( ^ω^)『夢の墓場』のようです
3 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
21:45:22.11 ID:H/eHH6e/0
- ---13---
『誰だって小説家になれる』
時計はカツカツと時を刻んでいくが、一向に眠気はやってこない。
僕は僕の休憩をトソンとの、ポツポツとした気泡のような会話で埋めていくしかなかった。
それもあらかた済ませてしまうと、いよいよすることが無くなった。
仕方がないので、リュックに詰めた物をあらため、整理することにした。
( ^ω^)「随分無駄なものまで……」
段ボールに入りきらなかった物を詰めたわけだから、すこぶる雑然としている。
つまり携帯ゲーム機やソフト、常備薬でもない薬や大学で貰ったチラシ、箱詰めにされたティーバッグ……。
その中に、筆記用具とノートを発見した。
真っ新なノートと新品同然のシャーペン。
ひとまず、日記でも書くことにした。
(゚、゚トソン「本はありませんか?」
少し遠い場所に座っているトソンが呼びかけた。
( ^ω^)「いや、本は全部段ボールの中に仕舞ってきちゃったお……」
- 4 : ◆FeIP505OJ.
:2010/05/07(金) 21:49:00.32 ID:H/eHH6e/0
- (゚、゚トソン「そうですか。文字が読みたくなったもので……」
( ^ω^)「文字?」
(゚、゚トソン「ええ。少しでも多く、文字に触れたいと思いまして」
( ^ω^)「ふム……」
(゚、゚トソン「そうだ、ブーンさん。書いていただけませんか?」
( ^ω^)「えっ」
思いも寄らぬ要請に僕は目を丸くした。
生憎、手には書くために必要なものが握られている。八方ふさがりという奴かもしれない。
遙かに昔のことだったが、確かに小説……というのもおこがましい何か、を書いたことがある。
確か、街に円盤がやってきて結局みんなが死ぬ、というようなどうしようもないものだった。
(゚、゚トソン「駄目でしょうか?」
無垢な目でそう言われると弱いものだ。情けないことに。
僕は渋々、シャーペンでノートに書くことにした。
- 5 : ◆FeIP505OJ.
:2010/05/07(金) 21:51:57.99 ID:H/eHH6e/0
- といっても、ネタなどまるで無いから思いつきを書き綴ることになる。
しかもキーボードを叩くのとは違い、手軽でないから後で消すのも面倒だ。
( ^ω^)「んん……」
無駄以外の何者でもない悩みに苛んでいると、リノリウムの床に文字が刻まれ出した。
『Dere そろそろ寝よ。おやすみ 5秒以内前 自宅で』
( ^ω^)「……」
群衆や繁華街の景色は全て消えたが、唯一デレの呟きだけは残っている。
『Dere
親から電話かかってきた。心配しなくていいのに、と思ったけど、何故か泣けた。 約3時間前 自宅で』
時間帯が『5秒以内前』から『約3時間前』に書き換わっている以外は、変化がない。
そして今、新たにメッセージが増えた。
このまま放置しておけば、いずれこの塔の内壁はデレの呟きで埋め尽くされるのではないか。
些か発想の飛躍ではあるが、そんな恐怖を覚えたりもする。
それにしても、デレは何だってこんな所にメッセージを残すのだろう?
