February 23, 2011
夜のガスパールのようです ―終わらぬ縄目のようです―
*注意*
今夜の投下にはグロテスクな表現が含まれます
苦手な方は読むのをお控えください
Le Gibet
吊られたのは、一人の女
終わらぬ縄目のようです
*―――――*
(゚、゚トソン
朝、目を覚ますと涙が頬を伝っていた。
どうしてだかは分からない。
きっと悲しい夢を見ていたのだろう。
どんな夢だか忘れたが、誰の夢だったのかは分かる。
わたしは寝床から身を起こすと、ぐっと体を反らせた。
腰痛とも、もう馴染みの仲だ。
そう思うとついつい自嘲的な笑いが漏れてしまう。
寝室を出ると、埃っぽい廊下を朝日が照らしていた。
窓が汚れているせいで、黄ばんだような嫌な感じの光に見える。
一歩踏み出すごとに、板がきぃきぃと軋んだ。
帰ってきたら真っ先にこの辺りを綺麗にしよう。
徒然とそんな事を思いながら、わたしは義母の部屋に向かった。
わたしの朝は、お義母さんのオムツ替えから始まる。
从'ー'从「……」
(゚、゚トソン「おはようございます」
義母は目を見開いたまま天井を見ていた。
彼女は毎日どんな気持ちでそこを見ているのだろう。
何の変化もない、面白みのない木目を。
……私の想像を絶する退屈なのだろうな。
(゚、゚トソン「お義母さん」
私の手にはいつの間にか包丁が握られている。
从'ー'从「……」
義母が目だけ動かしてこちらを向く。
目は見開かれるでもなく、恐怖でぎゅっと閉じられるでもなく、
気味の悪い半目のままだった。
(゚、゚トソン「オムツ、替えますね」
そう言うとわたしは仰向けでいる彼女をひっくり返し、
包丁で着衣を切り裂き、オムツを剥ぎ取ると彼女の尻と性器を丸出しにしてやる。
わたしはそのやせ衰えた尻を持ち上げると、性器に包丁を深々と突き刺した。
(゚、゚トソン「よいしょ」
よく研いだ刃が、下からクリトリスを押し上げしまいには両断する。
奥まで切っ先が到達する頃には、恥丘の方まで彼女の性器の穴は拡がっている。
皮を切るときのつぷつぷという感触が、手に伝わってくる。
血は、あまり出ない。
老人なので多分血が少ないんだろう。
私は勝手にそう思う。
(゚、゚トソン「もうすぐ済みますから」
柄のところまで入った包丁を、今度はぎりぎりと回す。
回転で彼女の性器の入り口部分は完全にえぐれ、そこには代わりに赤黒い肉が露出している。
血が、包丁の柄を伝わってシーツにぽたぽたと垂れる。
(゚、゚トソン「はい、すみましたよ」
性器周りを拭き終わったわたしは、汚物のついたタオルを専用のバケツに放り込んだ。
そして、新しく下ろしたオムツを彼女に付けてやる。
ふう、今日はスムーズに済んだな。
(゚、゚トソン「じゃあ、私はこれで。
もう少ししたらヘルパーさんが来ますので」
時計を見ると、もうすぐ午前五時になろうかと言うところだった。
これから適当に食事を作って、仕事着のジーパンに足を突っ込んでから化粧をして……。
まったくもってあわただしい朝だ。
まあ、朝なんてみんなそんなものなのだろうけれど。
私が支度を済ませた頃に、ようやくヘルパーさんがやって来る。
('、`*川「おはようございますー」
(゚、゚トソン「あ、おはようございます。
オムツはもう替えましたので……。
じゃあよろしくお願いしますね」
('、`*川「はーい、じゃあ行ってらっしゃい」
少し投げやりな感じの「行ってらっしゃい」を背に、私は靴べらに手を伸ばす。
……今日も午後五時までみっちりシフトに入っているのを思うと、
その薄いビニール製の板が鉛のように重く感じた。
('、`;川「うわっ!」
(゚、゚トソン「?」
その時だった、ヘルパーさんがうわずったような声を上げた。
何事かと家の中に戻ると、台所で彼女が真っ青な顔をしている。
見ると、手には真っ赤な包丁が握られている。
(゚、゚;トソン「どうしたんですか!
