( ^ω^)『夢の墓場』のようです
3 : ◆FeIP505OJ.
:2010/05/21(金) 20:50:02.34 ID:xMnTi60VP
- ---24---
『入り口は一つ、出口も一つ』
時計は夜を告げている。トソンは眠っているようだった。
細かい、かすかな寝息が染み入るようにして響いている。
僕は小説を書き続けていた。
気分が落ち込むと、小説を書くペースが上がるが、その小説の登場人物にとっては迷惑極まりない話だろう。
なぜなら、書き手はそうやってストレスを小説にぶつけているのだから。
事実、僕は今ものすごい勢いでノートに文字を書き付けている。
アンドロイドとキャスターの旅は終わる気配を見せなかった。
彼らは最早僕の手から離れてしまっていた。虚構の世界で、彼らは自由を謳歌していた。
旅は楽しいものだった。僕の旅は塔に着くまでは短く、着いてからは苦難ばかりだが、
彼らは彼らの後輩、即ち彼らより出来の良い機械達と楽しく触れ合っていた。
しかし、彼らはやがて死ぬ。そういう筋書きになっている。まだ、その兆しも見せてはいないが。
作者はいとも簡単に登場人物を殺す。そこに何の罪悪感も感じない。
作者自身の思想や主張、感動のために登場人物達は殺される。それを罪と言わずに何と言おう。
もう一つ、作者には罪がある。登場人物を、物語に閉じ込めるという罪だ。
その人の人生、生活を一つの筋のある物語にしてしまうことが、どれだけ残酷で、不幸なことか。
ほとんどの人が気付かない、小説は、始まりからすでに不幸であることを、知っている人はものすごく少ない。
- 6 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 20:54:00.82 ID:xMnTi60VP
- アンドロイドとキャスターは地下に広がる工場を延々と降り続けていく。
引き返すことは許されない。彼らは文章というベルトコンベアに乗せられ、ひたすら死へと流されていく。
それは運命というやつよりも自由度が無く、自律というほどの尊厳もない。
僕だって、そうだ。上り続けるより他に道は無い。後戻りはできない。
トソンと一緒に、塔の最果てまで上昇していく。様々な苦難の抜け、その先にある何かを目指す。
それはまるで、出口が一つしかない、いずれそこから出なければならない迷路のように。
だが、何より不幸なのは、同じ入り口から入ったというのに、僕とトソンでは出るべき出口が違うらしいということだ。
彼女がどこで退場してしまうのかは分からない。しかし、そう遠くない未来なのだろう。
僕と彼女は運命を共にすることが出来ない。僕は生まれた人で、彼女は生まれなかった人だから。
きっとそれは正しい道筋なのだ。僕は孤独を目指しているのだから。
しかし、そもそもどうして孤独を目指しているのだろう? 解放されたいからだ。
都市への埋没、自分自身がたくさんいるという被害妄想、そういったものから解放されたかったのだ。
だからここへ来た。赤い塔。自分自身が作りだした塔。僕を治療してくれるべき、この塔へ。
今僕は解放されているだろうか?
むしろ、余計に自分の中へ閉じ籠もっただけではないか。
孤独とは本質的にそういうもので、寂しさにまみれたものなのではないか。
だから、僕はトソンを、こんなにも心苦しく想っているのではないだろうか。
- 7 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 20:57:10.75 ID:xMnTi60VP
- 床にまた一つ、デレの呟きが増えた。
『Dere
寂しい。誰もいない。誰かがほしい。誰でも良いから、私を抱きしめて欲しい。 約5秒以内前 自宅で』
立て続けにもう一つ。
『Dere ごめんね、私の赤ちゃん 約5秒以内前 自宅で』
僕はトソンを見遣った。呟く前に、実際に赤ちゃんの前で謝ればいいのに。
しかし、ああなんと滑稽なことだろう、その赤ちゃんは君の前でなく、僕の前にいるんだ。
そして、あろうことか、僕は君と君の新しい恋人との赤ちゃんを、少なからず想っているようです。
僕は腰を上げ、その呟きの上に尻をずらした。
トソンが起きて、何らかのハプニングでその呟きを見ないようにするために。
小説は、もう一夜あれば完成できそうだ。
中編にも満たない短編だが、まあ、ともかく完結することが大事なのだと想う。
つまり、僕は明日の夜、二つの機械を殺すことになる。
だが、罪悪感を背負う気にはなれなかった。死刑囚の自暴自棄と同じようなものじゃないだろうか。
眠ることにした。
- 9 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 21:00:28.56 ID:xMnTi60VP
- ---25---
『と、ここでタネあかし』
起きる寸前、また例の、機械油のにおいがした。
薄っすらと目を開けると、トソンがノートを読んでいるのが見えた。
僕は眠っているふりをしつつ、彼女をこっそりと観察し始めた。
昨夜の口論のせいもあって、何とはなしにきまりが悪かったのである。
とはいえ、黙って女性を窃視するほうが、よっぽど罪深いことなのだが。
彼女はしばらく、じっと目線を紙上に落とし、読み耽っているようだった。
これだけ集中して読んでもらえるのはありがたいことだ。それも、こんな文章力など微塵も無い人間のものを。
昨日はそれなりに書き進めることができたから、もうしばらくは彼女の読書する姿を眺めていられる。
しかし、数分の後、彼女の目じりに一粒の涙が輝いた。
それは眼の中を一杯に満たし、やがて溢れだして頬を伝い、落ちていく。
口の中から、かすかな嗚咽さえ漏れ聞こえてくる。
僕は驚き、ほとんど無意識に彼女に声をかけていた。
(;^ω^)「大丈夫かお!?」
彼女は驚いた様子でこちらを見て、空咳を何度かしてから人差し指で頬をぬぐった。
- 11 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 21:03:26.57 ID:xMnTi60VP
- (゚、゚トソン「ああ、起きていたのですか。おはようございます」
( ^ω^)「……何か、悲しいことでもあったのかお?」
(゚、゚トソン「いいえ……いや、でも私は確かに悲しかったのでしょう」
( ^ω^)「どうして?」
(゚、゚トソン「感情移入し過ぎてしまいました」
( ^ω^)「……というと?」
さっぱり意味の分からないままに訝しんでみると、彼女は新しい涙を流しながら少し笑った。
(゚、゚トソン「だって、この主人公と相棒の方は、最後に死んでしまうのでしょう。
それに気づいてからはもう、なんだか、すごく切ないのです」
一瞬、彼女の言っていることの意味を理解しかねた。
だが直後に気付いてしまい、僕はもう、壁に頭を何度となく打ちつけたい衝動に駆られたのである。
何故バレてしまったのだろう、とは思わなかった。
それはもちろん、単純な僕の力量不足に落ち着いてしまうからだ。
そう、この事態はむろん予測しておくべきだったのだ。
時に、読者は作者よりも視力が良いのだから。相手が下手な作者なら、尚更だ。
- 13 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 21:07:04.83 ID:xMnTi60VP
- ( ^ω^)「……そうかお、気づいてしまったかお」
対象不明の激昂をなんとか抑え込みながら、僕は言った。
(゚、゚トソン「……ええ、なんとなく。作品全体に悲しみのようなものが満ちているようにも感じましたから」
( ^ω^)「悲しみ」
(゚、゚トソン「はい。上手くは表現できませんが作者の……貴方の、剥き出しの思いをぶつけられているようで」
そんな風には考えてもみなかった。
そうか、あれには僕の悲しみの感情が詰められているのか。
ということは今現在、僕自身、悲しんでいるのだろうか。何に?
