( ^ω^)『夢の墓場』のようです


3 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 21:34:45.20 ID:CyEDXZ9D0
---1---

『他人同士』

僕の恋人が、新しい恋人を連れて僕の前に現れた。

ζ(゚ー゚*ζ「この人……が、さっき電話で話した人……」

おずおずと、雨に濡れそぼった子犬のような声で彼女は言った。

季節外れの寒風が吹きすさぶその日。
僕は、アパートの自室で赤い小さなブロックを組み立てて塔を作っている最中だった。

ζ( ー *ζ「それでね、あの……ブーンくん、キミとはもう、さよならしたいなって……」

僕は振り返って恋人を見上げた。
涙のにじんだ両目が、すぐそこにある。彼女は短く鼻をすすった。

他方、男はいかにも軽薄そうな風貌に軽薄そうな表情を乗せている。
茶色く、あちこちにねじ曲がった髪。首からさげた、小さな銀色のキリスト的十字架。

( ^ω^)「この人、キリスト教?」

僕が彼女に訊ねると、何故だか彼女は潰された子猫のような嗚咽を漏らした。

4 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 21:38:07.20 ID:CyEDXZ9D0
 _
( ゚∀゚)「ってか、わざわざコイツに挨拶する必要なんてないんじゃね」

前髪を弄くりながら男が言った。
 _
( ゚∀゚)「デレがコイツに会ってやるなんて義理はねえんだから。
     ほっとけばいいんだよ、こんな奴」

彼は明らかに僕を見下しているようだが、僕にはその理由が分からない。

男と面と向かうのは初めてのことだが、話は恋人からよく聞いていた。

曰く、彼はデレの相談相手だった。
曰く、その相談とは『彼氏』の『宗教狂い』についてだった。

――そう、失礼なことに、恋人は僕を宗教『狂い』だと思っていた。

曰く、相談を重ねるにつれ、恋人と男の関係は親密になっていった。
曰く、先週、恋人は男の家に泊まり、つまりそういうことをした。

――すべて、電話で聞いた話だ。

( ^ω^)「かっこいい人だお」

僕は素直な気持ちでそう言った。
実際、顔面偏差値で言えば僕より数段上だった。



 
6 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 21:40:57.31 ID:CyEDXZ9D0
ところが、なにが悪かったのか、僕のその言葉を聞くなり、
彼女は風船が破裂したような大音響で泣き叫び始めた。

途端に男が僕に歩み寄り、僕の襟首をひっつかんで立ち上がらせた。
 _
(#゚∀゚)「お前、デレにどんだけ迷惑かけたかわかってんのかよ。
     お前みたいな宗教キチガイのせいで彼女がどんだけ……」

ζ( ー *ζ「いいよ、もう、いいよ!」

デレが叫んだ。目と顔とその他諸々が真っ赤になっていた。
男がハッとした風で僕の襟首から手を離す。僕は体勢を崩して床の上に座り込んだ。

ζ( ー *ζ「もう、いい……なにも言いたくない」

恋人は叩きつけるように膝を床に落とし、手をついた。
そうしてしばらく泣き続けたが、やがて力の抜けた笑顔を作った。

ζ( ー *ζ「だってこれが、ブーン君だもの。それでこの人が、好きだったんだもの。
        もう、私なんかに文句を言う筋合いはないんだもの……」

男は手持ちぶさたの様子で髪をかきむしり、低くうめいたかと思うと、
右腕を大きく振って作っている最中だった赤い塔を真ん中のあたりからたたき壊した。

ガラガラと音を立て、ブロックのカケラが机と床に散らばる。
二番目と三番目のブロックは、入れ替えて組み立てた方がバランスがよくなりそうだ。



 
8 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 21:44:26.70 ID:CyEDXZ9D0
 _
( ゚∀゚)「……最後に、挨拶したいって、デレが。そんで俺にもついてきて欲しいって……。
     俺、とめたのに。あんな奴に、話通じるはずねえからって」

ζ( ー *ζ「いいんだよ、うん。いいんだ。私が、会いたかっただけだから。
       引き留めてもらおうなんて、思ってなかったから」

恋人は床から立ち上がり、膝を軽く払った。
僕は服装の種類についてよく知らないが、たぶんそれはかわいらしい服装だった。

ζ( ー *ζ「いこ、長岡君」

恋人はそういって男を促した。
そして僕を振り返る。彼女は小さな声で呟いた。

ζ( ー *ζ「じゃあね、さよなら、ブーン君」

( ^ω^)「僕たち、他人になるのかお?」

そう問うと、何故か男が舌打ちをした。
「そんなこともわからねえのか」とでもなじりたげに。
しかし恋人は、新しい涙を落としながらも気丈に、作り笑顔で言った。

ζ( ー *ζ「うん、そうだよ」

( ^ω^)「そうかお」

恋人から他人になった彼女に、僕は言った。

( ^ω^)「それは、宗教的にすごく正しいことだと思うお」



 
10 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 21:46:34.08 ID:CyEDXZ9D0
男と『他人』は僕の部屋から出て行った。
玄関のドアが閉まっていくわずかな隙間に、男が『他人』をしっかりと抱いているのが見えた。

ドアが完全に閉まってから、僕は床に散らばった赤いブロックを集め始めた。

どちらかというと、満足感の方が大きかった。
僕はまた、宗教的に一段階高まることができたわけだ。

だが、一つ残念なのは、彼女が僕の宗教を理解してくれなかったこと。
お互い、満足して『他人』になるのが僕の理想だった。

集め終わったブロックを机の隅に置き、不自然に残った塔の残骸を全て壊す。

そうして、もう一度最初の一段目から、僕は塔を積み上げ始めた。

――それにしても、何故彼女は理解してくれなかったのだろう。
聡いはずの彼女が、僕の宗教、『孤独同盟』を、何故――。



 
12 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 21:50:32.73 ID:CyEDXZ9D0
---2---

『新興宗教孤独同盟』

『孤独同盟』は僕が信奉する宗教の名前であり、また教義そのものでもあった。
それは理想的な共同体の展望として、全ての行動の原理とされている。

『限られた特定の他人より、無限で無名の同盟を』
それこそがつまり、宗教全体の目標であるといえる。

それに関連し、『孤独同盟』教祖のモララー師は、事あるごとにこうおっしゃっている。

( ・∀・)「私は真に皆が孤独の同盟を達成できたとき、大いなる祝福と感動を覚えて自ら命を絶つでしょう。
      真に無名である同盟にあっては、私はあまりに貴方たちの心に深く食い込みすぎました」

年に何度か行われる集会では、全員仮面と体型の分からないような服装を纏うことが義務づけられている。
宗教内では誰とも知り合いになってはならない。名前を訊くことさえ許されてはいない。
そうやって他人同士でいることに、無上の連帯感を覚えられるのである。

それはまるで、一人の人間を形作る、細胞のように、
僕らはお互いの素性を知らぬままに一つの共同体を作り出す。
だから、唯一モララー師を除いて、日常生活では誰が教徒であるか、知りようもないのだ。

どうやらデレは違ったらしい。そして、連れ添っていたあの男も。



 
14 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 21:53:32.60 ID:CyEDXZ9D0
( ・∀・)「恋人関係、婚姻関係も含め、つまりそういうものは最も唾棄されるべき限定された輪と言えます。
      次に家族……つまり、結婚と出産は二大罪悪と言っても過言ではありません」