- 6 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
21:55:35.90 ID:H/eHH6e/0
- (゚、゚トソン「それ、やっぱりデレさんの意向なのでしょうか」
トソンが僕の足下を見て言った。
( ^ω^)「そうとしか考えられないお。
何故かは分からないけど、彼女はこの呟きを見せたがっている……」
(゚、゚トソン「しかし、逆の可能性も考えられるのではないでしょうか?」
( ^ω^)「というと?」
(゚、゚トソン「つまり……そう、私たちが見たがっている、というような……」
トソンの発想に、僕はしばらく考えを走らせたが、やがて黙って首を振った。
それは有り得ないことだった。宗教的な理由により、僕にとって最早デレは他人なのだから。
( ^ω^)「……教義の通り、僕は限られた特定の友人を持たないお」
(゚、゚トソン「……」
それにしても何を書こう。まあ、そう簡単にアイデアが出れば小説家にでもなれるのだが。
とりあえず、書き出してみることにした。アイデアは、書きながらでも思い浮かぶかもしれない。
- 8 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
22:00:01.88 ID:H/eHH6e/0
- ---14---
『赤鼻のアンドロイド』
……そして、随分と時間が経った。
不覚にも、僕は執筆作業にかなり熱中してしまっていた。
ふと顔をあげると、トソンは眠っていた。
壁に背を持たれて三角座りをし、膝の間に頭を埋めて寝息を立てている。
その姿を眺めていると、不思議と僕の方にも眠気がやってきた。
書きかけの小説はノート十ページ分ほどになっていた。
パソコンで書くのと違い、手書きだから文字がどことなくぎくしゃくと並んでいる。
期待していた通り、書いている内に自然と物語は広がっていった。
まだまだ余白もたっぷりとあり、だから自在に広げていける。
僕が書いたのはこんな話だった。
舞台はどこかの工場。主人公はそこで働く知恵遅れのアンドロイドである。
彼は同僚のアンドロイドよりも作業効率が悪い。プロトタイプなのだ。
ある日彼は工場長から最下層にあるロボットアームの修理を依頼される。
普段の仕事は誰にでも出来るような雑用ばかりだった主人公は、
与えられた特殊任務に赤鼻のトナカイのように喜ぶ。しかし、その話には裏があった。
- 9 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
22:03:14.05 ID:H/eHH6e/0
- 実は、そのロボットアームとは工場全体のゴミを廃棄するダストシュートのアームであり、
最下層まで降りていくことは出来ても、再び戻ることはできないよう設計されている。
主人公は、アームの修理を終えればそのまま廃棄されるという、いわば捨て駒にされたというわけだ。
勿論、その事実を主人公は知らない。
彼はただ大役を任せられたという喜びだけを感じて、その任務を引き受ける。
最下層までの旅は極めて長い。ロボットによる完全な分業制を敷いているため、
アンドロイドが乗るためのエレベータも用意されていない。
そのため、主人公は長い旅路を地道に進んでいかなければならないのである。
主人公には一人、相棒がいる。事務机型のロボットだ。
キャスターと名付けられたそのロボットは、名前通り四本足についているキャスターで自在に動き回る。
酔狂な科学者によって製作された、ギークな機械である。勿論実用化されていない。
キャスターもまた、主人公と共に任務を終えれば、そのまま廃棄処分される運命にある。
……と、いう具合。
勿論、僕が今書いた段階では、彼らの任務が死を伴うと言うことは明かされていない。
いわゆる旅もののテンプレートを採用しているので、始まりと結末さえ決めておけば、
後は書きながら考えても何とかなるという風に考えている。
( ^ω^)「……ん、なかなか面白いお」
読み返してみて、自画自賛などしてみる。
当然、トソンがこれを面白いというかどうかは分からない。
しかし、書いてしまった以上は、是非とも面白いと言われたいのが人情である。
- 10 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
22:06:32.44 ID:H/eHH6e/0
- それにしても、やはり小説には書き手の実体験がある程度反映されるものらしい。
主人公を僕に置き換え、工場をこの塔、キャスターをトソンにそれぞれ置き換えれば、
アンドロイドが辿る旅路はまるで今現在の状況そのままだからだ。
( ^ω^)「……」
僕はトソンを見た。相棒、と称するにはあまりに不安定な存在である。
彼女と僕の『関係』はどんなものなのだろう。
元恋人の生まれなかった娘……言葉にはできるが、意味は解しがたい。
あるいは、考えなくても良いのかもしれない。彼女自身もそう言ったほどだ。