もしかしてケガとか…」
('、`;川「あ……すみません変な声出して…。
私は大丈夫です」
そう言うと彼女は包丁をシンクの中に置いた。
底に溜まっていた水が、瞬く間に赤く染まっていく。
なんだろう……血のように見えるが。
('、`;川「包丁立てから抜いたらすでにこんなになってて。
これ、なんでしょうね?」
(゚、゚トソン「さあ……私、昨日は包丁使ってないんだけど……」
('、`;川「じゃあもしかして……おかあさんが?!」
(゚、゚;トソン「えっ!」
そう言うが早いか、ヘルパーさんは義母の寝室に入っていく。
私も急いでその後を追いかけた。
だが妙な話だ。
朝、私がオムツ替えしたときは何の異常もなかった。
そもそも、義母は起き上がれない。
じゃあ、あの血のようなものは何だというのだ?
从- -从
('、`*川「……大丈夫そうですね」
(゚、゚トソン「ええ、私が朝ここに来たときのままです」
義母の体にケガがないか確認したが、傷などはまったく見られない。
誰かの悪戯かと二人で戸締りを確認しても見たが、トイレの小窓までしっかり鍵がかけられている。
……いよいよ訳が分からなくなってくる。
だが、ここでいつまでもこうしている訳にも行かない。
そろそろ遅刻してしまいそうだ。
(゚、゚;トソン「……そういえばちょっと前に秋刀魚をその包丁で切ったような気がします」
('、`*川「さんまですか?……でもさんまを切ってこんな風には……」
(゚、゚;トソン「あ、ごめんなさい!わたし、もうでなくちゃ!」
('、`;川「え!ちょっと都村さん!」
わたしはヘルパーさんを振りきって家を飛び出した。
まあ、彼女も面倒なことに首を突っ込みたくはないだろう。
きっとうやむやになって終わり……そうであってほしい。
とにかく私は自転車に飛び乗るとバイト先のスーパーへ直行した。
必死に自転車を漕いでいる私を、犬の散歩のおばさんが怪訝な顔で見送る。
……こうして急いでいるところにああいう呑気な人を見ると、殺意が湧いてくる。
それから二十分後、三十代の体に残された全力を使い果たしながらも、
私は時間内にタイムカードを押し、なんとかレジにたどりついた。
真冬なのに玉の汗を浮かべている私を、通りがかった店長が見て笑う。
( ^ω^)「おっお、都村さん大丈夫かおwww」
(゚、゚;トソン「……ええ」
テメーはこんなところで油売ってやがって……いいご身分ですこと。
イライラした気分を隠すのにはまったく苦労する。
特にこいつの前では。
( ^ω^)「もっと余裕を持って行動しないとダメダメだお。
……ところで、“お客様の声”でまた馬鹿な客がいたんだお」
(゚、゚トソン「……はい」
私は目の前の男がごちゃごちゃと愚にもつかない事を並べ立てている間に、
想像の中で彼の太った背中に熱した釘を打ち込んでいた。
背骨の隙間に、太い釘を何本も、何本も。
イライラしたときにする、いつもの妄想癖だ。
背骨の間にそんなものを入れる隙間があるかは知らないが、
とにかくそうしたらきっと死ぬほど痛いに違いない。
いつだったかこの癖のことを夫に話したら、怖いと言われてしまったっけ。
( ^ω^)「……都村さん、聞いてる?」
(゚、゚;トソン「へ?」
( ^ω^)「本当に大丈夫かお?なんか上の空というか。
もしかして体調わるいんですかお?」
(゚、゚;トソン「いやいや!そういうんじゃないんです。
なんというか、ぼーっとしちゃってて……すみません」
( ^ω^)「……最近、インフルエンザが流行ってるみたいだし、
手指の消毒は徹底してくださいお」
(゚、゚トソン「あ、はい」
それだけ言うと、店長は奥へと引っ込んでいった。
なんか今日はやけに静かだったな。
そう思っていると、今日最初の客がレジへとやってきた。
……今日も地味で、疲れて、精神が削れていく仕事が始まった。
*―――――*