ある集会でモララー師がそう言った際、一人の男が師へ質問した。

(   )「しかし、我々人間を生物として考えた場合、
     子孫を残さないというのは、生物の道理に反するのではないでしょうか」

その時、モララー師は薄い笑みを浮かべてこう答えられた。

( ・∀・)「では、あなたの周りに生物の道理に反して『いない』ものがありますか?」

ところで、デレとは宗教よりも長い付き合いをしていた。
高校一年の時からだから、足かけ5年ということになる。

賢い女性だった。僕よりも、遙かに。
そして僕が文系なのに対して、彼女は理系だった。

彼女が『孤独同盟』を理解してくれないのは、もしかしてそのせいだろうか。
そう思うことも、時々あった。



 
16 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 21:57:08.13 ID:CyEDXZ9D0
僕が塔を作っているのは、直近の集会でモララー師が指示されたからだ。

( ・∀・)「それぞれが、それぞれ自身の塔を建てなさい。
      バベルの塔より小さく、しかし高い塔を。そしてそれぞれがそれぞれの塔の中で住まうのです。

      屋上に一つ、展望台を作りなさい。そこからの眺めはそれぞれに見知らぬ他人の塔を映らせるでしょう。
      あなたたちは塔を出ることなく、他人と接触することなく、
      しかし大いなる他人の暖かみを感じることができるのです」

他方で、師はこうもおっしゃった。

( ・∀・)「しかし現実問題として、あなたたち一人一人の力では満足な塔を組み上げることはできませんね。
      バベルの塔一つ建築するのに、いったいどれだけの民を必要としたことか!
      今は、塔を心の中にとどめておきなさい。もしくはミニチュアの理想を作りなさい」

師は大きく手を掲げ、厳かに『言葉を与えます』と呟かれた。

( ・∀・)「あなた方が理想の塔を作り上げたとき、それは必ず、不在から実在へと転じます。
      もしもあなた方の内側、もしくは外側に、理想そのものの塔が完成したならば、
      その理想を携え、あなた方は本物の塔を探しに、旅へ出るべきです」

集会の帰り道、小さなおもちゃ屋で赤いブロックを買い込んだ。
派手な一色にした理由は特にない。単にリンゴが食べたかったぐらいのものだ。

僕は塔を作ることよりもむしろ、塔を完成させて旅へ出ることに憧れていた。
何もかもを断ち切って独り、どこまでも歩き続けるのはどれほど気分がいいだろう。
そしてその旅先で、自らの塔を見つけられるなら万々歳だ。


18 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 22:00:48.68 ID:CyEDXZ9D0
---3---

『旅立ちの日に』

数ヶ月経過して……夏は終わり、冬が過ぎて、春の始まりから随分経った。
そしてついに、僕は塔を完成させた。

ブロックを積み上げただけの歪な塔は今にも崩れそうだったが、今までで一番バランスの良い塔でもあった。

さあ、旅に出よう!

翌日から僕は荷造りを始めた。といっても、たいしたことをするわけじゃない。
もう戻ってこないかもしれない独り暮らしのワンルームを、少し掃除するぐらいのものだ。

大きなリュックサックに数日分の衣服と薬、その他必要そうなものをできる限り詰め込んだ。
次に、塔の立っている机の隅に、幾つかのメモ用紙を置いておいた。
そこには、こんな具合にメモしておいた。

( ^ω^)「しばらく留守にします。内藤ホライゾン」

( ^ω^)「追伸。もう二度と帰ってこないかもしれないけど、向こう三ヶ月分の家賃は先に振り込んでおきました。
      三ヶ月を過ぎたら、この部屋を別の人に貸してくださっても結構です」

( ^ω^)「追々伸。その際、赤い塔はできれば崩さずに引き取ってください。
      崩しさえしなければ、どこにおいてくださってもかまいません」

( ^ω^)「追々々伸。左の目に傷がある三毛猫が来たら餌をあげてください。たまに、窓の外にいます。
      『ミケ』と呼んだらたぶん反応します。顔はちょっと怖いけど、いい野良猫です」

( ^ω^)「追々々々伸。その猫、かわいいです」



 
20 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 22:04:29.56 ID:CyEDXZ9D0
そんな感じで旅支度を済ませたのは、塔を完成させてから三日後だった。
その朝、僕はいつも通りに目覚め、適当に焼いたパンとわずかに残っている紙パックの牛乳を座卓に置いた。

部屋は見事に殺風景になっていた。隅っこに段ボールが積み上げられている。
中には使わなくなった教科書や古い漫画、洋楽のCDなどがおさめられていた。

この部屋に住んでいたのはたったの二年間だったが、それでも愛着はあった。
いろいろなことがあったのだ。主に彼女との思い出だ。喧嘩したり泣かれたり、頭をなでたり一緒に寝たり。

などなど。

でも、それとも今日で別れを告げることになる。
どれだけ長い旅になるか分からないが、ここへ戻ってくる気はあまり無かった。

( ^ω^)「……」

座卓とベッド、そして地デジの入らない小さなテレビ。段ボールから飛び出したゲーム機のコンセント。
写真立て。写真。そういえば今朝は夢を見た。ろくでもないことに、孤独をいやがる夢だった。

( ;ω;)「……」

気がつくと、僕は、パンをくわえたまま泣いていた。
泣いている、というより涙が勝手にぼだぼだと落ちている、という方が正しいかもしれない。
しかし何故泣いているか、と問われればやはり、彼女のことで、と言うほか無いのだろう。

そのまま二十分ばかり、僕はぼだぼだと涙を落とし続けた。
それでも、僕は『孤独同盟』を愛している。



 
22 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 22:08:34.85 ID:CyEDXZ9D0
何はともあれ、今日は出発の日。

大きなリュックサックを背負い、その重みで少しばかりよろめいて、何とか体勢を立て直し、僕は振り返った。

座卓とベッド、その向こうにある勉強やコンピュータを使うための机。
今そこには、赤い塔が堂々と鎮座している。
師の言葉が正しければ、あんな感じの塔がどこかにあるはずなのだ。

( ^ω^)「……行ってきますお」

誰にともなく別れを告げて、僕は廊下を歩き出した。

靴を履き、さあ出かけようと意気込んだところでチャイムが鳴った。

(;^ω^)「……」

何とも言えない肩すかしを食らった気分。

( ^ω^)「……誰だおー?」

とりあえずリュックを置き、外へ呼びかけてみる。返事はない。

ドアを開けてみると、一人の女の子が立っていた。



25 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 22:11:37.01 ID:CyEDXZ9D0
---4---

『生のない女』

( ^ω^)「……誰?」

彼女の顔を眺めてさえ、僕はそういうほかなかった。

(゚、゚トソン「トソンと言います。お初にお目にかかりますね」

割と小柄なその少女はそう言って僕に一礼した。
どうやら初対面らしい。だが、彼女は僕のことを知っているらしい。

( ^ω^)「申し訳ないけれど、誰なんですかお?
       僕の知っている人ではないみたいですけど……」

心当たりは一つしかない。『孤独同盟』だ。
集会の参加者は互いに顔を隠しているから、もしかしたらこの少女もあの場にいたのかもしれない。

しかし、僕も同様に顔を隠していたのだから、やはり参加者に素性を知られようもない。
そもそも、『孤独同盟』の信奉者なら、こうやって『限定された関係』を作り出そうとはしない。

(゚、゚トソン「突然押しかけて申し訳ありません。しかし、貴方はもう発つみたいだったので……」

( ^ω^)「……うん、そう、今から出掛けるお……」

戸惑い気味にそう返すと、決然とした表情で彼女は言った。

(゚、゚トソン「私も、同行させていただけませんか」



 
27 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 22:15:00.97 ID:CyEDXZ9D0
( ^ω^)「……」

