増えていく。供給過多で視界が白んだ。
息を止めた。限界まで肺が拡がった。
ショボンは思いきり――のどを通過する風圧は、原始的で暴力的だった――
オムライス――部員たちが耳を塞いでいるのが、閉まった窓が振動しているのが見えた――
と叫んだ。
(´・ω・`)「……よし、いきます!」
ショボンは歌い始めた。むつかしいことはない。
今まで練習してきたことを信じて、その上で自分を表せばいい。
歌いながら、自分の声に耳を傾けた。比較ではない、自分本来の歌声。
ぼくの声はこんな音色だったろうか。携帯に録音した歌なら、何度も聴き返していた。
しかしいままでは、かつての自分といかに異なっているかという点にしか
意識が向いていなかった。初めて、自分自身と向き合えた気がした。
合唱団に所属していたころ、ショボンは歌うことを求めてやまなかった。
それはたのしいようでも、苦しいようでもある、形容しがたい感覚だった。
胸が締め付けられるようで、身悶えすることもあった。
けれど離れられなかった。もっともっと、触れていたくて仕方がなかった。
だからこそ、持てるすべてを出し切れた。だからこそ、それでも物足りなかった。
全力の枠を拡げるために、いくらでも自分を鍛えられた。
いまもそうだった。歌っても歌っても、まるで満たされない。もっと歌いたい、
もっと表現したい。見習うべきは、天使と比喩される澄んだ歌声などではなかった。
この欲求、飢餓感こそが、何よりも大切で、愛おしいものだったのだ。
問題のソロパートが迫っていた。ここから難易度が跳ね上がる。けれど大丈夫。
アラマキくんが、ぼくの代わりに弛んだ体を叩き直してくれたのだから。
全身に堆積していた熱と痛みは、必要なトレーニングの名残だということが、
携帯に録音された歌を聴いていてわかった。
それに、アラマキくんはいってくれた。ぼくの歌がすきだと。
他人に認められるという出来事は、自分では手の届かない箇所を活性化させる。
自分が、全力が、可能性を振り切って拡大していく。
だから、ほら、こんなにもぼくは歌えている。
ソロパートだろうと、なんだろうと、どこまででも、表現できる。そして――
体が熱い。呼吸も荒い。持てるすべては出し切った。
どのような結果になろうと、受け入れる覚悟はできている。
渋澤はロダンの“考える人”のような格好をして、沈黙していた。
固唾を呑む。それはショボンだけでない。部室の人間全員が、
渋澤の動向に注目していた。たっぷりと間を置いてから、渋澤が静かに口を開いた。
_、_
( ,_ノ` )「……どうして本番でそれができなかったのかね」
('、`*川「ということは」
ペニサスの合いの手が入った。
渋澤は一度ペニサスの方へ視線を寄こしてから、片手を上げた。
_、_
( ,_ノ` )「後は部長に任せる。好きにしてくれ」
話の主導が、渋澤からペニサスに移った。
渋澤からの許しは得たも同然だったが、一向に気が休まることはなかった。
渋澤は実力主義者だ。本人も言っていたとおり、結果を示せれば多少の
無理でも融通してくれる。感情よりも、実利を重んじているといってよかった。
だがペニサスは違う。ペニサスは多くの人と同じように、もっと人間的だ。
判断の決め手は、個人的な好悪に依存するだろう。なにより――
『私にとって明日が、文等中でやる最後の合唱だからな』――
ショボン自身が、強気になれそうになかった。
(´・ω・`)「部長、最後の文化祭をぶち壊しにしてしまって、本当にすいません。
だけど、ぼくは歌いたいんです。お願いです、ぼくに、歌わせてください」
早口にそれだけいうと、ショボンは唇を強くかみ締めた。
体が強張っているのがわかる。渋澤と相対していたときよりも、はるかに逃げ出したい。
ペニサスはむつかしい顔をしている。何を考えているのか、
表情からでは推し量れない。黒く張りのある髪が、目元にかかっていた。
それがゆれた。
('、`*川「あの日、親父とお袋が見に来てたんだ。娘の晴れ舞台だとか言って、
年甲斐もなくはしゃいでたよ。面目丸つぶれになっちゃったけどな」