すべて読み終えたトソンは、僕にノートを返した。
もう、涙は止まっているようだ。そして言った。
(゚、゚トソン「では、続きを楽しみにしています」
( ^ω^)「続き……?」
僕は、心底不思議そうな感じで聞き返してしまった。
- 15 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 21:11:11.48 ID:xMnTi60VP
- ( ^ω^)「どうしてだお? もう、トソンには結末がわかっているはずだお。
それならもう、先を読む必要なんてないじゃないかお」
(゚、゚トソン「何も、おしまいだけを強調する作品ばかりではないでしょう。
たとえばこの小説のように、過程を楽しめる作品だって山ほどあるはずです。実際、面白いのですから」
( ^ω^)「それにしたって、もう、僕みたいな文章力のない作品を読み続ける意味なんて……」
(゚、゚トソン「意味なら、ありますよ。前にも言った通り、私は文字を読んでいたいのです」
口調とは裏腹に、キリキリと弓矢を引き絞るような緊張感が漂う。
もしかしたらそれは錯覚なのかもしれない。僕がただ、一人で興奮しているだけなのかもしれない……。
しかし、そう、僕に限ってさえいえば、得体の知れない鬱憤に囚われてしまっているのだ。
( ^ω^)「……でも、僕にだって都合があるお」
とうとう僕は、鬱積を切れ端から順に口にしはじめてしまった。
( ^ω^)「トソンはただ文字を読みたいだけなのかもしれない。
でも僕はそのために精一杯頭使って書いてるんだお。
それで、少しでも良い作品になるよう、頭を捻って、捻って、捻って……。
そりゃ、確かに自己満足だお。
僕には書かないという選択肢もあったし、書くべきじゃなかったのかもしれない。
でも、それでも文字であるという以上に、作品として評価されたいんだお。じゃないと見せないお……」
- 16 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 21:14:19.44 ID:xMnTi60VP
- ( ^ω^)「僕はキミのためだけにじゃない、といって僕のためだけでもない。
その両方を達成するためにここまで、一生懸命書いたんだお!
トソンに評価してもらうために! 少しでも面白いと思ってもらえるように……」
それが随分惨めな訴えであるということに、僕は饒舌に語っている途中から気づいていた。
つまり僕はこう言いたいのだ。もっと評価してくれと、素人文章であるにも関わらず、面白いと思って欲しい、と。
裏を返せばそれは、崖っぷちの脅迫でもあった。面白いと思わないなら、評価してくれないなら、書かないぞ、と。
面白いと思ってもらえたら何かがあるわけでもない、一円の利益があるはずもない。
それなのに、何故僕は切羽詰っているのだろう。自己を高めるという目的ならともかく、何故トソンを詰るのだろう。
……僕は何かを期待しているのかもしれない。面白いと思われ、褒められ、尊敬され、その先にある何かを……。
(゚、゚トソン「……」
トソンは黙り込んだ。言い返す言葉を探したり、ただ呆れ返ったりという風ではなく、
むしろ僕の台詞の続きを待ち構えているようだった。
……だが、僕はもう、それ以上何を言えなかった。
はっきりと叫ぶべき言葉があるにも関わらず、だ。
その叫びとは、「認めてくれ!」。
たったその一言を、僕は言い出すことが出来なかった。理由は単純に、教義と相反しているからだ。
教義とはいったい何だろう? 僕のために存在しているようだった宗教が、今度は僕に牙をむいている。
いや、むしろ牙をむいたのは僕の方なのかもしれない。『孤独同盟』の形は決して変容していないのだから。
認められたいと言う気持ちと孤独でありたいという気持ち、それらは僕のこころの中で、
半々どころか、ほとんど100%ずつ、せせこましく同居しているのだった。
- 18 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 21:18:42.77 ID:xMnTi60VP
- (゚、゚トソン「……しかし、私は貴方になんの要求もできません」
僕の沈黙を引き受けて、トソンは言った。
(゚、゚トソン「確かに貴方から見れば、私の行為は相当にエゴイスティックであったかもしれません。
貴方がそう思うのならば、私はそれを否定することはできないのです。
畢竟に、私は貴方に何をすることもできない。何をしても、言い訳になるでしょうね」
彼女は立ち上がった。つられて僕も立ち上がる。
長時間座り込んでいたせいで、尻から太ももにかけてが冷たく凝り固まっていた。
(゚、゚トソン「貴方に負担をかけているのは当然、理解しているべきことでした。
それでも私があえて知らない振りを押し通していたのは、私のため以外のなにものでもない」
( ^ω^)「……違うんだお、トソン。僕は別に、キミを責めたいわけじゃ……」
(゚、゚トソン「ですが、ただ一つはっきり言えることがあるとすれば、貴方に会えてよかったということ。
ここまでの同伴を許してくださった貴方に、私のために小説を書いてくださった貴方に、
私はただ、感謝という無形のお返ししかできないのです」
トソンはこちらを振り返り、そして二、三歩あゆみ寄ってきた。
そして、苦痛を耐えているかのようないびつな笑顔で、僕に言った。
(゚、゚トソン「私、本当に好きですよ。あの小説」
- 21 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 21:23:04.83 ID:xMnTi60VP
- その瞬間、僕は都合よく意識を彼方へ飛ばした。
そして再び意識が頭の中へ舞い戻ってきたとき、僕はしっかりと彼女を抱き締めていた。
慌てて彼女の背中に回していた両手をはなそうとしたが、出来なかった。
今までに感じたことの無いような温かさと柔らかさ。
怠惰のように甘ったるい匂いがした。それは、どこか懐かしい匂いのようでもあった。
(゚、゚トソン「駄目ですよ……ブーンさん」
狼狽えているような声が腕の中から聴こえた。
(゚、゚トソン「貴方の、貴方の思想に反します。
これだけは、絶対にしてはいけないことなのです。ましてここは……」
( ^ω^)「でも、キミは関係じゃないはずだお」
僕は呟いた。何の得もない言い訳だった。
少なからず想っている女性、とはいえ、たった数日の関係をそう呼ぶのが正当でないなら、
別に一目惚れと言い換えても構わない。ともかく、僕は彼女を想っている。離れたくないと望んでいる。
しばらくして、僕は彼女を腕の中から解放した。
彼女はしばらく、その場でじっと立ち竦んでしまっていた。
( ^ω^)「……ごめん」
多分この謝罪は、僕の人生の中で最も意地汚い、自己中心的な謝罪であると思う。
- 23 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 21:26:42.52 ID:xMnTi60VP
- (゚、゚トソン「……いいえ、私は別に構わない……という言い方が傲慢に聞こえるならば、
何とでも言い換えが効きます。私自身、そうされるのを望んでいたとでも……。
しかし、貴方自身にとっては取り返しの付かないことではありませんか?」
( ^ω^)「僕にとって?」
(゚、゚トソン「この空間、そして貴方自身の宗教にとって……」
そうなのかもしれない。僕の形をした小さな鼠は、宗教というゴムマリのような身体に歯をたてたのだ。
僕は彼女との関係を、教義への瀬戸際の従順さで正当化していた。
彼女なら愛しても構わないと思った。彼女なら関係し続けても構わないと思った。
そうした心そのものが、教義への背反であることに、胸の隅どころかど真ん中で気付いておきながら。
僕はモララー師の、自殺の決意をこの時初めて理解した。
師はおそらく、『孤独同盟』の致命的な欠陥に気付いておられたのだろう。
無名による無限の関係など不可能だ。
僕はそもそも、自己主張したいがために孤独を望んだのではなかったか。
自分の名前に固執し続ける人間が、その方法として名前を捨てるなど、出来ようはずがない。
だから師は死を宣言されたのだ。巨大なメビウスの輪に、気付いてらっしゃったのだ。
それに比べて僕の若さときたら!