僕は改めて彼女を見つめた。年齢は、僕と同じか少し若いぐらい。
全体的な印象は、服装や髪型によって少々野暮ったい風。

様々な疑問が一斉に頭の中を駆け巡り始めた。

彼女は僕が行こうとしている場所を知っているのだろうか?
そうだとして、何故僕と一緒に行こうとしているのか?
そもそも、何故僕が旅に出ることを知っているのか? 誰にも話していないのに。

さて、どれから手を付けたものだろう。

( ^ω^)「……君は、僕が今からどこへ行こうとしているか知っているのかお?」

(゚、゚トソン「ええ、知っていますとも。『夢の墓場』でしょう?」

( ^ω^)「『夢の墓場』……? いや、違う……僕は……」

塔のことを言いかけて、僕は口をつぐんだ。
そう、何もこの少女に全てを話す必要など無いのだ。
『夢の墓場』はいささか刺激的な言い回しではあるが、僕の目指すべき場所ではない。

……それにしても不気味な少女だ。
まるで何もかもを知り尽くしているように落ち着いていて、そのくせ僕を窺っている風でもある。



30 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 22:17:50.87 ID:CyEDXZ9D0
(゚、゚トソン「……もしかしたら、貴方はこう思ってらっしゃるかもしれない。
      申し訳ない、同行させるわけにはいかない。
      なぜならこの旅は孤独でなければならないし、全ての関係を断ち切らなければならないのだから」

( ^ω^)「『孤独同盟』のこと、知っているのかお?」

僕は思わずそう漏らしていた。
他人に向かって『孤独同盟』という固有詞を出すのは禁忌とされているのだが。

(゚、゚トソン「私は知っています……しかし、それを踏まえて申します。
      ご安心ください。私は、貴方が畏れるような『関係』ではありません」

( ^ω^)「どういうこと?」

(゚、゚トソン「私は、『生まれなかった』のですから」

こともなげに彼女はそう言い、優雅っぽい仕草で一礼した。
それにより、僕は三度彼女のすました表情を見つめなければならなくなってしまったのである。



32 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 22:21:36.00 ID:CyEDXZ9D0
玄関先で長々と話し続けるのは不自然だと思い、一旦彼女を部屋の中へ招き入れた。
幸い、戻るつもりのなかった室内は過剰に綺麗にしてあったので、見つかってまずいような物も無い。

まあ、唯一、赤い塔を除いては。

( ^ω^)「『生まれなかった』というのは……?」

断りもなく座卓の前にちょこんと座り込んだ彼女に、僕は腕組みをしたまま訊ねた。

(゚、゚トソン「事情は単純ですが、説明はいささか難しいですね。
 
      ……ある男女が愛し合いました。愛し合えば子供ができる。例え事故だったにせよ、自然の摂理です。
      しかしその男女はまだ若かった……子供を持つ覚悟や経済的準備が十分ではありませんでした。
      二人はそれぞれの両親を交えた話し合いを設け、その席上で子どもを堕ろすことを決定なさいました」

彼女はつ、と立ち上がって塔に顔を近づけた。

(゚、゚トソン「そうして中絶されたのが私……つまり、私は水子なのです。生まれなかったのですよ」

( ^ω^)「……その男女というのは、やっぱり……」

いやと言うほどの心当たりに胸を騒がせながらも、僕は訊いた。

(゚、゚トソン「デレさんと長岡さん……まだまだお若い、二十歳同士のお二人でした」


34 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 22:25:53.90 ID:CyEDXZ9D0
果たして、僕はその名を聞く羽目になった。
去年の夏に別れて、それっきり一度も会っていない二人。
忘れたつもりだったが、ついさっき、僕はその女性の方を想って涙を流したばかりだった。

目が乾燥するのを感じて何度も瞬きをし、大きく息を吐いた。

( ^ω^)「仮に、それが真実だとして……何故僕の前に現れたんだお?
      道理が通らない……それなら、その男女の前に現れるべきでは……」

(゚、゚トソン「その理由は二つあります。まず一つに、男女はもうすでに別れています。
      別れさせられた、と言った方が正しいのかもしれませんが。
      第二の理由は、もちろん、私が旅に出たいからです」

そう言って彼女は、恋人がそうするような上目遣いで僕を見た。

皮肉な話だ、と思う。
僕との関係を断ち切った、その女性の『生まれなかった』娘は、どうやら僕を慕っているらしい。

眉間のあたりを軽く押さえ、僕は彼女と視線を合わせた。
『生まれなかった』とは思えないほど、彼女の頬は幼げな生気のある朱色に染まっている。
此の存在に対して、一体誰が生まれる前の死を宣告できようか。

35 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 22:28:44.74 ID:CyEDXZ9D0
( ^ω^)「一つ、質問……。どうやら君は、様々なことを知っているみたいだお。
      僕のこと、男女のこと、それに君自身のことも……。それらは、どこで知ったんだお?」

(゚、゚トソン「『生まれてしまった』方々には絶対に分からない真理が一つだけあります。
      誰しも、『生まれてしまう』前までは全知全能者なのですよ。
      過去のことも未来のことも知っている……皆それを、生まれる際に母の中へ置いてきてしまうのです」

( ^ω^)「……それは、何故?」

(゚、゚トソン「皆、恐ろしいのです。緩やかで心地よい母の中から出ていくのが。
      自分がどのような将来を歩むか、どのような形で死んでいくのか。
      もしかしたら畸形で生まれるかもしれない。もしかしたら精神病理を持つかもしれない……。

      そういう、透き通った迷路のような、結果の見える悲劇を歩んでいくのが、恐ろしいのです……。
      だから、何もかも捨てて、そうして、何も分からないふりをして、悲しく泣き喚きながら生まれるのです」

( ^ω^)「……君は、生まれたくなかったのかお?」

彼女はその質問には答えなかった。
だが、澱みきった瞳と表情の色が、全てを物語っているような気さえした。

( ^ω^)「君は旅に出て……、どうするんだお? 目的はあるのかお?」

(゚、゚トソン「生まれなかった私がここにいるのにも、何かしら理由があるのだと思います。
      幸いにもその理由は今はまだ分かりませんから……当面は、それを探すために」

( ^ω^)「それは、僕と同じ旅路で正しいのかお?」

(゚、゚トソン「きっと」


37 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 22:33:34.13 ID:CyEDXZ9D0
---5---

『燃え始めた地図』

そうして、僕は彼女と旅をすることになった。断る理由は特に無かった。
彼女が存在し得ない生命である以上、『孤独同盟』の教義に反するわけでもない。

まあ、意地悪く言えば居ても居なくてもどっちでも良い、ということになるのだが。

彼女は荷物らしい荷物を持っていなかった。
持っているのは、身に纏っている衣服と一本の赤い、小さなネジだけ。

( ^ω^)「……ネジ?」

彼女に見せびらかされて、僕は思わず首をひねった。

(゚、゚トソン「目的地で必要になる物です。何故必要なのかは、今はまだ分かりませんが」

特徴は色が赤いという、ただそれだけの、何の変哲もないネジだ。
これがどこで必要になるというのだろう。

ともかく、僕は大きなリュックサックを背負い、彼女はネジをポケットに入れてアパートを出た。

空は快晴。空気は適度に暖かい。


40 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 22:36:30.02 ID:CyEDXZ9D0
(゚、゚トソン「……ところで、見当はついているのですか? 『夢の墓場』の」