167 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/01/28(金) 00:16:38.36 ID:tiBhD1nx0
口内に鉄臭い味が拡がった。真綿で首を絞めるようなやり方だった。
きっとペニサスは、自分を恨んでいるのだろう。
そう思われても仕方ないと、ショボンは思った。
だがペニサスは、ショボンの想像を裏切って、わらった。
格好良い笑顔で、両指をショボンの顔へと近づけてきた。
('ー`*川「だから、次の大会で名誉挽回せにゃならんのだ。
今度こそしっかり頼むぜ、ショボくれくんよ」
ペニサスのゆびがショボンの眉を吊り上げた。まぶたが引っ張られる。
相当おかしな顔となっているに違いない。ただそれは、
眉を持ち上げられているからだけではなかった。
('ー`*川「返事」
(´・ω・`)「……はい!」
今回は、自信を持って返事をすることができた。
ノハ*゚⊿゚)「せんぱーいっ!」
空気を割って、ヒートが突進してきた。
ヒートはショボンの手を握ると、しっちゃかめっちゃかに振り回してきた。
ノハ*゚⊿゚)「ずっと待ってましたっ! うれしいですっ、あたしうれしいですっ!」
抑えきれない感情が爆発しているようだった。
ヒートが自分のことをこんなに慕ってくれていたとは、知らなかった。
ショボンは腕をあちこちに引っ張られながら、自分も姉のように、
人に頼られても揺るがない、立派な人間になれるだろうかと思った。
ノハ*゚⊿゚)「あ、すいませんっ。あたし、興奮しちゃってっ」
ヒートは手を離すと、素早く背中に隠した。
困ったようでいて、それでも笑顔は崩れていない。かわいい子だと思う。
容姿だけでなく、性格的にも。だからこそ、ヒッキーも惚れているのだろう。
そのヒッキーが、ヒートの前で両手を突き出していた。
(-_-)「ぼくなら、いつでも、オッケー」
ショボンの代わりに、ヒートの衝動を受け止めようというのだろう。
意図があからさま過ぎて、もはやほほえましかった。いつもどおりの日常だ。
そしてその意図を理解しない者がたったひとり――。
ノハ*゚⊿゚)「なにがっ?」
ヒッキーの手が、むなしく空を握っていた。これもまたいつもどおりだ。
泣きたくなるくらいの日常だ。部室の中に、緊張した空気はもうない。
哄笑の響く第二音楽室へ、ぼくは帰ってくることができた。ところが――。
ζ(゚、゚*ζ「ちょっと、モララー!」
デレの声が、笑い声を突き破った。帰り支度を済ませていたモララーが、
いつの間にか扉を開けて出て行こうとしていた。再び静まりかえった部屋の中で、
モララーはごく自然に振り返ってみせた。
( ・∀・)「俺は代理だからな。本人が戻ってきたなら、いても意味がない。シブ先、構わんだろう?」
_、_
( ,_ノ` )「やる気のないやつはいらん。好きにすればいい」
( ・∀・)「と、いうわけだ」
ζ( 、 *ζ「でも、せっかく一緒に歌ってきたのに……」
デレの声はふるえている。
モララーも気づいたのか、目を拡げて意外そうな顔をしていた。
( ・∀・)「……まあ、なんだ。やることがあるんだよ。……おまえら!」
モララーの号令に、モララーの部下たちが一斉に背筋を伸ばした。
ヒートの気を惹こうとしていたヒッキーすらも、直立姿勢で引き締まった表情に変貌した。
( ・∀・)「俺がいない間も、手ぇ抜いたりすんじゃねえぞ。おいショボン、
今度へたれてみろ。俺が直々に首絞めてやる。それとな――」
部下へ、そしてショボンへ、それぞれの言葉を言い残したモララーは、
もう一度デレの方へ向き直った。ショボンは少なからず驚いた。
モララーはいままでにない、角の取れた、やわらかな笑みを浮かべていた。
( ・∀・)「結構たのしかったからな。じゃあな、デレ」
扉が閉まった。
ノハ*゚⊿゚)「さっきのあれっ! 『相克』のジョルジュがやってたやつですよねっ!?」
部活が終わった直後に、ヒートが詰め寄ってきた。
“あれ”がなんのことを示しているのかわからず訊いてみると、
アラマキくんが教えてくれたおまじないのことだと判明した。