そして、僕個人の問題として、考えるべきではないのだ。僕は関係を捨てるのだから。
……この旅がいつ終わるのか分からないが。
とりあえず、それまでにこの小説を完成させるよう心がけよう。
それを彼女へ上梓することで、僕は彼女との『関係』以前の『縁』を断ち切る。
そうしよう。それがたぶん、正解だ。宗教的に。
床に新たなデレのメッセージが書き込まれ出したが、僕はあえて目を逸らした。
何故かは分からないが、今だけは見たくなかった。そしてそのまま、横になった。
……しかし、いくら小説と今の状況が似ているからといって、同じ結末を歩みたくはない。
そう、僕は誰かに指示されてここに来たわけではないのだから。
- 11 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
22:10:13.71 ID:H/eHH6e/0
- ---15---
『ヴォネガット・スタイル』
( -ω-)「……」
そして、眠った。夢を見たような気がするが、よく覚えていない。
目覚めのきっかけは、微かな匂いだった。
……といって、別に麗しい香りではない。都市的な、まるで機械油のような苦いにおいが、一瞬鼻腔を横切った。
( -ω^)「……」
片目を薄く開くと、目の前にトソンがいた。
驚いて起き上がると、むしろ彼女の方が驚いたらしく、ビクリと身体を震わせた。
(゚、゚トソン「……あ、おはようございます」
( ^ω^)「あ、うん」
丁寧にお辞儀をしたトソンに僕は目立った反応も示せずにいた。
彼女は僕の隣で、僕が昨日書いたばかりの小説を読んでいた。
僕への挨拶を済ませると、再びノートの方に目を落とす。
途端にすさまじい勢いで恥ずかしさがこみ上げてきた。
推敲など全くしていない。誤字は大丈夫だろうか。
そもそも、僕の書いた拙い小説で、彼女は満足してくれるのだろうか。
彼女がそれを読み終えるまでの間、僕は審判を待つ罪人のようにちぢこまっていたのである。
- 12 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
22:14:28.59 ID:H/eHH6e/0
- (゚、゚トソン「今はまだ分かりませんが……続きが読みたくなる、そんな感じです」
読み終えたトソンは、僕にノートを手渡して言った。
( ^ω^)「続きが読みたい……本当かお?」
(゚、゚トソン「ええ、本当ですよ。先が気になります」
( ^ω^)「本当に、本当? 読みたいかお?」
(゚、゚トソン「……何故そんなに疑うんです?」
無論、自信が無かったからだ。いや正確には、彼女に見せる直前まではあったのだが。
(゚、゚トソン「別に、構わないではありませんか。仮に私に不評だったところで、
貴方の物語の存在価値は変わらないように思います。少なくとも、ここでは」
( ^ω^)「だって、君が読みたいって言うから書いたんだお?」
(゚、゚トソン「書きたくありませんでしたか?」
( ^ω^)「……」
僕は素直に負けを認めた。
敗者への辱めとして、軽く笑われた。
- 13 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
22:18:22.81 ID:H/eHH6e/0
- (゚、゚トソン「それにしても、この小説は随分と細かく章立てされていますね。
何か意図や、理由があるのですか?」
( ^ω^)「ああ、それはヴォネガット・スタイルなんだお」
(゚、゚トソン「ヴォネガット・スタイル?」
( ^ω^)「カート・ヴォネガットっていうアメリカ人の作家がいたんだお。
細かい章立ては、彼の特徴的な文体なんだお……例えば、『猫のゆりかご』っていう作品は、
文庫本だと300ページ程度なんだけど、その中に127の章が詰まっているんだお」
(゚、゚トソン「へえ……好きなんですか?」
( ^ω^)「うん……」
言いながら僕はヴォネガットの作品群を思い出した。
彼の作品は長編小説をいくつかと、エッセイを読んだだけに過ぎない。
僕が思うに、ヴォネガットという作家は、大家族などのグループを好み、孤独を嫌っていた。
少なくとも、小説を読んだ限りはそう思える。著書のタイトルにこんなフレーズがある。
『Lonesome No
More』……つまり、『もう、孤独じゃない』と。過去のことだが、好きなフレーズだった。
僕は彼の小説を好み、自分が書く際にもスタイルを引用してしまうほどには、影響を受けている。
だが、今僕が進んで求めているのは彼の小説とまったく正反対の思想だ。
どうしてだろう、或いは、小説の影響とはせいぜいその程度のものなのだろうか。
もしくは、こんなことは考えるまでもない、痛々しい考え過ぎなのか……。
- 15 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
22:22:28.57 ID:H/eHH6e/0
- ---16---
『なう』
時計は十時を指している。恐らくは午前だろう。僕らは出発することにした。