- 25 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 21:29:49.72 ID:xMnTi60VP
- 僕は、いつの間に自分の地図をなくしてしまったのだろう。
もう後戻りなど出来ないのに。僕はこの塔を、上り続けるしか無いのに。
(゚、゚トソン「……少しだけ、言い訳させてください」
トソンが怖ず怖ずと呟いた。
(゚、゚トソン「私が文字に固執するのは、恐らく私の知識が文字を介していないからではないかと思うのです。
確かに私は知っています。しかし、実際に体験したことというのは皆無に等しい、
だから、『生まれていれば』身近にあるであろう、文字を求めてしまうんです」
( ^ω^)「それはもう、いいお、トソン」
(゚、゚トソン「しかし」
( ^ω^)「わかっていることだお。それに、トソンは作品自体も面白いと感じてくれているんだから、
僕はそれでいいんだお。それで、十分なんだお」
……その言葉にはほんの少し、嘘が混じっている。
十分ではない。十分ではないから、僕は彼女を抱きしめたのだ。しかし、そんなこと言えるはずも無い。
(゚、゚トソン「……ブーンさん」
( ^ω^)「ん?」
(゚、゚トソン「仲直り……しませんか?」
願ってもない提案だった。
- 27 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 21:33:18.29 ID:xMnTi60VP
- ---26---
『僅かに急ぎ、僅かに慈しみ』
( ^ω^)「それじゃあ、行くかお」
僕はそういってリュックを背負った。すでに、ノートもその中に入れてある。
(゚、゚トソン「大丈夫ですか? もう、進んでしまっても」
そう言ったトソンの表情が些か晴れやかに見えるのは、僕の勘違いかもしれない。
( ^ω^)「うん……やっぱり、進まないといけないお。
トソンにだって、目的地があるわけだし」
(゚、゚トソン「……ええ。そうですね」
僕たちは階段をのぼり、次の扉の前まで向かった。
(゚、゚トソン「ブーンさん」
( ^ω^)「お?」
(゚、゚トソン「本当に、いろいろありがとうございます。
普通の……ありきたりな出会い方のほうがよかったのでしょうけれど、
それでも、私は今、貴方と一緒にここまで来れてよかったと思っています」
泣かせてくれる。
- 29 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 21:37:04.32 ID:xMnTi60VP
- ---27---
『カンガルー・レース』
扉を開け放つや、僕の体は白衣を着た人物によって軽々と持ち上げられた。
視界が急転し、落ち着いた時には白熱灯の光ばかりが映った。
同時に、背中に柔らかい感触を覚える。どうやらベッドの上に寝かされたらしい。
白衣の人物――男か女か分からない。ただ、僕を易々抱えるのだから、きっと男だろう――は、
手際よく僕の手足をベッドに備え付けられた金属の拘束具に繋いでいく。
(;^ω^)「!?」
悲鳴を上げようとしたが、仰向いているせいか上手く声が出ない。
かすれた呻きが僅かに漏れ、しかしそれは何の役にも立たなかった。
( ^ω^)「……」
僕は一つ深呼吸をした。そうだ、慌てても仕方ない。
状況にながされるほか無いのだ。なに、別に命をとられるような事態には陥るまい。
柔らかい、手術台のようなベッドに、僕は気をつけの姿勢で手首と足首を縛り付けられてしまった。
微塵足りと動かすことができない。まるで、最初から僕のために用意されていた道具のようだ。
首だけ動かして左右を見ると、左には薄ぼんやり光る白い板に貼り付けられたレントゲン写真、
右には壁に立てかけられた、蛇腹状の仕切りが見えた。
僕は溜息をついた。どうやらここは、病院であるらしいのだ。
- 31 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 21:41:53.72 ID:xMnTi60VP
- 白衣の人物は僕を繋ぎ終えると、頭の方についている取っ手を掴んで押し転がし始めた。
どうやら、底面にキャスターがついているらしい。錆び付いた、甲高い小動物の悲鳴がキイキイと鳴る。
壁面の景色がゆっくりと左右を通り過ぎていく。
院内の禁則事項を説明する張り紙。折り紙で作られた鶴。緑色の公衆電話。
( ^ω^)「僕は、どこにつれていかれるんだお?」
僕は精一杯上向いて頭の先にいる白衣に訊ねた。
巨大なマスクで顔のほとんどを覆っているその人物は口の中で何かを言ったようだが、聞こえなかった。
時折漏れ聞こえる呼吸音は男性のもののようでもあり女性のもののようでもあり、どこまでも中性的だ。
( ^ω^)「ねえ、僕は病人じゃないんだお。だからベッドの上にのせられるなんて……」
どこかから機械音が聞こえる。ゴトン、ゴトンと何かを運んでいるような音。
病院の廊下は果てしなく続いている。天井に、等間隔に置かれた眩しい白熱灯。僕はじんわりと汗をかいていた。
やがて深い緑の扉をくぐり、随分と開けた場所に出た。
だが、そこもやはり院内のようだ。リノリウムの床は不気味なほどピカピカに磨き上げられている。
キイキイと叫び続けていたキャスターの声が止んだ。
ベッドが止まったのだ。白衣がベッドから離れ、どこかへ行くとするのを僕は慌てて呼び止めた。
( ^ω^)「ちょっと、僕はどうなるんだお?」
白衣は声を出さず、ただ手のひらを広げて僕に見せつけた。その場で待てということらしい。
- 33 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 21:46:19.11 ID:xMnTi60VP
- どうにも落ち着かない。右側にはすぐそばに壁があるが、左の方はスペースが空きすぎている。
ここは病院の、ロビーのような場所なのだろうか。それにしては受付も見あたらない。
同じような白い引き戸と、張り紙をするためのコルクボードが並んでいるだけだ。
首を上げ、窮屈な姿勢で足もとの方を覗いてみると、更に延々と続く廊下が見えた。
左斜め後ろの壁際に、パイプ椅子に座った白衣がいる。
足もとには、前世紀を思わせる、巨大で黒々としたテープレコーダーが置かれていた。
それだけ確認し、僕はそれ以上首を動かすのをやめた。
無理に動かしたせいか、筋の部分が痛むようなのだ。
両手を拘束されているので、撫でさすってやることも出来ない。
汗ばんだ手を開いたり閉じたりしながら、僕は先ほど抱きしめたばかりのトソンの感触を思い出した。
じりじりと焼け焦げるような音の幻聴を聞くぐらいに時間が経った。
後ろの扉が開閉し、キャスターの回る音と震動とが伝わってきた。
新しいベッドがやってきたようだ。それは僕の隣、少し間を空けたところに停められた。
そこに寝かされている人物を見て、僕は思わず悲鳴を上げそうになった。
だが、やはり声は出なかった。
(-、-トソン「……」
それは紛れもなくトソンだった。目を閉じ、仰向けて横たわっている。彼女も手足を拘束されていた。
思えば、彼女が扉の中の空間に登場したのは、これが初めてなのである。