ショボンは知らなかったが、思ったよりもポピュラーなげん担ぎなのかもしれない。
ノハ*゚⊿゚)「でも、最近はやってないみたいなんですよっ。劇団員時代は、
公演のたびに『わー』って叫んでたそうなんですけどねっ」
ヒートは情報を披露するのがたのしくて仕方ないといった様子で、
いまにも飛び跳ねてしまいそうに見えた。こちらまで感化されて、元気になりそうだ。
まるで去年のデレみたいだなと、ショボンは思った。
自然に振舞っているだけで、周りを明るくしてしまう。何度助けられたか知れなかった。
できるなら、これからも関係を保ち続けたかった。
ζ(゚、゚*ζ「それじゃ、お疲れ様です……」
デレはひとり、談笑を外れて部室を出て行った。
ショボンはデレが完全に見えなくなっても、目で追うことをやめなかった。
ノハ*゚⊿゚)「一緒に帰らなくていいんですかっ?」
ヒートは不満そうな顔をして質問してきた。答えに窮した。
部員のみんなとは打ち解けることができたが、デレとの垣根はまだ残ったままだった。
ショボンとしては、情けない姿を見られた負い目があって近づきづらい。
デレにも、何らかの引け目が残っているのかもしれない。
ノハ*゚⊿゚)「先輩がいない間大変だったんですよっ!
デレ先輩、モララー先輩と口論ばっかりしててっ」
从'ー'从「おかげでお通夜にはならないですんだけどね~」
どこかから割り込んできた渡辺が、意味ありげな笑みを寄こしてきた。
ショボンにもある程度、意図するところは理解できた。
しかし、ヒートにはまったく伝わらなかったようだ。
渡辺を押しのけかねない勢いで、ショボンに迫ってきた。
ノハ*゚⊿゚)「それもこれも先輩のせいですっ! 今すぐ追ってってあげてくださいっ!
だってその、先輩とデレ先輩って、その……そういう関係なんですよねっ!?」
ヒートの顔は真剣そのものだ。うっすらとほほに赤みが差している。
どうやらヒートは、根本的なところで勘違いしているようだった。
そう知って思い返してみると、ヒートの見せてきた不可解な態度に対する疑問が、一気に氷解した。
(´・ω・`)「いや、ぼくとデレは付き合ってるとか、そういうのではまったくないよ?」
なんともまぬけな顔になった。女の子なんだから、人前でその顔はまずい。
後ろでは渡辺が口を隠してわらっている。わかってたなら、教えてあげればいいのに。
ノハ;゚⊿゚)「あの、あれっ? え、あたしてっきり……」
从'ー'从「そうだね~。デレちゃんの気持はいま、
見当違いの方向へぐーるぐる回ってるからね~。でも――」
渡辺がショボンの手をにぎってきた。小さくて、やわらかい。
首をかしげてわらいかけている。だがそこに、渡辺特有のおちゃらけた印象はなかった。
从'ー'从「フォローはしてあげてね、気に病んでたのは事実だから。
あの子基本的に素直で、おばかなのよ」
渡辺はにぎっていた手を離すと、宙に浮いたショボンの手を素早くはたいた。
さっさと行きなさいという、渡辺なりの合図なのだと受け取った。
ショボンは押し出されるようにして、デレの後を追った。
学校を出てすぐのところで、デレを発見した。歩調が遅い。
追いつけたのは、そのためらしかった。ショボンはデレに並んだ。
デレは反応しなかった。視界には入っている。
しばらくの間、ふたりして無言のまま歩き続けた。
ζ(゚、゚*ζ「モララーのやったことって、ショボのためだったのかな」
何か話しかけなければ。しかし何といえばいいのかわからない。
そう思って黙り込んでいたショボンより先に、デレの方が話しかけてきた。
デレの視線は下を向いて、ショボンを見ようとはしてこない。
デレの言葉が今日のことを指しているなら、それはおそらく正しい。
モララーが突っかかってこなかったならば、部員たちも、
ショボンをあそこまですんなりと受け入れることはできなかっただろう。
禍根は残っていた。それはきっと、ペニサスを含む正規部員も変わらない。
モララーはショボンのために、悪役を買ってでてくれたのだ。
たぶんそれは、モララー自身における清算という意味合いもあったのだろう。