夕方にはいつもどおりにフラフラになった。
目が霞んで、頭はぼーっとしている。
自分の周りだけではなく、自分の中にまで霧がかかっているような感覚だ。
私は、その霧をかき分けて事務所に入り退勤処理をする。
そこでは同僚の若い娘が店長に絡まれていた。
しかし、霧の向こうにいる私には関係の無いことだ。
そろそろと自分の自転車まで向かい、腰をそこに据える。
久々に座れた私は、サドルの柔らかい感触が嬉しかった。
ここに人がいなければ、ちょっと頬ずりしてやりたいくらいなものだ。
(-、-トソン「……つかれた」
だが、家では義母が待っている。
そろそろ暗くなってきたし、早く帰ってあげなくては。
私は自分を奮い立たせ、ペダルに萎えかけた足を掛ける。
……行きの倍の時間をかけ、自宅へと帰りついた。
私は、道路から家を下から見上げてみる。
薄汚れた、築三十年の木造二階建て。
壁の塗り直しの業者がチラシを欠かさずに入れていくような、小さくて汚い家だ。
げんなりとした気持ちで、私は鍵を開けた。
鍵がカチャリと開く音さえも憂鬱に響く。
(゚、゚トソン「ただいま」
暗くて冷たい廊下に、そう声をかける。
逆に虚しさが募るのだが、これだけはやめることが出来ない。
私は、吊り下げられている義母の足をぞんざいに払いのけ、
玄関框に腰を下ろしてスニーカーを脱いだ。
玄関に置きっぱなしにしてある夫のサンダルに、
義母の体から垂れた、小便とも体液ともつかぬ液体が溜まっている。
(゚、゚トソン「……」
それが置いてあるのを見ると、夫が死んでいるというのを忘れそうになる。
こうしている私の後ろにあるリビングから出てきて、「タバコ買ってくる」
とか言いながらあのサンダルをつっかけてコンビニまで出かけていく。
そんな情景が眼に浮かぶようだ。
その幻は、私にとって甘美なものだ。
あの人さえ生きていてくれれば、介護手当と年金と、私の僅かな収入でやっていかなくてもいい。
化粧品ももっと揃えられる。鍋だって新しいのが買える。毎晩夢を見なくてもすむ。
(゚、゚トソン「はぁ」
だが、現実はやさしくない。まったくやさしくない。
私の後ろにあるのは、優しかった夫ではなく、
いま廊下に広がっている、つめたく冷え切った虚空でしかない。
ならば、いっその事
*―――――*
(゚、゚トソン
朝、目を覚ますと涙が頬を伝っていた。
どうしてだかは分からない。
きっと悲しい夢を見ていたのだろう。
どんな夢だか忘れたが、誰の夢だったのかは分かる。
わたしは寝床から身を起こすと、ぐっと体を反らせた。
腰痛とも、もう馴染みの仲だ。
きりきりと、一月の寒気が腰を締め付ける。
寝室を出ると、埃っぽい廊下を朝日が照らしていた。
窓が汚れているせいで、黄ばんだような嫌な感じの光に見える。
一歩踏み出すごとに、ばらまかれた臓物が足の下で粘着質な音を立てる。
帰ってきたら真っ先にこの辺りを綺麗にしよう。
徒然とそんな事を思いながら、わたしは義母の部屋に向かった。
わたしの朝は、お義母さんの介助から始まる。
从'ー'从「……」
(゚、゚トソン「おはようございます」
義母は目を見開いたまま天井を見ていた。
彼女は毎日どんな気持ちでそこを見ているのだろう。
何の変化もない、面白みのない木目を。
私は彼女が見ている世界を想像してゾッとした。
(゚、゚トソン「おかあさん」
私は義母に声を掛ける。
彼女は生気のない目でこちらを見ると、パチリと瞬きをして見せる。
二回がいいえで、一回がはい。
おはよう、と言うつもりなのだろう。
(゚、゚トソン「オムツはどう?」
从'ー'从『いいえ』
まだ大丈夫ということか。
(゚、゚トソン「分かりました、じゃあ食事にします?」
从'ー'从『はい』
(゚、゚トソン「はーい、じゃあ少し待っててくださいね」
私は台所に行って冷蔵庫から介護食のパックを取り出し、レンジで温める。