( ^ω^)「さっきもそう言っていたけど、なんなんだお、『夢の墓場』って?」

(゚、゚トソン「貴方が目指す場所ですよ。違うのですか?」

……どうも、何か勘違いされているような気がする。
だがそれを議論したところで何にもならなさそうだ。僕は話を変えることにした。

( ^ω^)「さっき君は未来のことを知っているって言ったけど……。
      いうことは、もし、君がごく普通の赤ん坊として此の世界に生まれたら……。
      どのような人生を送っていたのか、分かるのかお?」

(゚、゚トソン「聞きたいですか?」

彼女は、話したくないと言うより、僕が聞くことを躊躇するようにして言った。
何となく神妙な面持ちになって頷くと、彼女はゆっくりと口を開いた。

(゚、゚トソン「小学校、中学校は順調な物です。特に何があるわけでもありません。
      しかし母親は鬱病でしょう。元々気持ちの浮き沈みが激しい人だから。
      そして高校三年の夏、それまで衝動的に行っていた首つり自殺を、彼女はいよいよ達成します。

      大学生になって初めて恋人ができます。文芸サークルの先輩です。
      そして大学一年の六月に、初体験を済ませます。それから何度となく経験しますが、妊娠はしません。

      大学二年で、父が死にます。会社帰りにたまたま工事現場近くを通った父は、
      上空から落ちてきた鉄骨に押しつぶされるという、漫画みたいな死を死にます」


 
44 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 22:39:56.68 ID:CyEDXZ9D0
( ^ω^)「もういいお」

僕は後悔の思いを胸一杯に広げながら言った。
彼女は機械のように平然と口を閉じ、それから「起きえない未来です」と独白した。

そのまましばらく沈黙した。
僕は必死になって何かポジティブな話題を探した。

( ^ω^)「さっき、文芸サークルって言ってたけど」

(゚、゚トソン「……はい」

( ^ω^)「ちょっとだけ共通点を感じるお。僕も好きだお、小説読んだりするの」

(゚、゚トソン「今の私には何ら関係の無い話ではあります……。
     唯一……そう、文字に対する執着は、少しだけありますね」

( ^ω^)「文字、に?」

(゚、゚トソン「そうだ、ブーンさん。貴方の話も聞かせてください」

幼児が玩具をせがむような愛らしい口調で、彼女は言った。

( ^ω^)「僕のこと……。例えば?」

(゚、゚トソン「例えば、貴方の宗教のことなどを」


 
48 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 22:44:03.66 ID:CyEDXZ9D0
---6---

『二十億光年の孤独。または、もう孤独じゃない』

最初の哲学者がどうやって哲学を生み出したのかは分からないが、
それはともかく、僕のこの考え方だって、一体どこから来たか分からない。

もしかしたら、子どもの頃に合わせ鏡をするのが好きだったからだろうか。
鏡の中には無数の僕がいた。遠ざかるほどに暗く小さくなっていくけれど、
確かに僕はたくさんいた。手を振れば、無数の僕が手を振り返してくれた。

僕は孤独じゃない。

孤独じゃない!

……つまり、僕は僕自身が一人しかいないとは、どうしても思えないのだ。
どこか遠い次元の遠い惑星の遠い地面に、幾人かの僕がいるような気がしてならない。

小学生の頃、その考え自体が僕を安心させた。
夜寝るとき、何か怖いテレビ番組を見てしまったとき、ふと『死』について考えてしまったとき……。

寂しくて悲しくてどうしようもなくなった際に、僕は無数の僕を想って心を落ち着かせた。

どこかにいる、僕とは違う、しかし僕と全く同じ僕と繋がっている。
そう考えて布団に潜り込むと、ぐっすり朝まで眠ることが出来た。

中学生になると、逆に鬱陶しさを覚え始めた。
僕は一人だ。他の誰でもないんだぞ。僕は一人だ。一匹狼だ。孤高なんだ。

そんな感じで。


50 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 22:47:44.51 ID:CyEDXZ9D0
そんなある日――確か高校生になってしばらくしてから――、僕はもう一人の僕と出会った。

( ^ω^)「……」

( ^ω^)「……」

『他人の僕』は、僕を見つめて立っていた。

( ^ω^)「君は、誰だお」

( ^ω^)「僕は、ブーンだお」

( ^ω^)「そうかお。僕も、ブーンだお」

もう一人の自分を見たところで何をすればいいか分からなかった僕らは、
とりあえず意味のない、他人からすれば馬鹿にしか見えない問答を繰り返した。

そのうちに、僕は自分がどっちの僕なのか判別できなくなっていた。
相手も同じような心持ちだったらしい。二人して笑った。僕らは作り笑いを笑い続けた。

決して、友好的ではなかった。

……なぜなら、僕はもう一人の僕に劣等感を覚えたから。
彼はまるで隣家の芝生だった。僕の目にはどう見ても、青々と茂っている風だったのだ。


53 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 22:50:53.66 ID:CyEDXZ9D0
途端に、自分のこれまでの生活、その一切合切が嘘くさく感じられた。
僕はもう一人の僕ほどに、自由でのびのびと暮らしているわけではないんじゃないか。

友達づきあい。そう。楽しい。しかし本当に楽しいか?
無理して付き合ってるんじゃないか。本当に楽しいことができる友達だろうか。
嫌な部分はないか? よく罵倒されるが、それを笑って許しているのは何故だろう。

恋人。いる。可愛い女の子だ。
セックスもする。気持ちいい。しかし本当に気持ちいいか? 随分と億劫な作業じゃないか。
他人を配慮しながら性欲を満たすだなんて。そうやって愛を語るのは本当に豊かな人生だろうか?

そんな考えが、波濤のごとき勢いで僕の頭を浸食していった。
……決して、『他人の僕』のせいではないと思う。
実際、彼はその事について、何も口にしてはいないのだから。

( ^ω^)「……」

( ^ω^)「……」

僕らはいつの間にか笑うのを止め、互いに互いを見据えて黙していた。

相手も、僕と同じように考えているに違いなかった。

そして僕らは、ほとんど同時に同じ結論を下した。

( ^ω^)『僕は、君から離れてみせる』

と。



 
55 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 22:54:01.79 ID:CyEDXZ9D0
しかし、僕は未だに彼から離れられた気がしていない。
直接会ったのはその時一度きりだったが、僕は常に彼の影に怯え続けていたと言っても過言ではない。

ものの本によると、これは『注察妄想』『関係妄想』『誇大妄想』の融合形であるらしい。

しかし……違う、断じて妄想ではない。
なぜなら、僕は彼と、『他人の僕』と実際に会って話をしているんだから。

まあ、その出会い自体が妄想だと言われてしまったら、もうどうしようもないが……。

ともかく、そういった非現実的な存在からの解放が、僕の孤独願望の根本になったことは間違いない。

現実的な存在にも、煩わしいものはたくさんあった。
友達・恋人・両親・先生・近隣住民、その他諸々……。

ただ、一つ誤解しないで欲しいのは、僕はそれらの存在を、何も鬱陶しいとだけ思っていた訳じゃない。

そう、例えば僕は恋人を、正真正銘愛していた。

だから高校を卒業し、大学へ進学する際、
ありとあらゆる関係を断ち切るために都会へ出てきた時にも、恋人だけは一緒だったのだ。

(゚、゚トソン「その頃はまだ、宗教を知らなかったのですね」

そう、その通り。
僕が『孤独同盟』と出会ったのは、大学に入学した直後のことだった。



 
57 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 22:57:10.31 ID:CyEDXZ9D0
その宗教は、まさに僕のために用意されていたような教義を持っていた。