モララーは、信念どおり自分の勝手を貫いた。そして、ショボンはそれに感謝をした。
それだけの、単純な図式だった。
ζ(゚、゚*ζ「私、そんなの全然気づかないで、当り散らしてた」
けれど、デレにはそう、簡単に捉えることができないようだった。
デレは責任感が強い。ちょっとお節介なところもあるが、基本的には面倒見がいい。
曲がったことも嫌いなのだと思う。だからこそ、真実を知ったいま、
自分の身勝手な行動が許せなくなったのだろう。
ζ( 、 *ζ「モララーだけじゃない。シブ先のことにしたって、
よく知りもしないのに一方的に嫌って。ショボにも偉そうなこといったくせに、
自分はぜんぜんしっかりしてないで。私って、ダメなやつなんだなあ……」
悲痛な面持ちでそう語りかけるデレの姿は、
たしかにダメなやつにしか見えなかった。
(´・ω・`)「モララーってさ」
それでも、引きこもっていたときのショボンほどではない。
あのときのショボンは、本当にダメな、情けない姿をしていただろう。
それは自覚している。それでも、こうして変化することができた。
デレに、できないわけがない。
(´・ω・`)「わかりづらいんだよ、昔っから。周りに相談しないで、
全部自分だけで納得してるから。他人がやきもきしてても知らんぷり。
ひとりで澄ましてたりしてね。いやなやつだよ。でも、すごいやつだと思う」
だけど、ぼくらはそうじゃない。モララーのように強く、自己完結しては生きていけない。
仕方のないことだ。しかし、それは決して不幸なことではない。
(´・ω・`)「『なんでもかんでも溜め込まないで。迷惑だと思っても
周りに打ち明けて。もっと友達を、私たちを頼って』」
以前デレからぶつけられた言葉を、そっくりそのまま返した。
この言葉をぶつけられる痛さは身をもって知っていたが、その効果も同様に知っていた。
いまのデレにとって、なにより必要な言葉だと思った。
(´・ω・`)「ひとりで出来ることなんて高が知れてる。間違いだっていっぱい犯すよ。
些細なことで気が沈んだりする、そういうのが“ぼくら”だ。けれど、
ひとりじゃないから支えあえる。もっと頼っていいんだよ。自慢じゃないけど、
ぼくの器もそれなりの広さがあると思うよ。デレほどじゃないにしても、さ」
デレはもう、うつむいてはいなかった。
夕陽を浴びて中空を見つめている姿は、デレ本来の表情ではないにしろ、きれいだった。
ζ(゚、゚*ζ「……いまは、自分でもまとめられないの。自分の感じてることが
どういう意味を持ってるのか、よくわからない。だからいえない。でも――」
デレがこちらを向いた。
ζ(゚ー゚*ζ「そのうち、相談すると思う。そのときは、いやだっていっても頼りに行くからね」
はにかんだ笑みを浮かべたデレのほほは、夕焼けのためか、赤く染まっていた。
分かれ道の十字路までやってきた。言葉少なな帰り道ではあったが、
それはけして苦痛な沈黙ではなかった。だから、気分良く別れることができる。
それじゃあね、また明日。簡単な挨拶をして、ふたりはそれぞれの帰路へとついた。
そこでふと、ショボンはやり残していたことを思い出した。
(´・ω・`)「そうだデレ、いい忘れてることがあった」
デレが振り向いた。何事かと、疑問に思っているだろう。いまさら口にするのは、
実は恥ずかしい。けれど、『伝えたいことがあるなら、直接口でいって』と
釘を刺されているのだ。たまには、恥ずかしいのも、いい。
(*´・ω・`)「ありがとう」
きょとんとした顔をしている。ついで、ひたいを指でいじり始めた。
ショボンも恥ずかしい。しかし、面と向っていわれる方も照れくさいものだ。
デレは、ひたいいじりをやめて、ショボンのことを真正面に捉えた。
ζ(^ー^*ζ「どういたしまして!」
やはりデレには、笑顔が似合う。
家に帰ったショボンは、散らかし放題のシャキンの部屋に着手した。
アルバムの他には、特に興味を惹く物はなかった。しかし、
作業は一向にはかどらなかった。時計を見上げた。七時を少し回っていた。
張っておいた湯に浸かった。目をつむって、眠ろうとした。