だがひとつだけ封がなかなか切れない。
手元をよく見てみると、野菜のパックにだけ切れ目が入っていなかった。
仕方なく私は、包丁を出して封を開けることにする。
自分で納得するまで研いでいるお気に入りの包丁だ。
つつつと表面をすべらせるだけでビニールのパックは簡単に開いた。
ついてしまった水分を軽く拭きとってから、私は包丁を包丁立てもどす。
(゚、゚トソン「よいしょ」
やれやれ、まったく不良品を掴ませられてしまった。
気を取りなおして野菜を小鉢に盛り、レンジにかける。
温まったらお盆に乗せて義母のもとへ。
これが我が家の朝の風景。
コーヒーの香りなし、トーストとバターもなし。
そこに漂っているのは蒸れたようなレトルトの介護食の匂いだ。
盆に乗せた三本のスプーンが音を立てる。
義母がその音にこちらを向いた。
生気のない、落ち窪んだ瞳がカーテンを閉め切った部屋の中でやけに光って見える。
私はその横に腰をおろし、リクライニングベッドを操作した。
そして起き上がった義母の口に食事を運ぶ。
(゚、゚トソン「おいしい?」
从'ー'从『はい』
彼女はそう言うと皺だらけの顔を少し歪めて見せる。
すると口の端から緑色の汁が垂れた。
『小松菜の柔らか煮』の混じった涎だった。
(゚、゚トソン「あらあら、よっと」
すぐにタオルをとって義母の口を拭く。
指に彼女の乾いた唇が触れる。
水はいつでも飲めるようにはしてあるのだが、あまり口は付けていないようだった。
そういえば義母はこうなる前から水分を余り取らない人だった。
「私は水を飲んじゃうとその分太っちゃうのー」
水太りって奴ね、なんて言っていたを思い出す。
年を重ねても身だしなみに気を付けていたかつての彼女が偲ばれた。
半分ほど食べると、彼女は私の目を見て一度瞬きをする。
(゚、゚トソン「もういいんですか?」
从'ー'从『はい』
わたしは床に置いていたお盆をたぐりよせると、小鉢を回収した。
その後、彼女の体の前に出していたベッドに備えられた小さなテーブルを収納する。
ついでにお盆に載っているまだ使っていないスプーンを取り上げた。
義母の上まぶたと目の隙間に挿入すると、奥にむかってぐりっとひねる。
メロンにスプーンを入れたときのような、ぷちぷちとした感触が指に伝わってくる。
それから眼窩の形に沿ってスプーンを滑らせる。
案外に固い、わたしはさらに力を込めてスプーンを握り直す。
結局、きれいな丸い形には取り出すことができなかった。
もう一度逆の目で同じことを繰り返し、
空の小鉢に抉り出したものを二つとも入れて台所に持って帰る。
立ち上がったときに取り出した物同士がコツンとぶつかって、片方がわたしと目があった。
从ー从「トソンちゃん」
急に立ち止まったわたしの手の上で、重ねた食器がかちゃかちゃと音を立てた。
(゚、゚トソン「…え?」
義母が、私の後ろに立っていた。
从ー从「もうやめましょうよ、こんな事」
彼女は目のない眼窩から涙を流し、私をじっと見つめた。
私は目の端から涙が頬をつたい、その滴が顎に流れていく様子をじっと見ていた。
(゚、゚トソン「なんのことですか?」
从ー从「だから、もう終わりにするのよ。
もう、すべて終わった後でこんなことし続けるのは」
終わった?なにが終わったというのだ。
あ、それよりもおかあさんの目が。
(゚、゚トソン「救急車…」
そうつぶやいた私は、振り向いて家の中の様子に愕然とした。
いつのまにか、そこにあった全てが分厚いホコリに覆われていた。
電話まで駆け寄ったが、電源が切れているようだった。
これでは助けを呼べない。
(゚、゚トソン「待っててください、すぐに人を呼ぶから……」
从'ー'从「だれも来るわけないじゃない」
从'ー'从「……もう誰もこないよ」
義母は静かにそう言うと、私に近づいてくる。
目には、すでに光が戻っている。
ちゃんと抉り取ったのに……抉り取った?