『孤独同盟』はその性質上、表立った勧誘活動が出来ない。
僕も、誰かが駅に『たまたま置き忘れた』チラシを読んで『孤独同盟』の存在を知った。

……『孤独同盟』は僕をほんの少し、解放した。
ただ、それでもまだ十分ではない。

どこまで逃げても、そう、例え二十億光年先に逃げたって、
僕は孤独になれる気がしなかった。

(゚、゚トソン「それほど遠い場所にも無いと思われる孤独が、
      『夢の墓場』にはあるとお考えなのですか?」

塔、という単語をモララー師から拝聴したとき、僕は言いようもない感慨に包まれた。
なぜなら、僕自身、遠い昔から塔へのイメージを膨らませてきたからだ。

そこには『他人の僕』がいないような気がする。
そこには真実の孤独があるような気がする。

僕は塔の屋上、唯一外が見える展望台で、こう叫ぶのだ。

( ^ω^)「もう、孤独じゃなくない!」

59 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 23:00:49.20 ID:CyEDXZ9D0
---7---

『滑るような速さで』

(゚、゚トソン「……さん、ブーンさん!」

心地よい独白の波にたゆたっていた僕を、トソンの声が叩き起こした。

( ^ω^)「……?」

いつの間にか腰を落ち着けていた座席の上で、僕は首を大きく回した。
隣にはトソンが座っている。僕は、知らないうちに電車に乗っていた。

では、今までの僕の独白を彼女は聞いていたのだろうか。
それとも、全てはただ、僕の空想だったのだろうか。

小刻みに震える車内には僕とトソンの他に誰もいない。
ふと窓外を見遣ると、深い乳白色の霧が立ち込めている。
左右には何も見えず、いや、そもそも何も無さそうだ。この霧は、何かを隠しているわけではないようである。

( ^ω^)「僕らは、どこへ向かっているんだお?」

座席の背に後頭部をつけ、強い眠気に苛みながら僕は訊いた。

(゚、゚トソン「さあ。分かりません。あなたが、この電車を選んだものですから」

僕が選んだのか。
……ならば、間違い無さそうだ。


61 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 23:04:29.56 ID:CyEDXZ9D0
電車はトンネルに入った。世界が遠ざかる。
奇妙なくらやみに、悲劇映画から我に返ったときのような安堵を覚えそうになる。

(゚、゚トソン「……私たちは、もしかしたら一つ訂正をするべきかもしれませんね」

( ^ω^)「どういうことだお?」

(゚、゚トソン「私たちは、旅を求めていたわけではないようです。現に、旅路はこんなにも短い」

( ^ω^)「ふム」

(゚、゚トソン「そもそも現代という時代に、旅は似つかわしくないイメージなのかもしれません。
      電車にせよ、飛行機にせよ、一飛びでどこへでもいける。
      それぐらい簡単な旅で、何かを悟ろうなんて傲慢なのかもしれない」

( ^ω^)「ならば、歩くかお」

(゚、゚トソン「文明の利器を使わずに歩く、というのは文明の利器ありきの発想ですよ。
      決して本物の苦難を乗り越える気概はない。裏返しの気楽さです」

( ^ω^)「そういうものかお」

(゚、゚トソン「では、どうすればいいのでしょうね……。
      イエス・キリストのように、荊の冠をかぶって十字架を背負って歩けば、少しは苦難を覚えるでしょうか」

どうでもいいような気がして、僕は顔を背け、寝たふりをした。



 
64 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 23:07:34.94 ID:CyEDXZ9D0
やがて電車は緩やかに速度を落として止まった。
アナウンスも無しに扉が開く。僕とトソンはノソノソと立ち上がり、荷物を持ってプラットホームに下りた。

降りた客は僕たちのみだった。駅には乗客もいない。
前方には線路がなく、どうやらここが終着駅のようだ。
運転席をのぞくと、中には誰もいなかった。簡素なプラットホームの真ん中に、僕とトソンは二人きりだった。

プラットホームには時刻表さえない。ただ改札口へと続く緩やかなスロープだけが続いている。
僕は何気なく車体に触れた。薄い紫色のそれは、氷漬けされたように凍り付いていた。
いくら待っていても引き返しはしないだろうと、何となく感づいた。

霧は未だに広く深く立ち込めている。
何かを隠しているわけではない霧は、むしろ僕らの存在を紛らわせようとしているのだろうか。

(゚、゚トソン「さあ、行きましょうか」

( ^ω^)「でも、こんなに霧が濃かったら、途中で道に迷ってしまうお」

(゚、゚トソン「大丈夫ですよ。もともと、迷うべき道がないのですから」

それもそうか、と思った。

ポケットやリュックをまさぐっても、切符が出てこない。
しかし改札口には自動改札も駅員もいなかったので、僕らは無賃乗車をすることにした。

鉄道会社の社長は自社の電車に乗るとき、やっぱり切符を使うのだろうか。

ふと、そんなことを考えながら。


67 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 23:11:37.12 ID:CyEDXZ9D0
---8---

『旅は短し歩けよ少年』

改札を抜けると霧だった。霧しかない。
前も後ろも上も下も、空間そのものが乳白色の霧に包まれて沈んでいた。

リュックサックを背負って動かすのが窮屈になった腕で、僕はトソンの手を取った。
そうするしか無かったのだ。ほんの数メートル先の視界さえきかず、これでは迷子にならない方がおかしい。

彼女の手は驚くほどに温かかった。

(゚、゚トソン「でも私、迷える気がしないんですよね」

( ^ω^)「どうしてだお」

(゚、゚トソン「迷路を歩かされている気がするからです。
      迷路の中で、私たちは自らゴールに向かって歩いていると勘違いしてしまいますが、
      実際は歩かされているんですよ。どれだけ迷っても、いつかは出口に着いてしまいます」

( ^ω^)「……」

(゚、゚トソン「必要以上に迷うことができないのです。いつでも、どこでも……」

僕は握っている手に少しだけ力を込めた。
不思議と、僕もそんな気はしている。ただ、僕は彼女ほど悲観的に考えてはいないが。

僕はただ、『必ず塔に辿り着ける』とまあ、そんな風に確信しているだけだ。


69 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 23:14:18.57 ID:CyEDXZ9D0
( ^ω^)「君の探し物は見つかりそうかお?」

道すがら、僕は彼女に訊いた。

(゚、゚トソン「まだ何とも……。しかし、ここまで来たと言うことは、ある程度見当は付いています」

( ^ω^)「と、言うと?」

(゚、゚トソン「私の見つけるべきものは、『夢の墓場』の中にあるでしょう。
      つまり、貴方と一緒に『夢の墓場』の内部へお邪魔する必要があります」

( ^ω^)「……」

孤独を志す以上、何者の侵入も禁じたいところではあったが、だからといってどうしようもない。
彼女の居場所を探すことは、僕にとっても一種義務的な重みを持ち始めていたのだから。

(゚、゚トソン「それよりも、貴方こそどうなのです? 『夢の墓場』ですべきことを決めているのですか?」

言われて僕はしばし思案した。
そう、僕の目標は、あくまで『塔に到達すること』であった。
それ以降のことなど、髪の毛一本ほども考えていなかったのだ。

まずはやっぱり、孤独を叫ぶだろう。それから、どうするだろう……?