結局眠ることはできず、ただ瞳を休めることに終始した。体を洗い、上がった。
一時間は経過していると思ったが、実際は三十分も経っていなかった。
時計を見るのはやめようと思った。
練習する気にもなれず、ショボンは携帯に書かれた文章を読み返した。
デレたちからもらったメールも、素直に読むことができる。気恥ずかしさはあった。
だがそれよりも、合唱部に入ってよかったと思う、感謝の気持が勝った。
当然、それはデレたちだけへの感謝ではなかった。
雑誌も、本も、集中して読めなかった。何かおもしろい番組がやっていないかと、
ショボンはテレビをつけた。画面に『相克のハルカタ』のジョルジュが映った。
そうか、今日は『相克』の日か。いまのいままで忘れていた。
(´・ω・`)「……え?」
走り去っていくジョルジュがフェードアウトするのと同時に、
女性ボーカルの歌声が流れ出した。久しく聴くことのなかった、
『相克のハルカタ』エンディングテーマ曲だった。
ショボンは時計を確認しようとした。
だがそれよりも前に、意識が薄く赤に溶けた。
「部活に没頭するのもいいが、学生の本分は勉強だ。もういい、座りなさい」
数学教師の叱責が終わり、ショボンは着席した。数学はけして不得手ではない。
方程式や関数はパズルのようですきだ。理路整然とした証明問題を解くのはたのしい。
ただ、いまはそれどころではなかった。
あの日から数日が経過していた。あの日、入れ替わりの時間が普段よりも遅れた日――
そしてその翌朝。待ち望んでいたアラマキくんからのメッセージは、なかった。
そのときにはすでに、いやな予感がしていた。
疑いが深まったのは、その日の夜と翌朝だった。
入れ替わる時間はさらに遅れ、眼が覚めたのは夜中だった。
ショボンは急いで携帯を確認した。昨日とは異なり、携帯は開きっぱなしで置かれていた。
『ごめんね、寝ぼけてたんだ』
異変が起っているのだと確信した。アラマキくんは尊大で、自分勝手で、
なにをしたって自分から謝ることはなかった。それを裏付けるように、
アラマキくんの時間は日に日に短くなっていった。
アラマキくんにそのことを尋ねても、はぐらかして、答えてくれなかった。
兆候は他にもあった。入れ替わりの際に生じる赤色が、徐々に暗く、薄く、
弱まっていくのを感じた。強い生命力を感じた鼓動感も、薄ぼんやりと
周囲に溶けてしまっているようだった。
なぜこうなってしまったのか。
何度も、何時間も、何日間も考え続けた。それは必要のない時間だった。
ショボンの頭の中では始めから、ひとつの結論が占められていた。
認めたくないために、時間を引き延ばしていただけだった。
けれど、もう、猶予がない。
(´・ω・`)「すいません、トイレに行ってきてもいいですか!」
教室を抜け出して、人気のない場所を探した。
屋上前の踊り場が、その条件に適っていた。
ショボンは階段の一番上の段に座ると、携帯を取り出し、
弾き飛ばすようにして二つ折りの部分を開けた。
(´ ω `)「アラマキくん、答えて」
携帯を操作して、メモ帳の画面を開いた。
まっさらな画面が映し出される。ボタンを押せば、そこに文字が入力される。
しかし、とてもそんな感じはしなかった。
(´ ω `)「全部、ぼくのせい?」
本来ではありえない時間に表へ出て来た。特にショボンを叱咤してからは、
半日以上使って体を鍛えてくれていた。
これ以外に、原因は考えられなかった。どういう仕組みに
なっているのかはわからない。しかし現実に、アラマキくんの時間は
減ってしまっている。そしてそれは、ショボンが始めからしっかりしてさえいれば、
防げたはずの事態だということを意味していた。
(´ ω `)「違うのなら、出てきて」
このままときが経ち、あの赤色が完全に消滅したら――。
考えたくはなかった。だが、想像せざるをえなかった。
すべてが杞憂であったならば。一縷の望みを胸に、ショボンは懇願した。
(´ ω `)「一瞬でもいい。お願いだよ。勘違いだって、笑い飛ばしてよ……」
画面は真白いままだった。
続き(´・ω・`)朝焼けディミヌエンドのようです 第三幕