今日中にどこまで進めるかは分からないが、よく考えてみれば、
たった一つの建造物を踏破するのに眠りを重ねて旅をするとは、随分滑稽なことだ。
部屋を出て階段を上る直前、僕は壁面にズラリと並べ立てられた文字列を発見した。
『Dere 寝れない。 約8時間前 自宅で』
『Dere この時間に寝れないのはまずい。明日起きれない。 約8時間前 自宅で』
『Dere
泣いてるなう 約8時間前 自宅で』
『Dere というか最近変な夢ばっかり見る。なんか基本的に追っかけられてる。 約8時間前 自宅で』
『Dere 昨日は殺された 約8時間前 自宅で』
『Dere ……携帯見てると余計に目が冴えるよね 約8時間前 自宅で』
『Dere 最近、後悔することが多すぎるなあ 約7時間前 自宅で』
『Dere
子どもが子どもを産むってどんな感じだろ 約7時間前 自宅で』
『Dere 死にたい 約7時間前 自宅で』
- 16 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
22:26:25.93 ID:H/eHH6e/0
- ( ^ω^)「……」
文字はそこで途絶えている。本格的に寝入ったのだろう。
嫌でも時間を教えられるせいで、彼女の生活リズムを把握してしまうのが腹立たしい。
……無論、嫌なら見なければいいだけなのだが、それができれば苦労もしない。
何より、隣にいるトソンもまた、熱心にその文字列を読むのだから。
(゚、゚トソン「……随分と、ネガティブなものですね」
( ^ω^)「まあ、仕方がないんじゃないかお?」
(゚、゚トソン「子どもが子どもを産むというのは……やはり私のことなのでしょうか?」
うん、と頷きながら、何故か僕は先ほどにおった機械的なにおいを思い出した。
あれは一体何のにおいだったのだろう? まさか、トソンのにおいではあるまい。彼女は人間だ。
( ^ω^)「……」
そう言えば、彼女は一本の赤いネジをもっていた。そのにおいだろうか。
少し考えづらいが、しかし他の可能性は探れなかった。
僕は自分を合理主義者と思ったことは無いが、つまりこういうことらしい。
合理主義的な考え方は、時に『不合理な合理』へ身を堕するようなのだ。この場合、それは赤いネジである。
(゚、゚トソン「……それにしても、なんなんでしょう、この『なう』って」
( ^ω^)「さあ」
そこは、たぶんどうでもいいと思う。
- 18 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
22:30:03.18 ID:H/eHH6e/0
- ---17---
『イヤホン・チルドレン』
階上のドアを開くと、またしてもそのまま消えてしまった。
今度は慎重に開いたつもりだったが、扉は直角の向こう側でいつの間にか手触りをなくした。
薄暗い部屋が広がった。狭く、ちょうど実家にいたときの僕の部屋ぐらい。
奥にパソコンのディスプレイが光っている。灯っている明かりはそれだけだ。
そしてディスプレイの前には男がいて、時々細かく笑い声をたてながらキーボードを叩いている。
(;^ω^)「……」
些か踏み入れるのに躊躇した。僕の知っている部屋ではない。蒸したような空気が全身にまとわりつく。
だが、進まなければどうにもならないので僕は進んだ。消極的な積極性というやつだ。
「……んふふ、ふ、ふふっ……」
鼻息をメインとした、不気味な笑い声。だが、独りの時にはよくやるような声かもしれない。
完全に部屋に入ってしまうと、背後でバタンと扉の閉まる音がした。
振り返ると、消えたはずの扉がピッタリと閉じている。
ただし、それは先ほど消えたアルミの扉ではなく、木で出来ていた。
僕はどうやら、ある男の私室に閉じ込められてしまったようである。
そして、トソンは消えた。
- 19 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
22:33:58.93 ID:H/eHH6e/0
- もう一度前を向くと、扉の音に反応したのか、回転椅子の背中越しに男がこちらを見ていた。
(´・ω・`)「……」
薄暗くて輪郭は不鮮明だが、どうやら少し肥り気味のようだ。
若い、というよりは幼い顔立ちをしているが、前頭部から頭頂にかけての髪が薄くなっている。
彼は両耳につけていたイヤホンを片方だけはずし、じっと僕を見た。
(´・ω・`)「……ああ、懐かしいなあ、君じゃないか!」
( ^ω^)「え?」
(´・ω・`)「ほら、僕だよ。覚えていないかい? 高校まで、ずっと同級生だったじゃないか!」
回転椅子がまわり、服の上からでも分かる小太りな肉体が露わになる。
( ^ω^)「……申し訳ないけれど、分からないですお。
いったい、君は誰なんだお……?」
(´・ω・`)「ほら、僕さ、ブーン。本当に覚えてないのかい?」
彼は椅子の上で、軽く跳ねるように体を上下させた。
(´・ω・`)「しょぼんだよ、高校で、バスケをやっていた!