私が、おかあさんの目を、抉り取った?
从'ー'从「何も覚えてないのね」
(゚、゚;トソン「う、うう」
なんだか頭がいたい
義母は微笑んでいる
おかしいじゃないか
毎日毎日ちゃんと――してきたはずなのに
なぜ彼女はそこに立っているの?
いや、わたしは一体何を?
何をしてしまったのだ?
从'ー'从「そうね、何回も何回も。
つらかったわね、トソンちゃん」
( 、 トソン「わた、しは…なにを…?」
从'ー'从「いいのよ。
何も思い出さなくていい」
( 、 トソン「…おかあさん、私は何を?」
从'ー'从「だから、いいんだって言ってるでしょう?
あなたが何をしたのだとしても、私はあなたを許すわ」
わたしの中に小さく火花が散る
わたしは義母を、でもそれじゃロマ君がわたしを許してくれない
从'ー'从「もう無間地獄は終わった。
もう回帰は終わったの。
あなたは許されるの」
( 、 トソン「わたしは……」
从'ー'从 「もう、行きましょう。
ロマネスクはもうとっくに済ませたわ。
あなたもいかないと、あの子に笑われるわよ?」
( 、 トソン「わたしはまだ、いくわけにはいきません」
从'ー'从「どうして?」
( 、 トソン「すみません……思い出してしまいました」
从'ー'从「……そう」
義母を殺してしまった日のこと。
わたしが、わたしではなくなってしまった日のこと。
*―――――*
(゚、゚トソン「ただいま」
暗くて冷たい廊下に、そう声をかける。
逆に虚しさが募るのだが、これだけはやめることが出来ない。
私はバッグを肩から下ろすと、玄関框に腰を下ろしてスニーカーを脱いだ。
そうしていると、玄関に置きっぱなしにしてある夫のサンダルがふと目に止まった。
(゚、゚トソン「……」
それが置いてあるのを見ると、夫が死んでいるというのを忘れそうになる。
こうしている私の後ろにあるリビングから出てきて、「タバコ買ってくる」
とか言いながらあのサンダルをつっかけてコンビニまで出かけていく。
そんな情景が眼に浮かぶようだ。
その幻は、私にとって甘美なものだ。
あの人さえ生きていてくれれば、介護手当と年金と、私の僅かな収入でやっていかなくてもいい。
化粧品ももっと揃えられる。鍋だって新しいのが買える。毎晩夢を見なくてもすむ。
(゚、゚トソン「はぁ」
だが、現実はやさしくない。まったくやさしくない。
私の後ろにあるのは、優しかった夫ではなく、
いま廊下に広がっている、つめたく冷え切った虚空でしかない。
ならばいっその事、私一人義母を置いてどこかへ行ってしまおうか。
何度か考えたことではあった。
いや、もっとだいそれたことを考えたこともある。
義母を事故に見せかけて殺し、どこか新しい土地に行って暮らす。
だがその暗い計画を頭に浮かべるたび、夫の顔が浮かんでくるのだ。
これでは殺せるわけもなかった。
( 、 トソン「つかれたなぁ」
スーパーの駐輪場で漏らした時よりもはるかに深い溜息だった。
私はよっこいしょと掛け声をつけて立ち上がる、義母の部屋に行った。
もうとうにオムツ替えの時期にきているはずだった。
(゚、゚トソン「ただいま~」
从'ー'从
電気をつけると、義母はゆっくりと目を開けた。
そして、こちらに小さく微笑んで見せる。
まるでおかえりとでも言うかのように。