 
71 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 23:18:41.75 ID:CyEDXZ9D0
( ^ω^)「僕にとってそこは理想郷のはずだから……それ以上のことは考えていなかったお」

僕は、正直なところを告白した。
彼女はしばらく「理想郷、理想郷」と口の中でその言葉を弄んでいた。
何やら、自分の考えを述べようとまとめている風である。

(゚、゚トソン「理想郷、つまりユートピアですが、それを求めるのはやはり、人間的なマゾヒズムではないでしょうか。
      在るはずのないものを求めるというのは、一方で救いを求め続けるという意味もありましょうが、
      しかし他方では、来ない救いに絶望し続けているとも受け取れます」

( ^ω^)「……君は、少々人間否定し過ぎているんじゃないかお?」

(゚、゚トソン「そうでしょうか。
      ただし、私が何を言おうと、『生まれなかった』のですから、自分に対する皮肉にしかなりませんね」

だが彼女の言うことにも一理あるような気がした。
ユートピアは到達できないから、ユートピアとして君臨し続ける。
僕はもうすぐ、僕にとってのユートピアに辿り着くのだ。

その時、理想郷は一体どのような形と色を見せてくれるのだろう。

( ^ω^)「……」

何故かデレのことを思い出した。

しかし彼女の思い出に浸る前に、立ちこめていた霧が音をたてそうな勢いで晴れだした。


74 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 23:21:53.09 ID:CyEDXZ9D0
---9---

『ユートピ・ア』

到着!

そう叫びたくなるほどには、目の前の塔は感動的だった。
真っ赤に塗りたくられた外観には、窓一つ無い。
塔の天辺は、しつこく残っている霧のせいでよく見えないが、とても高そうだ。

まさにこれは、夢想していたとおりの塔だ。

しかしトソンは、僕ほど感慨を抱かなかったようである。
『夢の墓場』と呼んでいたぐらいだから、真っ直ぐに伸びるこの赤い塔も墓標のように思っているのだろう。

(゚、゚トソン「大きい、ですね。思っていたよりも遙かに……」

この塔は、ミニチュアなんかじゃない。
正真正銘、バベルの塔よりも大きく、そして高い。

理想郷は、理想的な形をそのままにして存在していた。

( ^ω^)「頂上まで辿り着くのが、大変そうだお……」

(゚、゚トソン「本当に。むしろ、塔の内部に入ってからの方が、私たちは旅をするのかもしれませんね」

そう言うトソンの口調は、あくまでも気の毒そうだ。
しかし、僕は全く気にしなかった。大きさそれ自体が、僕自身の強さであるというような錯覚さえ感じた。


77 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 23:24:43.09 ID:CyEDXZ9D0
そして、塔以外には何も無かった。
振り返ると、遙か後方に駅が見える。止まったままの薄紫の電車、奥へ続く線路。
それらは、霧が晴れてなお、真っ白な背景に浮かぶようにして佇んでいた。

どうやら僕らは、一直線に駅から塔へと歩いてくることが出来たようである。

塔の赤い外壁は、冷たくてツルツルとしている。
現代的な合金っぽいつくりだが、その割にはところどころ、歪に角張って突き出している部分がある。
僕が作った塔はもう少しスマートだった気がしないでもないが、まあ、これぐらいは誤差の範囲内だろう。

( ^ω^)「じゃ、中に入るお」

(゚、゚トソン「ついていってもよろしいですか」

どことなく神妙な面持ちでトソンは言った。

僕は改めて辺りを見渡す。
霧が無くなり、地平線まで見通せるが、やはりそこには白色の背景しかない。
まさか電車で帰れとも言えまい。一緒に、連れて行くしか無さそうだ。

(゚、゚トソン「ありがとうございます」

彼女はそう言い、お辞儀した。どことなくシニカルな感じを覚えたのは、多分気のせいだろう。

外周を巡り、ようやく入り口を見つけた僕は、中に入る前にもう一度だけ空を仰いだ。

未だ上空に溜まっている乳白色の霧が、その向こうの空を隠してしまっている。
せめて、天候だけでも把握しておきたかったのだが。

79 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 23:27:08.00 ID:CyEDXZ9D0
---10---

『140』

塔の内部に入ると、まず薄暗い廊下が奥へと伸びていた。
それを真っ直ぐに進むと、立方体の空間に出た。

それなりに広さはあるが、塔の外観からすればそれほどでもない。
まず目に付いたのは、斜め上にかかっている、巨大な壁時計だった。

壁一面を占拠しようかというほどに巨大なその時計は、
長針を七、短針を四に合わせて忙しなく秒針を動かしている。

出発した時刻を考えれば、恐らく午後四時三十五分なのだろう。

(゚、゚トソン「大きいですね、時計。時間が大切だとでも言いたいのでしょうか」

( ^ω^)「まあ、窓がないから外の様子もわからないし」

(゚、゚トソン「しかし、墓場に時計とはいささか似つかわしくない気がします。
      亡くなったものに、果たして時間が必要でしょうか」

言われてみれば確かにそうだ。
そもそも時間であらゆる物事を縛るのは何時でも自分ではなく、他人だ。
関係からの解放とは、まず時計からの解放であると言っても過言ではないはず。

それはともかく。

他に目に付くものは何も無い。真っ白な内壁とリノリウムでできた床。
右手には扉があり、開くと上へ続く狭い階段がある。


81 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 23:30:30.75 ID:CyEDXZ9D0
(゚、゚トソン「それで、どうしますか。とりあえず、階段を上るしかなさそうですけど」

( ^ω^)「それよりも、ひとまず休憩しないかお?」

そう言って僕はリュックを床に置き、それを椅子にして腰を下ろす。
ここにおいて、僕は家主のごとく振る舞うべきなのだ。何故なら、この塔は僕の塔なのだから。

そう、何も焦ることはない。後は階段を上ってしまえば済むことだ。
何にも邪魔されない。僕は孤独なのだから。僕は解放されるのだから……。

不満げな面持ちで辺りを歩き回るトソンは、そう言えば僕とは別の目的を持っている。
僕はただ上へ進めば済むのだが、彼女もそうだとは限らない。

一瞬、別々に行動することを提案しようかと思い悩んだ。が、結局やめておくことにした。
他意はない。ただ、言ってやる義務も無いと思っただけだ。
その必要に迫られれば、彼女の方から言い出すだろう。

出発からもう随分と時間が経っているが、腹も減らなければ喉も渇かない。
皮膚感覚が麻痺しているかのように、暑さも寒さも感じられなかった。

リュックの中に詰め込んだ大半の荷物が、もしかしたら無用の長物と成り下がるかもしれない。
しかし、そのぐらいのリスクは背負っても構わないだろう。


85 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 23:34:14.63 ID:CyEDXZ9D0
休憩と言っても、そもそも疲れていないから休んだ気にもならない。

( ^ω^)「そろそろ、行くお」

僕はそう言ってトソンを促した。

(゚、゚トソン「それにしても殺風景ですね。もう少し何かがあると思っていたのですが」

( ^ω^)「『夢の墓場』……墓場と言うぐらいなんだから、殺風景で当然なんじゃないかお?」

彼女の言葉をまね、皮肉めいた口調で言ってみる。

(゚、゚トソン「いえ、もう少し夢に彩られていると思っていたのです。
      夢は過去や未来を映す鏡のようなものですから、良かれ悪かれ、その影響が出ていると」

( ^ω^)「ふうん……」

(゚、゚トソン「ブーンさん、最近夢をご覧になっていますか?
     もしくは、時計や立方体の空間に、何かしらの覚えがありますか?」

そう言われても、特に覚えがない。
ここ最近、めっきり夢を見なくなってしまった。昔はよく、頓珍漢な夢見をしていたものだったが。
いつから夢を見なくなってしまったのだろう。『孤独同盟』に参加したときか、もしくは、デレと別れたときからか。



 
88 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 23:38:38.00 ID:CyEDXZ9D0
上へと続く階段は傾斜角が急で段も高く、上るのに苦労した。
僕は再びトソンの手を取って支えつつ、次の部屋を目指した。