……いやあ、それにしても懐かしいなあ。わざわざ来てくれたのかい?」
- 20 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
22:37:36.70 ID:H/eHH6e/0
- 名前を聞き、ようやく彼のことを思い出した。
……そうだ、しょぼんだ。小学校から高校まで、確かにずっと一緒だった。
付き合いだけで言えば、デレよりも古い。地元にいた頃、最も仲の良い友人だった。
しかし……確かに大学に進んでからほとんどメールさえしなくなった仲だが……、
それにしたって、彼の容姿は変わりすぎていた。
( ^ω^)「……あー、ごめんお、その、全然思い出せなくって……」
(´・ω・`)「いや、仕方ないことだと思うよ。ほら、随分肥ったし。
それに、ジャンクフードばっかり食べてるせいかな、髪もこんなに抜けてしまった」
( ^ω^)「いや、そんなこと」
(´・ω・`)「あの頃とは趣味も変わったしね。おかげで、部屋もこんな感じだ」
言われて僕は辺りを見回した。
暗さでよく分からないが、壁一面を埋めているラックには大量のフィギュアが飾られている。
ほとんどが同一人物のフィギュアと思われた。笑顔。笑顔。笑顔。無数の笑顔がしょぼんを見ていた。
本棚には大量の漫画が詰め込まれている。壁にはアニメか何かのポスターが貼られている。
右側のベッドには抱き枕があり……もはやくだくだしいので説明は不要だろう。
そして僕は思い出した。以前、僕は何度もこの部屋に遊びに来ているではないか。
当時、部屋の風景はこんなじゃなかった。ポスターはスポーツ選手のものだった。
フィギュアなんて当然無かった。本棚は少量の漫画と、バスケットボールの指南書みたいなのが……。
- 21 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
22:40:56.44 ID:H/eHH6e/0
- ( ^ω^)「……どうしてだお?」
思わず僕は問うていた。ここが塔だから、という保証を盾にしていたのかも分からない。
( ^ω^)「高校時代までのしょぼんは、ずっとバスケやってたお。
友達も沢山いて、こんな趣味持つようじゃなくて、というか、そういう奴を陰で笑ってたお。
彼女もいたはずで……それが、どうしてこうなったんだお?」
(´・ω・`)「……分からないけど、疲れたんじゃないか、たぶん」
彼は、まるっきり他人事のようにしてポツリポツリと話し始める。
(´・ω・`)「世の中、何にもリスクがいる。少なくとも、現実世界ではそうじゃないか。
友達づきあいにせよ、彼女のことにせよ、いつも、綱渡りのような気分さ。
僕は疲れたんだよ、そういうのに。だからこうなった。悪くなったとは思わないね、逃げたけど」
回転椅子を回し、彼はまた、ディスプレイに熱中しだした。
近づいて見てみると、何かの動画を見ているらしい。
外した方のイヤホンからかすかに音が漏れ聞こえる。どうやら、電子音楽のようだ。
(´・ω・`)「……大学もさ、同じ感じさ」
時々「んふっ、んふっ」と鼻を鳴らしながら、彼は話し続けた。
(´・ω・`)「大学だと、人間関係もガラリと変わる。また一からやり直しさ。
入学式にはいろんな奴がいた。明らかに大学デビューを狙ってる奴も数人いた。
みんな必死だよ。独りになりたくないから、なんとか固まろうとする」
- 30 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
22:59:23.52 ID:H/eHH6e/0
- (´・ω・`)「高校時代からの繋がりがあるやつはまだいいけど、そうじゃない、コミュニケーション下手は悲惨さ。
じっと下を向いて、パンフレットを読むふり。もしくは、隣の学生に話しかけようとして、やっぱりやめる。
……僕も最初はそうしようとした。けど、一気に面倒くさくなったね」
( ^ω^)「……それで、こう?」
(´・ω・`)「素晴らしいよ。だって何も気遣わなくていいんだもの。
インターネットじゃみんな名無しさ、誰かと喧嘩しても、簡単に逃げられる。
現実とは大違い……大学もやめてやったよ。将来考えるのすら、面倒だ」
( ^ω^)「でも、それにしたって、別にこうなる必要は無いはずだお。
こんな、なんというか……典型的な、そのう」
(´・ω・`)「キモオタ? 外見も中身も、今じゃまんまそれだね。会ったこと無いけど、韓国人だって大嫌いさ。