- 36 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 21:51:25.17 ID:xMnTi60VP
- ( ^ω^)「トソ――」
ようやく声が出だしたので呼びかけようとしたとき、僕とトソンの間にもう一つベッドが割り込んできた。
そこには、見たことの無い男が寝かされていた。
彼はぬぐえない涙と鼻水で顔を光らせ、ぶつぶつと呟きながらなおも泣きじゃくっている。
(;A;)「頼むよう、俺はさあ、今度こそ生まれたいんだよう。
頼むよう、運動音痴な俺だけどさあ、産まれさせてくれよう、生まれさせてくれよう」
更にもう一つ、ベッドが運ばれてきた。それはトソンの向こう側に配置される。
これで、横幅いっぱいに四つのベッドが並び終えた具合となった。
それぞれのベッドを運んできた白衣達が僕らの足もとの方へ移動していく。
そして横一列に並ぶと、一人が両手に提げていたテープレコーダーのスイッチを押した。
流れてきたのは酷いノイズ混じりの声だった。
声色など到底わかるものではなく、まるでテレビに出てくる犯罪者のように加工されてしまっている。
それでも何とか耳を傾けて聞くと、言葉の断片を拾い上げることが出来た。
『……ええ……そう、面倒な……選ばれた一人……悲しみと無知の……地獄行き……
捨てていけ……ああ、面倒……夢……墓場まで……明日明後日じゃ……ない……』
声が止んだ。どうやら演説が終わったらしいが、一向に意味を理解することはできなかった。
続いて、小学校の運動会で響くような安っぽいファンファーレのメロディー。
多分トランペットなのだろうが、音質が悪すぎて紙やすりを擦り合わせているようにも聞こえる。
白衣達が二人ずつ、左右に退いた。一人がポケットから拳銃を取りだし、天井に向ける。
この時ようやく僕は、彼らが何の儀式をしているのかに気付いたのだったが、すでに充分遅かった。
- 38 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 21:54:27.99 ID:xMnTi60VP
- 引き金がひかれ、乾いた銃声が響き渡った。
四台のベッドが同時に、キリキリと音を立てながら取り憑かれたようにゆっくり動き出した。
誰が押しているわけでもない、ベッドはもはや自走しているのだった。
僕はカンガルー・ノートとピンク・フロイドを同時に想起した。
このベッドはアトラス社製なのだろうか? まあ、そうだとしても、拘束具は後付けだろうけど……。
だが、それだけではない。僕が想起したものはもう一つあった。
そう、言うまでもなく僕自身が作った物語。アンドロイドとキャスターの話だった。
知恵遅れのアンドロイドはキャスターに乗って地下へ地下へと降下していく。
このベッドにもキャスターはついているのだ。そして僕は拘束具に縛られ、降りることも出来ない。
怖気が走った。もしや僕も、ロボットアームに粉砕され、壊されてしまうのだろうか。
……いや、それは少し、行き過ぎた憶測というやつかもしれない。
そう、ここは僕の塔なのだ。まさか僕の塔が反逆を起こすなんてこと、しないだろう。
ベッドは白い廊下をひたすらに駆け抜けていく。
スピードは遅く、せいぜい後部に子供を乗せている母親の自転車程度。
加速をつけるわけでもなく、平坦なリノリウムの床を滑走し続ける。
僕は首を起こしてトソンの方を見ようとした、が、出来なかった。
ほんの少し近寄れば彼女の顔を見れるというのに、それさえ叶わないのは余りにも虚しい。
諦めて僕は頭をベッドの上に戻した。
……それにしても、どうして枕ぐらい用意してくれなかったんだろう?
- 39 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 21:58:41.63 ID:xMnTi60VP
- 隣の男はようやく泣き止んで、今度は歯を食いしばり始めた。
そして小刻みに身体を揺すっている。少しでもベッドを前へ動かそうと徒労しているのかもしれない。
( ^ω^)「……あなたは、何か知ってるんですかお?」
('A`)「ああ?」
僕が話しかけると、男は粗野な調子で応じた。
丁度真横にいるその男の顔はよく見える。そんなに年老いた風ではないが、随分とくたびれているようだ。
('A`)「ったく、お前は非常識人か? 競技の最中に、敵に話しかけるだなんて……」
( ^ω^)「競技? これは競技なんですかお?」
('A`)「そうだよ。さっき言ってたじゃねえか」
だからファンファーレなのか、と僕は納得した。
( ^ω^)「でも、いったい何の競技?」
('A`)「そんなもの、いちいち説明してやれるかよ。俺はルールブックじゃねえんだ」
ふて腐れたように男がそういうと、一番離れているベッドから、からかいの声が飛んできた。
「そんなこと言わずに、説明してやれよう、万年補欠さんよう」
男が鋭く舌打ちをする。
- 41 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 22:03:23.64 ID:xMnTi60VP
- ('A`)「……競走だよ」
( ^ω^)「競走?」
('A`)「そうだ。一番になった奴が、生まれられるんだ。あの世界へ、行けるんだ。
そのための競走さ。生まれるため、何としても生まれるため、俺は一位にならなきゃならない」
男はそこで、深い溜息を吐いた。
('A`)「……俺がこのレースに出場するの、何度目だと思う?
二十八回だ。二十八回も、俺はこんな下らない、手枷足枷のついたベッドに乗ってるんだ。
でも結果はいつも二位以下だ。いや、二位にさえ一度しかなった試しがねえ」
一番奥のベッドから嘲笑の声が湧きだした。
感情が昂ぶりだしたのか、やがて男は涙ながらに叫び始めた。
(;A;)「あんまりだろう、そう思わないか?
たった四分の一の確率で、そんなに何回も落とされるはずがない。
誰かが裏で糸を引いてるんだ。俺のベッドに、何か細工してるんだ。間違いない。
いつしか、俺についたあだ名は聞いての通り、万年補欠だ。
そんな生易しいもんか? ユニフォームに袖を通す腕すら自由じゃないんだぜ。
そして、俺を罵り嘲る奴らは、次々とあの世界へ生まれていけるんだ……」
男は泣き続けた。そのせいで彼の顔は惨めなほどに醜く変わり果てていった。
そしてまた例の……身体を上下に揺するやつをやり始めた。
手枷と足枷のせいで上手く身体を動かせない様子だ。それでも男はやり続けた。何度も、何度もやり続けた。
- 42 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 22:06:14.82 ID:xMnTi60VP
- ( ^ω^)「つまりここは、生まれる前の世界なんですかお?」
(;A;)「なんだ、それ。生まれる前の世界なんて、あるはずねえだろう」
( ^ω^)「……じゃあ、今の貴方は誰なんですかお?」
(;A;)「今の俺? そんなもの、どこにもいやしないさ」
辺りは不気味なほどに静かだった。
男の泣き声と、キャスターの回転する錆び付いた音ばかりが無闇に響く。
レースという割に、観客は一人もいない。審判や、ペースメーカーの存在さえ無いのだ。
第一、どうやって勝敗を決するというのだろう?