階段は踊り場を経て幾重にも折り重なっているタイプであり、
薄暗さも相まって、どこまで続いているか、下からではよく分からない。

(゚、゚トソン「ブーンさん」

( ^ω^)「なんだお?」

(゚、゚トソン「私のこと、どうお考えですか?」

( ^ω^)「どうって、別に何も……」

(゚、゚トソン「例えば私が、貴方と関わりのない二人の娘であること、気にしてらっしゃいますか」

( ^ω^)「でも、君は『生まれなかった』んじゃないかお?」

(゚、゚トソン「私にとってはそうです。しかし、貴方にとっては、そう簡単に割り切れる問題ではないのでは、と」

( ^ω^)「……」

僕が黙り込んでいる内に、次の扉の前へ到着した。
この空間だけを見れば雑居ビルの非常階段のような場所だ。
使われている感じがしないのはまだしも、妙に生活的な空気が漂っているのはどういうわけだろう。


91 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 23:41:41.45 ID:CyEDXZ9D0
ドアノブに手をかけた僕は、不意に、その横の壁面に文字が刻まれているのを発見した。

真っ白で滑らかな壁に、正確な筆致で刻み込まれたそれは、
ともすれば墓石に刻印された戒名のようにも見える。

そこには、横書きでこう記されていた。

『Dere 今日は雨。いつもと変わらない午後。憂鬱。休みっていつもこんな感じ。 20分前 自宅で』

(゚、゚トソン「これは……誰かのメッセージですね」

気付いたらしいトソンが、僕のそばに顔を寄せて言った。

( ^ω^)「メッセージ、と言うよりただの独り言みたいに見えるお。
      誰かに伝えるというわけでもなく、思いついたことそのまま、みたいな……」

むしろ、重要な部分はそこではなかった。
僕としては、どうしても『Dere』という文字に関心を寄せずにはいられない。

(゚、゚トソン「デレ……」

眉根を寄せてトソンは言った。彼女にとって、デレは実の母親であるのだ。
あまつさえ、彼女を中絶という形で殺した張本人でもある。

気の毒なことだ。



94 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 23:44:48.23 ID:CyEDXZ9D0
しかし、他人の気遣いばかりもしていられなかった。
実際、今にも僕はヒステリックに叫びだしてしまいそうなのである。

( ^ω^)「……何故、彼女の言葉がこんなところに?」

(゚、゚トソン「別人の可能性も考えたいですが……。
     しかし、こんな所に現れたことを考えると、やはりあのデレさんと考えるべきなのでしょうね」

僕はもう一度壁面の文字を見た。
いつの間にか『20分前』の部分が『25分前』に書き換えられている。
つまり、これはリアルタイムにデレが思ったことを刻んでいるのだ。

……どうやら、トソン以外にもまだ、僕を孤独にしてくれない存在があるらしい。

(゚、゚トソン「デレさんは知っているのでしょうか。自分の言葉が、貴方に見られていることを」

( ^ω^)「……さあ。どっちでもいいお。
      それよりも、どうするか考えてみないと……」

(゚、゚トソン「今は、先に進むしか無いと思いますよ。
      迷路は、入り口から出ることを許してくれません。
      たった一つの、定められた出口からしか、出してくれないのですから……」

そうだ、そうするしかない。そもそも問う必要さえなかった。
心細さに歯噛みするような気持ちを携えながら、僕は目の前の扉を乱暴に押し開けた。

95 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 23:47:29.89 ID:CyEDXZ9D0
---11---

『繁華街トレーニング』

その途端に、濛々とした湿っぽい空気が顔面に吹き付けてきた。
押し開けた扉は、開け放った直後に消えていた。それどころか、後ろにあった階段も無くなった。

僕らは唐突に、揉み合うような人海に放り込まれていた。

どこかでネオンが輝いている。どこかのスピーカーから大音量のポップ音楽が響いてくる。
散々に浴びせられる光や音が、どこからやってきているのかもわからない。

どこかへと流れていく人混み。特有の湿気とにおい。
何が何だか分からずまごついているうちに、
不意に僕は後ろから誰かに押し出された。そうして、群衆の海の中へ引きずり込まれた。

( ^ω^)「トソン」

僕は彼女の名前を叫び、背の方へ手を伸ばしたが、そこには名前の分からない群衆しかいない。
前へと歩き出さなければどうしようもなくなってしまった。
トソンの姿は、もう完全に見えない。

後ろからはせっつかれ、右にも左にも人が立つ。
僕の居場所は次々と失われていき、否応なしに前の方へと移り変わっていく。

周りと歩調を合わせるのに苦労しながら、二年と半年前、田舎から都会に出たときのことを思い出した。



101 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 23:51:17.78 ID:CyEDXZ9D0
ζ(゚ー゚*ζ「都会だよ、ブーンくん!」

その時、八月の夏休みを利用して、僕はデレと一緒に大学のオープンキャンパスに出掛けたのだった。
電車を使っても、往路だけで二時間近くかかるのだから、酷いものだ。

その時のデレのはしゃぎ具合は異様だった。
聞けば、今までほとんど地元から出たことがなかったのだといった。

流石に僕は今まで一度も都会を体験していなかったわけではないが、
それでも、デレの熱にあてられたせいか、些か興奮していることは否めなかった。

( ^ω^)「やたらに背高なビルが多いおー」

ζ(゚ー゚*ζ「うちの近く、せいぜい四階建てぐらいしか無いもんね……」

夏休みも残り一週間もない平日だったためか、昼前の電車はさほど混雑していなかった。
十数本の線路が集結する駅の広さにいささか戸惑いながらも、
その混雑ぶりに怯えるようなことにはならなかったのである。

ζ(゚ー゚*ζ「それじゃ、六時にもう一度、ここに集合ね」

改札を出たところで、デレが行った。
僕とデレとでは志望大学が違う。つまり、別々の行動をとらざるを得なかったわけだ。

正直なところ、別に僕自身の大学見学などどうでもよく、
本音としてはデレについていきたかったのだが、彼女の手前、そうも言ってられない。

( ^ω^)「うん、わかったお」


103 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 23:55:19.41 ID:CyEDXZ9D0
僕の地元は、今の時代になってもまだ都会に出るという選択肢を多くの人が持たないところだった。
だから、わざわざ都会のオープンキャンパスに出向こうというのも、僕とデレぐらいのものだったのである。

つまり、そういう地域性なのだ。
それがまた、僕が地元に嫌気が差した理由でもあるのだが。

僕の行く大学はデレと別れた駅から割合に近く、
だからオープンキャンパスが終わって集合場所に戻ってきても、まだ五時にもなっていなかった。

一時間近く、僕は待つことにした。

( ^ω^)「……」

余談だが、僕は方向音痴だ。
事前に、駅から大学までの道のりを、何度インターネットで調べたことか。

嫌というほど時間をもてあましていたが、一旦集合場所から離れて、
また元の場所に戻ってこれる自信はまるでなかった。

近くのベンチに座り、僕は携帯電話と音楽プレーヤーをお供にデレを待つことにした。

五時を過ぎ、六時に近づくにつれ、目の前を行きかう人の数が増えていった。
大抵は背広を着たサラリーマンだ。若者の姿もあるが、さほど目立たない。

六時の五分前にデレからメールが来た。

ζ(゚ー゚*ζ『人身事故があったみたい。ちょっと遅れる、ごめんね』


106 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/04(火) 23:58:59.21 ID:CyEDXZ9D0
六時を過ぎると、会社員の数が一気に増えだした。
皆一様に苦々しそうな表情を浮かべ、左へ右へと行きかっている。

ひたすらにデレを待ち、やることもない僕はただただ彼らを観察していた。

そのうちに妙な感覚を得た。
一定の流れを作り出している人間それぞれに、果たして目的などあるのだろうか?