……夫の死後、彼女が倒れるまでの間二人で支えあってきた。
私が挫けそうになるたびに、彼女は言ったものだ。
「いつか報われる日が来るよ、その時は一緒に旅行でもしましょうね」と。
ついにその機会は永遠に失われてしまったが。
(゚、゚トソン「おまたせ、オムツ替えますね」
从'ー'从『はい』
いつもどおりの作業の後、いつもみたいに食事を作り、風呂にはいる。
その後はさっさと寝て、夜に一度起きてオムツ替えをする。
……そしてそのあとは、布団の中で将来について考えて眠れなくなる。
大学で読んだ哲学書に、こうした不眠について書かれた文章があったのを思い出す。
終わることのない不眠。そこには始まりも、終わりもない。
絶え間なく現在に縛り付けられ、眠ることも許されずに自身の抱える現実に直面させられる。
その現実から逃れようと、人間は眠りによって自分自身を無化しようとする。
そんな苦痛に満ちた覚醒状態に押しつぶされそうになりながら、私は短いまどろみに夢を見るのだ。
幸せだった頃の、懐かしい夢を。
この日も私は不完全な眠りの中、布団の中でうとうとと夢を見ていた。
……一階から聞こえた物音に目を覚ます前までは。
(-、-トソン「ううん……?」
下から、何かを叩くような物音がした。薄明かりの中で枕元の時計を手繰り寄せる。
午前二時、深夜のオムツ替えから一時間後のことだった。
(゚、゚;トソン「なんだろ……?」
泥棒か、そう考えると体が硬直した。
取るものなどないこの家で、取れる物があるとすれば命くらいのものだ。
(゚、゚;トソン「……」
しかし、降りていかないわけにもいかない。下には義母がいるのだ。
守れるのは、わたししかいない。
(゚、゚トソン「……いこう」
わたしは布団から出て、ゆっくりと静かに一階への階段を降りていく。
階段の半ばくらいにたどり着くと、音ははっきりと聞こえ始めた。
なにやら、金属製のパイプを何かで叩いているような……。
(゚、゚;トソン
音を立てないようにして、リビングの扉を開ける。
それから、窓がきちんと閉まっているか確認した。
だが、鍵の開いている窓などなかった。
このリビングの他に、侵入できるところがあるとすれば。
(゚、゚;トソン「お義母さん……」
金属音はさらに大きくなりつつあった。
その出処が今となってははっきり分かる。
義母の部屋のドアに忍び寄ると、息を殺して中の様子を伺った。
音は、やはり時間が経つごとにその甲高さを増していた。
(゚、゚トソン「……?」
一体何の音なのだ?
この部屋に、そもそも鉄パイプみたいなものは置いていなかったはずだ。
……わたしは、侵入者が鉄パイプを手にそこに立っているのを想像した。
(゚、゚;トソン(でも、行くしか……)
わたしは台所で取ってきた包丁の柄をぐっと握りしめた。
どうせ終わったも同じ人生だ。
義母を、あの人の母を、この命に代えても守る。
その時だった。
音が、止んだ。
75 : ◆hfKn5LG2r6:2011/02/20(日) 21:53:23 ID:CRE.W6vQ0
意を決して部屋の中に飛び込んだのはその一瞬後だった。
暗い部屋の中、わたしは部屋の中に目を走らせる。
だが、そこには義母のベッドとわずかの家具しかない。
わたしが一時間前に来た時とまったく変わりなかった。
(゚、゚トソン(あれ?)