僕らは手足を拘束され、ろくに動くこともできない。
隣の男のように身体を激しく揺すればいいのだろうか。そんな子供だまし、通用するはずがない。
……それ以前に、何故僕が競技者なのだろう。
僕はすでに生まれてしまっている。言ってみれば、とうの昔に僕は勝者だったのだ。
その上でもう一度優勝してみせるなどと、茶番を演じる必要もないはずである。
或いは、これもまた、単純な遡行なのだろうか?
過去の体験を戯画化した、現実よりも現実らしい非現実なのだろうか?
僕の頭の出来は大して良くないが、それでも少し考えを巡らせてみれば分かることだ。
つまり、いよいよ僕はこの世に誕生する前後、産まれる瞬間まで遡ってきたのである。
もうこれ以上後退することは無いだろう。いよいよ終着も見えてきたらしい。
- 43 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 22:11:32.78 ID:xMnTi60VP
- ('A`)「あー……いかん、まただ、また泣きすぎた……」
真っ赤に腫らせた眼を何度か瞬かせ、男は言った。
('A`)「十回目ぐらいから、毎回こうだ。
ベッドに乗るまでは我慢できるのに、乗っちまうともう駄目。
感極まってどうしようもない。これが、俺の敗因ではないかとも思うんだがね」
( ^ω^)「そんなに、生まれたいんですかお?」
('A`)「当たり前だ。生まれなきゃ、俺はもう、俺ですらないんだから。
誰にも認められない、否定すらもされやしない。
そんな『不在』で居続けることが、どれだけ辛いことだと思う?」
( ^ω^)「僕には、よくわからないですお。だって、僕には生まれる前の記憶なんて……」
('A`)「そうだ。誰もがそうだ。何でも知ってるなんて、なんの役にも立ちやしない。
だって、全てを知っていたところで、結局なにも出来ないんだからな。
だから捨てるんだよ。生まれれば、捨てられる。自由になり、関係を求められるようになる」
……それにしても、『生まれなかった者』たちの話を聴いていると、
まるで生まれることが逃げ道であるかのように思えてくる。
誰しも、そういうものなのかもしれない。隣の芝は青いばかりではなく、金塊さえのぞかせているのでは無いか。
( ^ω^)「……でも、生まれることだって別に良いことばかりじゃないですお」
('A`)「確かに過剰な期待を抱いてるんだろうよ、特に俺みたいなのは!
しかし、生まれれば必然に関係ができる。母親、父親、兄弟、知人、友人、恋人……。
それだけで充分なんだ。俺みたいなのはもう、それだけで充分、満足できるんだ」
- 44 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 22:15:46.29 ID:xMnTi60VP
- ……僕には優越感があった。『生まれた故の優越感』だ。
男の言葉に、別段反論することもあるまい。彼がいずれそれだけでは満足できなくなるのは自明の理だが、
だからといって未だ勝者にすらなっていない彼に告げる残酷さは必要無いだろう。
僕がそう思って男から眼を外した瞬間、凄まじい悲鳴が静けさを滅茶苦茶に引き裂いた。
超音波寸前の高音、悲鳴と言うよりむしろ、獣の咆吼だった。
僕は思わず耳を塞ごうとして手枷の存在を思い出し、次の瞬間にはその悲鳴の主に思い当たってしまった。
( ω )「トソン!」
僕は叫んだ。しかしきっと届いていまい。僕の声は彼女に大きく負けていた。
('A`#)「うるせえな! 馬鹿野郎!」
男も怒鳴り返すが、今や彼でさえ無力だ。
そして同様に、僕自身も無力だった。こんなに間近に彼女がいるのに手を差しのべてやることも、
あまつさえその姿を一目見ることすら叶わない。或いは二人で互いに手を伸ばせれば、
握手できるほど届きそうな距離にいるのに、僕は何もできないのだ。
ただ鼓膜で彼女の存在を痛いほどに感じ入ることしかできないのだ。
( ω )「トソン! ねえ、トソン!」
僕はひたすらに彼女の名前を叫び続けた。しかし悲鳴は止むことを知らない。
どうして彼女があんな風な狂態を晒しているのか、まるで理解できなかった。
さっき、一瞬だけ垣間見えた時の彼女は目を閉じて横たわっていた。眠っていたのかもしれない。
目覚めた彼女は自分の状況に、悲鳴をあげたのだろうか?
- 45 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 22:20:37.87 ID:xMnTi60VP
- しかし、思考は悲鳴の嵐に妨害され、それ以上進まなかった。
僕は彼女の姿を確認しようと状態を持ち上げた。
手枷をがちゃがちゃとやって外そうとしたが、それは冗談みたいに強情だった。
五センチほども厚みのある金属は、解錠しない限りどうやっても取り外せないよう固定されている。
究極的には手足ごと爆破でもするしか無いが、ここには爆薬がないので、
そういった英雄的行動は入り口のところで封じられてしまっている。
('A`)「…………」
男が此方に向かって何かを言ったが、聞こえない。
常人ならばとっくに喉が裂けてしまっているような悲鳴を長々と聞いているため、
次第に意識が朦朧とし始めた。まるで、悲鳴以外の音などこの世に存在しないかのようだ。
トソンの悲鳴は、もはや手段が目的化してしまったかのようで、それぐらい命を削っていると思われた。
僕は目を閉じた。彼女の悲鳴の理由は分からないが、少なくとも『生きていることは分かる』。
そう思い、僕は自分自身の安寧に努めた。そうだ、生きてさえいれば、どうにでもなる。
それは理知的な堕落の方法だ。錯覚といっても構わないかもしれない。
ちょうど彼女から何度かかいだにおいと同じく、僕は最低限の幸福を誤解して安堵しようとする。
そうした僕の考えは、しかし、不意に遠ざかった悲鳴と共に吸い込まれるように消えてしまった。
僕は眼を開ける。男のベッドの向こう側、すぐそこに壁が走っていた。
- 47 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 22:24:45.13 ID:xMnTi60VP
- ('A`)「……ああ、畜生。死ぬかと思った」
男は忌々しいジョークを吐いて苦しげに首を回した。
( ω
)「……トソン、トソンは?」
耳鳴りがする。三半規管のあたりでブレーキがかかっているような響き。平衡感覚の停止。
('A`)「道半ばで三叉路に突き当たるんだよ。そこで二手に分かれるんだ。
まあ、ゴール手前になったらまた一つになるよ。何の意味があるのか分からんがね」
( ω )「……」
('A`)「しかし、一番奥の奴は災難だな……いや、ざまあみろ……。俺のこと、からかいやがって」
キュルキュルとキャスターが音をたてる。どうやら微妙に方向転換を図っているらしかった。
ベッドは直線運動だけでなく、道筋によってカーブしたりする能力も心得ているようだ。
では、落ち着いて考え直してみよう。何故トソンは悲鳴をあげたのか?