インターネットには、奴等の悪評が沢山あるからね。それを見て、僕だって洗脳されたよ」
聞きながら僕は、このしょぼんは一体『現実の』しょぼんにとって何なんだろうかと考えた。
多分、このしょぼんは『現実の』彼よりもお喋りなのだろう。もうちょっとよく言えば、素直だ。
そして、きっと『現実の』彼は洗脳を自覚していないはずだ。僕のことだって、歓迎するまい。
(´・ω・`)「ただ、そんな僕にも分からないことが一つだけある」
( ^ω^)「うん?」
(´・ω・`)「ネットの連中は軒並み叫ぶ。現実が充実してる奴に嫉妬して、叩く。叫ぶ。死ねと。
何言ってるんだろうね。現実から逃げたのは自分じゃないか。それに、現実の奴等のほうが、
彼らよりよっぽど苦労しているよ。うちひしがれてもいるだろう。僕は逃げた身だからよくわかる」
- 33 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
23:02:42.33 ID:H/eHH6e/0
- ( ^ω^)「……何を、見てるんだお?」
(´・ω・`)「見てるというか、聴いているんだ。曲だよ」
そう言ってしょぼんは僕にイヤホンの片方を手渡した。
僕はそれを耳にはめた。恋人同士がするようなスタイルだが、誰も見ていないので問題無かった。
先ほどの電子音楽と共に、甲高い歌声が流れ込んできた。
だが、どうにも違和感がある。まるで人間ではないような歌い方だ。
(´・ω・`)「人間が歌ってるんじゃないんだよ。それは機械音声でね。
サンプリングされた音声を、人間が自在に操って表現できる、優れものなんだ」
彼は嬉しそうな表情で、僕にその機械音声の曲をいくつか、立て続けに聴かせた。
人間が歌っては表現できないような早口や、高音が挿入されている。
(´・ω・`)「ネットじゃあ大人気なんだよ。色々なクリエイターが、この音声を使って曲を作っている。
おまけにこの音声からイメージされたキャラクターもいてね、見てごらんよ、ほら!」
彼はぐるりと両手を水平に回した。
(´・ω・`)「ここにあるフィギュアやポスターほとんどがその関連なんだ。
僕が引きこもりだして、一番ハマったのがこれだよ。すごいよね、技術ってさ」
それぞれの動画には、その動画を評価する、多数のコメントがついていた。
そのほとんどが賛美だ。批判意見は賛美派の攻撃に埋もれていた。
- 35 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
23:06:28.24 ID:H/eHH6e/0
- ( ^ω^)「……せっかくだけど、僕にはちょっと、合いそうにないお」
しょぼんの異様な熱気に気圧されながらも、僕はようやく言った。
(´・ω・`)「……そう? 残念だな、こんなに良い曲ばっかりなのに」
正確には、僕の嫌悪は曲そのものに対してではなかった。
誰のものでもない、機械音声にこんなにも多数の『名無し』が賛同している。
批判意見はほとんど無かった。全員が全員、褒め称えていた。それがどうにも気持ち悪かった。
……だが、そうだ。それと同じ事が、『孤独同盟』にも言えるんじゃないか?
僕は深い失望に苛まれた。その通り、客観的に見れば『孤独同盟』も同じなのだ。
確かにモララー師のことは明らかだ。しかし、彼は象徴でしかない。
実際、明らかなのは顔だけだ。師の素性を、少なくとも僕は、全くと言っていいほど知ってはいない。
なのに賛同している。この動画にコメントしている連中と同じだ。
動画の制作者には一応の名前があるようだ。皆その名を呟き、褒めている。
しかしその名前だって真実ではない。あだ名であり、偽名だ。
『偽名の名無し』を『多数の名無し』が賞賛する構図を俯瞰すれば、おのずとこうなるのだ。
( ^ω^)「……うん、やっぱり気に入らないお……この感じ……」
(´・ω・`)「そう? なら見なきゃいい。嫌なら、見なければ済むよ」
- 37 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
23:09:54.51 ID:H/eHH6e/0
- ( ^ω^)「……本当にそうなのかお?」
(´・ω・`)「え、だってそうじゃないか。誰も君に、見ろなんて強制しないよ。
これは大事なことでもない、逃げ場所なんだ。
逃げ場所の事を気にする必要性なんて、まったくない」
( ^ω^)「その開き直った態度が気に入らないんだお。
そうやって、閉じた世界に入るのは、しょぼんが現実を面倒に思った原因なんじゃないのかお?