思わずわたしは拍子抜けしてしまった。
刺す、刺さないという気持ちで飛び込んだのだが。
いや、どこかに隠れているのかもしれない。
わたしはドアのところまで戻ると、明かりをつけた。
蛍光灯の白い光の中に部屋が浮かび上がる。
いままで暗いところにいたわたしは、目が眩んでしまう
(-、゚;トソン「んっ……おかあさん、起きてる?」
私は目が眩んだまま、ベッドサイドに近寄る。
そして、そこで部屋に入って初めて義母の顔をはっきりと見た。
从゚ ゚从
(゚、゚トソン「おかあさん?」
ベッドの上で、義母はかっと目を見開いていた。
いままで見たこともないような形相で、唯一動く右手を目一杯のばして。
その手の先には、落下を防ぐためのベッドの柵があった。
(゚、゚;トソン「あ、ああ……」
枕元には、何日か前にわたしがネットで取り寄せた水飲み器があった。
こういう寝たきりの老人でも、寝たままの姿勢で水が飲めるように設計されている水飲み器。
よくみると母の着ている浴衣は、前がぐっしょりと濡れていた。
(゚、゚;トソン「嫌っ!!おかあさん!!」
義母の口元に手を近づけた。
何も感じない。
むせて吐き出した水でびしょびしょになった胸に耳を当てる。
鼓動も止まっていた。
(゚、゚;トソン「そんな」
ぎょっとして身を引いたとき、柵に指が当たってカランと軽い音がした。
それは、さっきまでわたしがずっと聞いていた音だった。
止まるまでじっと待っていた、あの音。
私は、義母の右手にもう一度目を向ける。
握り拳を緩めたような形に弛緩した右手。
その先にあった柵、そして音。
ここで何があったか、わたしはようやく理解した。
義母は、わたしをずっと呼び続けていたのだ。
ベッドの柵を必死に叩いて。
それに気がつかず、わたしは包丁を握って彼女が死ぬのを待ち構えていた。
(゚、゚;トソン「嫌あ…」
わたしが、お義母さんを殺した。
( 、;トソン「いやああああああああああああああああああああああ!!!!!」
―――――――――
―――――
――
…
( 、 トソン
全てを思い出したわたしは、目を閉じてその場に立ち尽くしていた。
すでに、いままでなくしていた記憶が私の頭の中に氾濫し始めている。
そして、この場所がどういうところなのかぼんやりと理解し始めた。
少なくともここは、わたし達が元いた家ではない。
从'ー'从「トソンちゃん」
義母が私の隣に寄り添うようにして立つ。
そしてもみじの枯葉のようになった手で、私の髪を撫でた。
その手は遠い昔……いや、つい最近のことだったかもしれないが……。
私が嬉々として指を切り落としたことのある手だった。
从'ー'从「もういいのよ。
私はもうあなたを許してるのよ?」
( 、 トソン「でも」
从'ー'从「気に病むだけ無駄よ。
ここであったことなんて夢みたいなものだから」
( 、 トソン「わたしが憎くないの?」
義母は何も答えなかった。
その沈黙が答えなのだろう。
( 、 トソン「ごめんなさい」
从'ー'从「……全て終わったことよ」
いつしか、永遠の時間と無限の苦患のなかで、私は彼女を殺し続けていた。
いつからこの狂気が始まり、どのくらいの間続いていたのか。
私には分からなかったが、私の中に充満している虐殺と拷問の記憶が、
その期間が気の遠くなるような時間であることを物語っていた。
100年?1000年?いやもっと長い時間だったかもしれない。
( 、 トソン「私たちは今どこにいるんですか?」
从'ー'从「私にもよく分からないけど……地獄なのかな?」
( 、 トソン「ここは、あなたの地獄?」
从'ー'从「それはどうかしら?