思えば、彼女だってこの競技を経験したことはあるはずなのだ。
何せ、彼女は生まれる直前まで進んだのだから。
競技に勝利し、向こうの世界で物理的、精神的な形成を行う途中まで歩めたのだから。
そう、彼女は勝者だった。
しかし、『若者の過ちがあった物証』である彼女は、勝者にして抹消されたのだ。
まさに世界へ関係を求められる、全てを捨てられる寸前に、
彼女の不届きな『関係』は、逆に彼女を見捨てるという行動に走ったのだった。
Q.そして彼女を見捨てた『関係』は何を言っている? A.どことも分からない壁に謝罪を呟いている。
- 48 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 22:28:14.49 ID:xMnTi60VP
- ---28---
『仮面への回路』
以前トソンはこんなことを言っていた。
(゚、゚トソン「皆、恐ろしいのです。緩やかで心地よい母の中から出ていくのが。
自分がどのような将来を歩むか、どのような形で死んでいくのか。
もしかしたら畸形で生まれるかもしれない。もしかしたら精神病理を持つかもしれない……。
そういう、透き通った迷路のような、結果の見える悲劇を歩んでいくのが、恐ろしいのです……。
だから、何もかも捨てて、そうして、何も分からないふりをして、悲しく泣き喚きながら生まれるのです」
僕はその台詞を額面通りに受け取った。彼女の言葉を、僕らの世界への否定だと思ったのだ。
それはある意味で正しかった。ただし、僕が純粋無垢な世界に生まれたならばの話だが。
( ^ω^)「生まれたいというのは、全員の希望なんですかお?
あなただけではなく、例えば向こうのベッドに横たわっていた人にとっても……」
僕は一種の確信を持って男に訊ねた。
('A`)「……そりゃまあ、そうだろうなあ。そうじゃなきゃこんな競技に出ないよ。
俺ほど、きちがいじみた強さで考えてないにしても、少なからずは思ってるんじゃないかねえ」
男の言葉が正しければ、トソンは、とんでもない強がりをしてみせたということになる。
彼女だって生まれたかったのだ。全知を捨てて、関係を求めたかったのだ。
そういった彼女の願望は、文字を求める姿にはっきりと表れていたじゃないか。
しかしそうはならなかった。すんでの所で、彼女の希望は遮断された。
僕のところにやってきた彼女は、その時点で最早どのような関係も作れない存在だったのだ。
- 51 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 22:33:20.63 ID:xMnTi60VP
- 僕はようやく、トソンがデレ達のところではなく、僕のところへ来た理由が飲み込めた気がした。
当然のこととして、トソンにとってデレたちの存在はトラウマ以外の何者でもない。
『生まれてもいない』彼女の、唯一の関係、それがデレたちなのだ。
不幸なことに、デレたちはトソンにとっての『両親』であり、『殺人者』なのである。
誰がそんなところへ行きたがる?
この塔にあらわれるデレの呟きを見るのも、本当は嫌で嫌で仕方なかったに違いない。
しかし彼女は見ていた。むしろ積極的に見ようとさえしていた。
それは自虐的な自己充足であると同時に、僕へのカモフラージュに違いないのだった。
彼女はずっと、ずっとずっと、仮面をつけたままなのだ。
僕は、恥ずかしながらこの僕は、彼女の本心を露ほども知らなかったのだ。
想っていてさえ!
そして僕は、仮面の彼女を好きになった。
教義へ背き、塔の存在に背いて、彼女を抱きしめたのだった。
出店のお面に本気で惚れ込む奴がどこにいる? ここにいる。現実として、ここにいる。
……彼女はきっと、怯えていたに違いない。
再び競技に勝利して新しい母親の腹に宿り、そして再び希望を断ち切られるという、
この世で最も陰惨な拷問を受けることに、絶望的な恐怖を感じていたに違いなかった。
そしてそのトラウマをあのベッドの上で思い出し、死にそうな金切り声で吠え続けたのだ。
- 54 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 22:40:14.43 ID:xMnTi60VP
- それに比べて、僕ときたらどうだろう。
この塔に入って以来、僕はトソンをどれほど都合良く扱ってきたことか。
時には同行者として、時には待ち人として、時には読者として、時には片思いの相手として……。
そう、異常なのは僕で、彼女は十分な正常人だったのだ。
僕は晒しすぎた。塔という道具を使い、内面の遍く哲学じみた思索から、俗物的欲求に至るまで。
結果こうなってしまった。僕は作らなくてもいい傷を増やし、よけいに現実を複雑にしてしまった。
( ^ω^)「僕はただ、孤独になるためにここへ来ただけなのに。
ただ、全てから解放されたくて、解放されることが自己主張だと思って……」
('A`)「自分より上に人がいることを認める奴は大勢いる。
だが、自分より下に人がいることを認める奴は、驚くほどに少ない。
何を怖がってるんだろうね。まだ落ちていく奈落があるからだろうか?」
( ^ω^)「見下ろすのも、見上げるのも嫌なんだお。まっ平らな、何もない地面があれば……」
('A`)「あんたらの下には、常に俺たちがいる。
地面に立つための許可証さえ貰えなかった、自分のない、俺たち……」
僕は以前、この男にレースに勝ったことがあるのかもしれない。
何の確証も無いが、それぐらいしか僕と彼との関係が思いつかなかった。
( ^ω^)「さっき何を言ってたんですかお? トソンが、叫んでいたとき……」
('A`)「他愛もないことさ。誰だって、教えられなくてもいつかは自ずと気づくような、
しかし、気づいたとしても、素知らぬふりで生きていくような、そんな話……」
- 55 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 22:45:19.01 ID:xMnTi60VP
- ( ^ω^)「それは、僕が何かを知らない振りしていると?」
('A`)「孤独ってのは、結局、それを立証してくれる第三者が必要なんだ。
たった独りの世界じゃ孤独になれやしない。顧客のいない弁護士に弁護の資格があるか?」
( ^ω^)「そんな、何でも知っているような口ぶり……」
('A`)「俺は全部知ってるとも。なにせ、生まれてないんだからな!」
僕が知らぬ振りをしていることなど、数え上げていけばキリが無いだろう。
例えば、トソンが今、どうなっているかについて。
知らぬ振りをしている、というわけではないが、直視できるわけでもない。
僕の周りにはそんなことばかりだ。そしてそれは、大きく『現実』と呼称することもできる。
僕は現実から逃げている。
時には都会の群衆に埋没することを怖れ、名無しになることを怖れ、家族親族を怖れる。
そうやって生きていくしか、僕には能がないと言うのにも関わらず。一方でそれを認めているにも関わらず。
自殺するほどの勇気がない紳士淑女がリストカットをして生きながらえるように、
僕も、『誰にも認められない孤独』で在り続ける勇気がないならば、関係の渦に身を沈めるしか無いのだ。
ここまで、ついさっきまで、それで全てがうまくいっていたはずなのだ。
しかし、誰が僕を狂わせたわけでもない。
僕が、僕自身の頭のネジを引っこ抜いてしまったのだ。
- 57 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 22:50:05.13 ID:xMnTi60VP
- ---29---
『逆走』
直線をひた走るベッドが、緩やかに加速した。
( ^ω^)「このレース、どれぐらいの長さなんですかお?」
('A`)「もうすぐ終わる。じきに、向こうの二台とも合流するさ」
つまり、ラストスパートと言ったところだろうか。
未だに僕と男のベッドはほとんど並走し続けている。
接戦を演出しても誰も得しないだろうに、律儀なものだ。それとも、ベッドの性能にさほど違いが無いのだろうか?