それと全く同じ事を、ネットでするなんて、それじゃあ、ただ逃げたのと同じじゃないかお」
(´・ω・`)「……そうだよ、それの何がいけないんだ? 心底分からないよ……。
だって、人間なんだから、居心地のいい場所にいたいじゃないか。
そのための、つまり、適材適所さ。僕や、僕の友達は、この世界が似合っているんだ」
彼は何も間違っていなかった。なのに、僕は何故か、腹を立てていた。
彼の振るまいが、まるで自分勝手であるような気がしたのだ。
……まったく、何が機械音声だ。こんなもの、出来の悪いただの鼻声じゃないか。
( ^ω^)「……やっぱり、何か違うと思うお。僕は嫌いだお」
すると、しょぼんは急に真顔になった。能面のような表情で僕を見つめ、やがて、そこに嘲笑を漂わせた。
(´・ω・`)「あんただって、恋人を捨てたじゃないか」
それは唐突な、しかし、まったく理にかなった指摘だった。僕は黙り込んだ。
……確かにそう、その通り。僕だって好きにやっている。
自分の好き勝手を許容する人間が、他人の好き勝手を許容しないわけにはいかない。
- 38 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
23:12:20.00 ID:H/eHH6e/0
- 僕だってまだ、宗教の力が万人に向かって機能するとは信じていない。
何より、『孤独同盟』の信仰は、誰よりも優先して自分のためにやってきたのだ。
……そう、まったく、その通り。
つまらない音楽も多数の賛美を見ていると名曲に見えてくる。すなわち、それが人間なのだ。
つまらないギャグもみんなが笑っていれば自然と笑えてくる。或いは、笑わないといけないような気がする。
……そうだ、僕が孤独を志したのは、何よりもまず、そのわずらわしさから解放されるためだった。
いかにも子どもっぽいその出発点が、現在の僕を作り上げたのだ。
そしてその子どもっぽさが、僕に好き勝手を与えた。
( ^ω^)「……分かってるんだお、本当は」
極論、今の僕は殺人を犯した人間を非難できないだろう。
家を燃やしたり、泥酔して車を運転したり、産んだ赤ん坊を放置したりした人間を、僕は沈黙の元に許すだろう。
理知的な人間のスタイルは、どうやら自分自身を滅ぼすためにあるらしい。
( ^ω^)「なんだか、色々気づけたような気がするお……。
いや、気づいたというか……思い出したというか、顧みた、というか……」
(´・ω・`)「そう、それなら何よりだ。君の友達でいる甲斐があるってもんだよ」
そう言うしょぼんの口元から、未だ嘲笑が消えている気配はなかった。
- 41 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
23:15:31.52 ID:H/eHH6e/0
- (´・ω・`)「でも、恋人を捨てたこと自体は非難するつもりはないね。
ただ僕は……そう、みんな変わらないってことを言いたかっただけなんだ。
君が彼女と別れたのは、まったく、賢明な判断であると思うよ」
( ^ω^)「そうかお」
(´・ω・`)「ああ、現実の女性は金と面倒ばかりかかって、見返りがいやに少ない……。
その点空想の女の子達はいいよ、金はかからない、年も取らない。面倒も起こさない」
( ^ω^)「生憎……僕は、そういう繋がりから、解放されたくてここに来ているんだお」
(´・ω・`)「そうか、そうだろうね。そういうのは、彼女でもう懲りてしまったか」
( ^ω^)「うん?」
(´・ω・`)「随分苦労させられただろう、彼女にはさ……」
( ^ω^)「そんなことは無いお。彼女は、別に面倒を起こすような子じゃあ……」
(´・ω・`)「そうなの? 色々、噂は聞いてるんだけどなあ」
( ^ω^)「何の?」
(´・ω・`)「彼女の、だよ。もう吹っ切れたなら言うけどね、彼女はそりゃ、酷かったそうだよ。
そのう、つまり、男遊びが……高校時代、結構な男子が自慢していた、つまり、彼女と……」
- 42 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
23:19:30.01 ID:H/eHH6e/0
- (´・ω・`)「……まあいいか。あくまで噂だよ。勿論僕は一切そういうことはしていない。
友達ですら無かったからね。ただ、ちょっと小耳に挟んだだけのことさ」
( ^ω^)「そんなはずはないお。彼女は、少しもそんな風じゃ」
(´・ω・`)「いやあ、人間なんて分からないものだよ」
( ^ω^)「もしかして、わざとボカした言い方をしていないかお?」
(´・ω・`)「……というと?」
( ^ω^)「本当は知ってるんじゃないかお? 彼女が何をして、何をしていないのか……。
全部、全部知ってるんじゃないかお? もしかして、知らないのは僕だけじゃ」
そういう、とめどもない猜疑心が突然に湧き上がった理由は説明し難い。
ただし、一つ言えるとすれば、僕は何かを疑わずにはいられなかったのだ。
確かにデレとはもう関係が無い。ところがどうだ、実際は。結局、『なう』とは何だ。
その時、パソコンのディスプレイに文字が浮かび上がった。
まるで僕の心情に感応するかのように、はっきりと書き連ねられた。
『Dere 結局、いろんな人を裏切ったんだなあ…… 5秒以内前 自宅で』
……そうだ、この浮遊感。これこそが、最も僕をいらだたせる。
まるで僕が知りたがっているかのように現れるくせに、真実は一切語らない。
何かを隠し、抽象的に嘆く文章を人に見せて、一体何が楽しいんだ?