私はあなたの地獄だと思っていたんだけど。
あなたはやさしい人だから」
彼女は力なく微笑むと、私の手を取る。
从'ー'从「だからもう、あなたが繰り返すのなんか見たくないの。
もう、この家からでていきましょう?ね?」
毎日、寝るたびに記憶と時間を巻き戻され、異なる方法で義母を傷めつける日々。
しかしいくら傷つけても、彼女は死なない。
彼女は、もうわたしが一度殺しているのだから。
( 、 トソン
「トソンちゃん?」
わたしは、何も答えなかった。
その代わりにわたしは座り込んで膝を抱え込んだ。
そしてぎゅっと目を閉じる。
「……」
目を開けたらきっと何もかもが元に戻っている。
夫は帰ってくるし、義母は元気になってくれる。
そうあって欲しいと強く願った。
そう、これは悪い夢なのだ。
目を開けたらそこは布団の中で、目の前にはあったかくて大きな背中がある。
夫と下に降りると、義母はもう起きてて味噌汁の具を刻んでいて……。
「わかったわ、私はもういくけど……ずっとあなたのこと待ってるからね」
「その前に、一つだけ言っておくわね」
私の外で、ぼやけたような音がする。
あれはなんだろうか?
聞き覚えのある音だ。
「と…んちゃん、あなたが許し…受け…れない限…あな…の苦……はお…らない」
わたしはその音を無視することにした。
どうせ政治家の宣伝カーか何かの音だろう。
音が遠ざかっていくのを確認してから、私はゆっくりと目を開けた。
(゚、゚トソン
目の前には、相変わらず開けっ放しの義母の部屋があった。
奥のベッドには、黒ずんだ人影が横たわっている。
目を閉じ、開ける。……ベッドの上にはなにもない。
私は、わんわんと唸る無数の羽音を無視してドアを閉める。
そこには、もう何も残ってはいない。
肩が凝ってるのか、首筋が痛い。
そのせいか強い頭痛までする。
頭痛薬でも飲んでおこうか。
リビングに戻って、水をコップに注いだ。
それから薬を棚から出してきて私はふう、とため息を付いた。
なんだかすごく頭がぼんやりしている。
薬といっしょに水を一気に飲み干した。
冷たい水が、喉の奥に当たってから胃へと落ちて行く。
すこし、気分が良くなった。
(゚、゚トソン「……」
テーブルの上に置いたコップの中に、ぽたりと雫が落ちる。
濁ったような色をした汚水が、透明なコップの底に溜まった。
(゚、゚トソン
ふと上を見ると、女が電気の傘に結びつけた紐で首を吊っていた。
顔が醜く腫れ上がって、元々の顔がどんなものだったかさえ分からない。
汚水は、女の履いているジーパンの裾のところから垂れていた。
(゚、゚トソン「さてと」
今日も時間が余り無い。
急いで行かないと遅刻してしまうかもしれない。
遅刻すると一週間時給-50だ。
いま時給を減らされると今月キツイ。
介護食の配達サービスのお金くらい私が稼がなくちゃ。
あれ?でもどうして老人食なんて必要なんだろうか?
この家にそんなものが必要な人なんていないのに。
まあ、とにかく仕事に行かないと。
しかし、毎日こうして同じことを繰り返していると、
生活にどんどんハリがなくなっていくなあ。
まったく、この生活はいつまで続くんだろう。
ああ死ぬまで終わらないのかもしれないなぁ。
……私が死んだ後も、もしかして続いたりして。
夜のガスパールより「絞首台」
モチーフ曲紹介「絞首台」(Le Gibet)
夜のガスパールの第二曲。
ゆったりと重々しいテンポが、他の二曲とは大きく異なる作品です。
遠くから聞こえる教会の鐘の音が変ロ音で表現されており、
それがはじめから終わりまで一貫して流れ続けます。
原詩の内容は
絞首刑に処されたものの体を、夕日の赤い光のなかで虫たちがむさぼる。
そこに聞こえるのは夜風か、はたまた罪人の最後の吐息なのか……というもの。