だとしたら、隣の男は何故、三十回近くも連敗したのだろう。
('A`)「結局、こんなレース、茶番なんだろうよ。
最初から、生まれていける奴は決まってる……そんな気がする」
( ^ω^)「……」
('A`)「それでも諦めきれないんだよなあ。つくづく馬鹿らしいけど、人生なんてそんなもんなんだろう?
どうしようもないことにぶつかって、やっぱりどうにもならない。そんなことの、繰り返し……」
- 59 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 22:54:34.96 ID:xMnTi60VP
- 再びキュルキュルと音が鳴り、ベッドが方向転換を始めた。
( ^ω^)「合流地点かお?」
横たわったまま身を硬直させ、心構えを整える。
僕の方からでは向こう側の様子をはっきり見てとることができない。
直視せずに済む、というネガティブな安堵を覚えつつ、僕は男の言葉を待った。
ベッドは再び直進を始め、滑走する車輪の音が増えた。
トソンの叫び声は聞こえない。どうやら落ち着いたらしく、僕は胸をなで下ろす。
('A`)「……ん?」
しかし男は首を傾げた。そして、奥を走る男に呼びかける。
('A`)「おい、ここにいた女の子はどうした?」
- 60 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 22:58:17.75 ID:xMnTi60VP
- ( ^ω^)「トソン、どうかしたのかお?」
僕の声を遮るように、奥の男が言った。
「それが、途中で拘束具外して、どっか行っちまったんだよ。畜生、まだ耳鳴りがしやがる……」
その瞬間、僕は手枷の存在を忘れて起き上がろうとした。手首を激しく打ち付け、痛みが走る。
(;^ω^)「どういうことだお!? トソンが、いなくなったのかお!?」
「なんだ、お前、知り合いなのか」
僕は必死で拘束具を外そうとした。しかしいくらもがいても取れる気配がない。
こんなもの、トソンはどうやって外したのだろう。
('A`)「……頭だ」
不意に男が呟いた。
('A`)「頭をベッドに激しく打ち付けろ。なんども。そうすりゃロックが解除される。
昔、泣きわめき、暴れすぎて、一回だけやらかしたことがあるんだ」
奥の男が野卑な嘲笑を飛ばした。僕は慌てて頭を持ち上げ、ベッドに叩きつけた。
一度目。外れる気配はない。二度目。まだ駄目だ。三度目。頭がくらくらする。
そして四度目の挑戦で、ロックは解除され、拘束具が外れた。その勢いで僕は、床に転がり落ちた。
- 61 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 23:04:29.38 ID:xMnTi60VP
- 半身を強かに打ち、一瞬痛みに悶えたが、次の瞬間には立ち上がることができた。
男に礼を言うのももどかしく、僕はベッドを確認する。二人の男に挟まれているベッドは、確かに空っぽだった。
それだけを確認し、僕はコースを逆走した。ベッドの滑走より、脚で走る方がよっぽど速い。
すぐに先程の合流地点にたどり着き、僕はトソンのベッドがやってきた、右に向かって進んだ。
それにしても、男はどうして僕に解除方法を教えてくれたのだろう?
やはり、競技の人数を減らすためだろうか? それにしたって、まともに別れも言えなかったのは寂しい話だ。
願わくは、彼に一位の栄光あれ。
トソンがどこに消えてしまったかなど、見当もつかない。
まさかスタート地点まで逆走していったわけではないだろう。そうしたところで、白衣に捕まって終いだ。
僕は廊下に立ち並ぶ扉を一つ一つ開いて確認していくことにした。
それぞれの扉は集団病室や診察室などに繋がっている。そのいずれもが無人だった。
やけに明るい白熱灯の下、僕の足音だけが響いていた。
元々運動が得意ではない上に走り続けたものだから、すぐに息が上がった。
しかし僕は立ち止まれなかった。必死なのだ、今彼女を失ってしまったら、僕はもう、完全に……。
やがてたった一つ、他とは居住まいの違う、灰色の扉を見つけた。
開くと、上に伸びる階段があった。塔で見慣れたものとは違い、まっすぐ、斜め上に直伸している。
僕は一目散に駆け上がった。先程とは打って変わった、薄暗い、精神病棟のような空気。
階段の天辺に扉があった。どうやら、機械仕掛けの鉄扉らしい。鍵のようなものが必要だ。
しかしそれはすでに開かれている。取っ手の部分に鍵となったらしい小さなものがついている。
それを見て、僕は思わず悲鳴を上げた。
それは、赤いネジだった。
- 63 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 23:08:15.03 ID:xMnTi60VP
- ---30---
『廻る、巡る』
――もしかしたら、僕はここで歩みを止めるべきなのかもしれない。
この扉は赤いネジで開かれた。つまりここが、トソンの目的地だったわけだ。
彼女は無事にたどり着くことができたのだ。ハッピーエンドじゃないか。
いずれこうなることは分かっていた。僕と彼女では、迷路の出口は違うと、理解していたはずだ。
しかし、扉は開かれている。
トソンの意図か神の気まぐれなのか分からないが、ともかく扉は開いているのだ。
僕には、進まないでいるなんてことは出来ない。
彼女に会いたかった。僕は彼女との関係を求めていた。
そして今この瞬間は、唯一、彼女を知れる機会でもあった。
一体彼女が、何を求めていたのか。何を求めて、ここまでやって来たのか。
( ^ω^)「それにしても……水くさいじゃないかお、トソン……。
目的地を見つけたなら、一言僕に、知らせてくれれば良かったのに。
これじゃあまるで、他人同士みたいじゃないかお……」
僕の独り言は反響もせず消え入った。
扉を開くと、短い廊下の先にもう一つ扉があった。
無機質なコンクリートの壁。天井にぶら下がった、必要最小限の豆電球。
全てに生気が無く、僕はようやく、彼女が『生まれてない』ということを実感した。
二枚目の扉にもやはり鍵はかかっておらず、僕は最早何の迷いもちらつかせずに、それを押し開いた。
- 64 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 23:13:39.45 ID:xMnTi60VP
- その瞬間、目の前に何者かが見えて僕は思わずたじろいだ。
しかし、その人物もたじろいだので僕は溜息をついた。そこには鏡が置かれていたのだ。
( ^ω^)「……」
いや、目の前だけではない。床も、天井も、後ろ手に閉めた扉の裏側までも、
狭い通路の全てが鏡で出来ているのだ。僕は、無数の僕に囲まれていた。
この部屋がトソンの目的地なのだろうか?