さっき通りすがった人間と、今通りすがっていく人間はまるで別人のはずだ。
しかし、僕にはどうしてもそうは思えなかった。
もしかしたら、苦痛じみた表情の仮面を剥げば、まったく同じ顔がはりついているのかもしれない、とさえ感じた。

(  )「そうですね」

(  )「はい」

(  )「失礼します」

(  )「申し訳ございません」

どこかで聞いたことのある言葉を寄せ集めたような、会話の断片が聞こえてくる。
これだけの人間がいるのに、いずれにも生気を感じないのは一体どうしたことだろう。

不意に僕は立ち上がった。そのままフラフラと群衆の流れに飲まれに行った。

我に返り、前傾姿勢の身体を引き戻すと、会社員の一人とぶつかった。
彼は一度僕に向かって舌打ちをしただけで、そのまま何事もなかった風に、
いやむしろ、ぶつかって遅れてしまった距離を取り戻そうとするように若干歩調を速めて過ぎ去った。



 

109 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/05(水) 00:03:06.41 ID:PKLGqFZC0
僕はひたすらに恐怖した。
いずれ僕もこの流れの中に引き込まれることは、確信的に予感していた。

僕も仮面の一員となる。
その時、果たして僕は誰に対して存在価値を語れるだろうか。
せいぜい、社会に奉仕する一介の歯車としてしか、僕はここに立てないのではないか。

遅れたデレがやってくるまで、僕はただベンチに座り込んで震え続けた。
夏場にそぐわない寒気のようなものが、僕をくるんで離さなかった。

――今、僕はその時と同じ心持ちでいる。

僕は歩かされていた。その気になれば、被害者とも言える立場だろう。

ただし、加害者はいない。
気勢を張って周りの人間を糾弾しても、誰もが罪を否定するだろうし、それは当たり前のことだ。
それでも、僕は確実に被害者だった。そう言えるだけの苦痛は受けたつもりでいた。

( ^ω^)「トソン――!」

僕はもう一度、烈しく彼女の名前を呼んだ。

こんなにも沢山の人が集っているのに、僕が知っているのは彼女しかいない。
それが、たまらなく怖ろしかった。



112 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/05(水) 00:07:27.84 ID:PKLGqFZC0
ともかく、歩くしかなかった。

人波に押し出されながら、僕は前へ前へと歩き続けた。
周りも同じくそうしていた。その表情はどれも、無表情か、苦痛そうかだった。
誰一人、何も喋らない。硬い地面を踏みしめる靴音と、ノイズ寸前の音楽ばかりが耳を占めた。

四方八方を人に囲まれているせいで周りの様子が分からない。
何となく、繁華街らしい雰囲気ではある。覚えのない場所だ。

都会に出た僕が住処を探すに辺り、一番に注意したのは、
『周囲が騒がしくないこと』だった。それさえ叶えば、どれだけ不便でも構わなかった。
なので、僕は都会に住んでいながら、ほとんど繁華街というものを知らなかった。

( ^ω^)「……」

トソンはいない。彼女も飲まれてしまったろうか?
そうだとして、もう一度巡り会えるのだろうか? 僕は歩き続けた。

やがて群衆が静かに止まった。僕も立ち止まって前を見上げた。
巨大なビルの壁面のスクリーンに、三人の若者がこちらを向いて立っていた。
そうして、彼らは満面の笑みを浮かべ、一人ずつ叫んだ。

( ´∀`)「愛と平和!」

o川*゚ー゚)o「未来と希望!」

从'ー'从「個性!」


 
114 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/05(水) 00:10:45.05 ID:PKLGqFZC0
たったそれだけで、スクリーンの映像はふっつりと切れてしまった。

同時に、群衆がまた歩行を再開した。
命令されたかのような機械的動作に僕は一瞬ついていけず、
後ろを歩く人に押し出され、そのまま前に転んでしまった。

思わず「痛い」と叫びそうになったが、できなかった。
周囲の沈黙に、僕は何故だか気を遣ってしまっていた。

そうやって倒れ伏した僕の上を、後続の人々は何事もなかったように進んでいった。
時折誰かが僕の腕や足を、重たく、もしくは柔らかく踏みしめていった。

(  ω )「……」

僕はおおよその感情を何処かへ遣って、目を閉じた。
踏みつけられることに大した苦痛は感じなかった。

トソンはどこへ消えたのだろう。何が愛と平和、何が未来と希望……。

そう言えば、駅での怖かった話……。
誰かに話した際、その誰かに『餓鬼だ』と罵られた。

自意識過剰だったらしい。

薄く眼を開けると、すぐそばの地面にいつの間にか文字が刻まれていた。

『Dere 親から電話かかってきた。心配しなくていいのに、と思ったけど、何故か泣けた。 5秒以内前 自宅で』

僕はもう一度目を閉じた。割と楽に死にそうだった。



119 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/05(水) 00:14:25.84 ID:PKLGqFZC0
---12---

『夢の墓場』

気がつくと、群衆は消えていた。

僕はリノリウムの床に伏していた。そこは真っ白な部屋だった。
前方、斜め上に巨大な時計がかかっている。

下の部屋に引き戻されたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
左の方に、先ほど入ってきた扉があり、その向こうに下り階段が伸びている。
対向する右側にはもう一つ扉があって、そちらは上り階段へと続いているようだ。

そしてその扉のそばに、トソンが立っていた。

(゚、゚トソン「大丈夫ですか、ブーンさん」

( ^ω^)「……僕は、何をしていたんだお?」

(゚、゚トソン「分かりかねます。恐らくは、私が見た貴方の姿と、
      貴方が実際に体験した事とでは、大きな隔たりがあるのでしょうから」

確かに、あの姿は見られたい物では無い。

(゚、゚トソン「……随分、お疲れのようですね。一旦休憩しましょうか。
      恐らく、此処にいる限り、もう悪いものは貴方を襲わないでしょうから」

( ^ω^)「……」

120 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/05(水) 00:18:14.62 ID:PKLGqFZC0
精神的に弱った部分はあったが、肉体的には疲労していない。
進もうと思えば進めるだけの体力はあった。
が、大事を取って、ここはトソンの言葉に甘んじることにした。

( ^ω^)「先に行ってくれても構わないお」

(゚、゚トソン「いえ、しばらくは同行します。この先、どうなっているか分からないですし。
      何より、貴方をもう少し見ていたい」

( ^ω^)「……そういえば、君は『夢の墓場』と言っていたお」

(゚、゚トソン「ええ」

さっき僕が見た光景は、『墓場的』なものだったろうか。
だとすれば、死んだものはなんだろう。愛? 平和? 希望?

それにしても、おかしい。この塔は上る度に僕を解放してくれなければいけないはずだ。
なのに、さっきの光景ときたらどうだろう。まるで僕を押し沈めるような……。

(゚、゚トソン「脅すわけではありません。
      しかし、この道のりは、先に行くにつれ、辛くなっていくだろうと思います」

( ^ω^)「君には、分かるのかお?」

(゚、゚トソン「私は知っています。
      しかし……知っていることが真実かどうか、分からないのです……。
      何故なら、私の知識は誰の意見によって作られたわけでもないから」

彼女は白い壁に背を凭れさせて座り込み、「休みましょう」と呟いた。


戻る     次へ

inserted by FC2 system