それにしては、随分と脈絡のない、殺風景なところだ。
ともかく進んでみることにした。目の前の鏡の壁で右に折れる。
その先もやはり全面に鏡があしらわれている。光源はどこにも無いはずなのに、やけに明るい。
周りが鏡ばかりだと地面が無限に続いているように見え、次第に遠近感が失われていく。
そういえば、昔両親と一緒に遊園地に行ったとき、こんな感じのアトラクションがあった。
『鏡の館』とかいう鏡張りの迷路で、迷子になった僕は無数の自分の姿に怯えて泣き叫んだものだった。
しかし、ここで僕は、本当の意味で迷子なのだ。
幾ら進んでも、父も母もいやしない。僕は自力で、ここを脱出せねばならない。
引き返すことも出来なくはないが、そうするつもりは毛頭無かった。
突き当たりに差し掛かると手をのばして何も無い方を探し、更に進む。
そうやってどれぐらい歩いただろう。不意に、少し開けた場所に出た。
そこもやはり鏡張りであることに変わりは無かったが、それよりも先に、
僕は隅に立っている『僕では無い誰か』に目を奪われた。
それは、母だった。母が、直立不動の姿勢で立っていた。
しかし、怖る怖る近づいて見ると、それは母ではなく、またしても母のマネキンだった。
- 69 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 23:18:18.95 ID:xMnTi60VP
- 何故こんなところに母のマネキンが置かれているのだろう?
先ほど、一瞬母の思い出を考えついたからだろうか。だとしたら、これほど悪質な冗談もない。
僕は怖さを紛らわせるように、あえてそのマネキンに近づいた。
( ^ω^)「もう、カーチャン、驚かせないでくれお」
そんなことを、努めて陽気に言いながら。
( ^ω^)「まったく、そんなにじっとどこを見てるんだお……」
そう言ってひび割れそうな笑みを浮かべながら母の視線の先を見る。
そこにも鏡があり、僕と母が並んで立っている姿が映っている。
眺めているうち、実に妙な気分に襲われた。まるでマネキンは僕の方で、母が人間であるようなのだ。
僕は慌ててマネキンから飛び退き、先へと急いだ。
また狭い鏡の通路であり、僕は何人もの鏡の中の僕と一緒に、ほとんど走るように前進した。
やがて、再び開けた場所に出た。そこにもマネキンがいる。
今度は二体だった、父のマネキンと、母のマネキン。二人は、無表情で肩を組んでいた。
( ^ω^)「……」
僕は両親の見ている鏡を見た。
彼らが肩を組んでいるその前に、一瞬、そこにいないはずの僕が見えた。
現在の僕では無い。幼い僕だ。まだ、幼稚園かそこいらぐらいの僕が、立っていた。
更に進むと、次の空間には、両親に加え、赤ん坊の僕のマネキンがあった。
両親が肩を組んでいるところから少し離れた場所で、独り座り込んでいる僕のマネキン……。
- 72 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 23:25:11.18 ID:xMnTi60VP
- そういえば、こんな話を聞いたことがある。
赤ん坊の頃、まだ人間には自我がない。
自分というものは存在せず、ただ愛すべき母親という存在が自分とは他にある。
あるとき、鏡の前で母と遊んでいた赤ん坊は、母親のそばにいる、『小さい人間』を認める。
赤ん坊は思う。「母の隣にいるのは、自分自身ではないか」と。
その瞬間、赤ん坊に自分自身、即ち『自我』が生まれる。
他の誰でもない自分自身というのを、赤ん坊は鏡を通して獲得するのだ。
さて、赤ん坊は成長し、幼児になる。今度はその鏡に父親が登場する。
父親は母親を連れ去っていく。今まで自分だけを愛してくれていたはずの母親が、父親につれていかれる。
赤ん坊は孤独になる。鏡を通し、赤ん坊は自分自身の孤独な姿をはっきりと認めてしまう。
赤ん坊は『エディプス・コンプレックス』を覚える。母への愛情と、父への憎悪だ。
また、『超自我』も生む。いなくなった両親の代わりに、自分の本能的欲求を検閲する心理システムである。
そうやって人は大人になっていくのだという。
鏡と両親は、そういった心理的成長過程の簡略なモデルであるのだという。
しかし、なんだって僕はこんなところで心理学の復習をしなければならないのだろう?
僕は進んだ。すると次の空間には両親のマネキンが無かった。
そこには成長し、ほとんど今の僕と同じような風貌のマネキンが立ち、その隣にもう一体、女のマネキンがあった。
デレだ。
デレと僕が密着して立っている。まるで見せつけているようですらある。
- 74 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 23:29:48.92 ID:xMnTi60VP
- ( ^ω^)「……」
それはマネキンだ。今更どうと言うこともない。
しかし、関係することをすでに認めてしまった僕にとって、この光景の意味するところは何だろうか?
僕は孤独を志して彼女と別れた。棄てたといっても過言ではないかもしれない。
今、僕は孤独に敗れて彼女のマネキンを前にしている。泣いて許しを請うべきなのだろうか。
次の部屋では、デレの隣にいつかの男……長岡が立っていた。
そして僕は隅に追いやられている。鏡に、惨めな僕独りの姿が映し出されている。
もう十分だ、と僕は思わず叫びそうになった。
もういい、もう分かっている。そうだ、僕は孤独に負けたんだ。
そんなこと、自分の内面で重々承知している。なのに、何でまだ、こんなに痛めつけられないといけないんだ。
まるで死刑囚のような気分だ。いくら反省したってギロチンの刃は落ちてくる。
確かに僕は悪いことをした。デレを裏切りトソンを利用し、挙句自分自身を貶めた。
だがそれだけだ。それぐらいのこと、僕じゃなくたってやっている人はいるだろう。
それとも、僕の罪は僕が考えている以上に重いのだろうか?
病んだ若者がそうするように、血反吐を吐くような自虐だけでは、済まされないのだろうか。
……それに、別に、僕のマネキンは用意しなくても良いんじゃないのか?
現に、僕はここにいるのだから。
……もしくは、こう言いたいのか?
ここに立つ、意識を持っている僕は最早、マネキンの僕以上に関係を持てない存在なのだと。
- 76 :
◆FeIP505OJ. :2010/05/21(金) 23:33:52.76 ID:xMnTi60VP
- 僕のマネキンは、僕が歩を進める度に関係を失っていった。
両親を失い、デレを失い、そしてしょぼんを失った。
その他、少しでも僕に関係ある人物は全てマネキンとして登場し、全て僕から離れていった。
(ヽ´ω`)「……」
僕は、満身創痍の状態で扉の前に立った。
これで、罰は終いだろうか。僕は刑期を終えて、釈放されたのだろうか。
しかし、一人だけ、僕の記憶する関係の中で、登場しなかった人物がいる。
言うまでもなく、トソンだ。彼女だけは僕から離れなかった。
そして、彼女はこの扉の先にいるはずだった。
執行された刑罰に打ち拉がれた自分の顔を、両手で叩いて整える。
しかし、彼女にどんな顔をして会えばいいのだろう。
ここまでの道のりを、彼女も当然、通ったことになる。
最早僕に隠すような恥部は一切無かった。素っ裸を晒してもさほど恥辱は感じないだろう。
それでさえ、僕にはまだ躊躇いがあった。
( ^ω^)「……」
そうだ、僕はただ、別れの挨拶を済ませればいい。
青春映画の気障な主人公のように、彼女に握手か、抱擁の一つや二つ、やっておけばいい。
そうして、僕は退場すればいい。
それでいい。
-
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