- 47 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
23:22:51.72 ID:H/eHH6e/0
- (´・ω・`)「そうだ、椅子に座るかい? 僕はトイレに行ってくるから。
ちょっとだけ、試してみるといいよ」
結局しょぼんは僕の問いに答えてくれなかった。
席を立ち、緩い肉体を揺らしながら部屋を出て行った。
その瞬間、僕はトソンの存在を思い出した。
いや、正確には、存在を失念していたことを、思い出したのである。
だが、またすぐに忘れてしまった。
僕は椅子に座った。尻の部分が生暖かく、気持ちが悪い。
イヤホンを耳につけると、先ほどの電子音楽がまた、流れてきた。
音楽と共に溢れていく賛美の数々を、僕はじっくりと眺めた。
何故か、最初に覚えたような嫌悪感は無かった。
キーボードを叩き、コメントを入力してみる。当たり障りもなく、「良い曲だ」などと。
「確かに名曲」
「クソッ、目から汗が……」
「今日、十回以上リピートしてる」
( ^ω^)「……んふふ、ふ、ふふっ……」
気がつけば僕は、しょぼんと同じ類の笑いを笑っていた。
- 48 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
23:25:37.48 ID:H/eHH6e/0
- それから僕は、いくつもの動画を巡り続けた。
動画、楽曲は無限にあった。僕はキーボードを叩き、書き込み続けた。
いずれも賛美だった。或いは、批判への反駁、他人に乗じたネタコメントなどだ。
そうしていると、一体感を覚えることが出来た。
今、このディスプレイの向こう側で匿名の人びとと繋がっているのだ。
行ったことがないが、実際のアーティストのライブとは、こんな感じなのだろうか。
熱かった。興奮できた。心地の良い浮遊感だ。そして何より、面白い。
( ^ω^)「これ、面白いお、しょぼん!」
思わずそう叫び、振り返った。そこにしょぼんはいなかった。
彼はどこへ行ってしまったのだろう。出ていってから、もう随分経つはずだった。
もしかしたらもう戻ってこないかもしれない。そんな思いが一瞬かすめた。
そしてその思いは、次第次第に確信へと膨らんでいった。
( ^ω^)「……いやー、おもしろいお、これ」
彼が帰ってこないことに大した感傷も抱かずに、僕の興味はディスプレイとイヤホンの中に舞い戻った。
そしてまた、キーボードをたたき出した。コメントし過ぎて、もう腕が痛いぐらいだ。
時折独り言を呟いた。
誰に聞かせるわけでもないし、また聞かせたいわけでもなかったが、
心の隅で、ほんの少しだけ、聞いて欲しいような気もした。
- 51 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
23:29:22.21 ID:H/eHH6e/0
- ---18---
『それからどうなった』
結果発表!
……と、大々的に宣言できるような材料は何も無いけれど、とりあえず。
それからも僕は長い間、パソコンの前から離れられなかった。
あれは麻薬だ、実によくない。いつの間にか、自分の家にいるような錯覚さえ生まれたのだから。
しばらく経って僕は大きく伸びをし、トイレに行くのと同じ調子で席を立った。そしてそのまま部屋を出た。
……勿論、部屋の外にトイレは無かった。まして、廊下すら存在していなかった。
そこは次の階へと向かう踊り場だった。そして、隅にはぽつんと、トソンが立っていた。
(゚、゚トソン「おかえりなさい」
( ^ω^)「……待っていたのかお?」
(゚、゚トソン「ええ、まあ、そういうことになりますか」
( ^ω^)「こんなに、長い時間……?」
(゚、゚トソン「そんなに長い時間ではありませんでしたよ」
- 54 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
23:32:16.80 ID:H/eHH6e/0
- ( ^ω^)「本当に?」
(゚、゚トソン「いずれ、貴方には差し障りのないことです」
その時、ほんの少しだけ罪悪感が生まれた。
少なくとも数時間は、あの部屋に引きこもっていたはずだからである。
同時に、彼女の存在に、非現実的な都合良さを感じた。
それが誰にとって、また、何のために都合が良いのかは分からなかったが。
以前の時ほどの精神的疲労は無かったので、僕たちはそのまま、上の階へとのぼることにした。
その途中、僕は、自分が『孤独同盟』へ更に愛着を深めていることに気付いた。
何のことは無い、今さっきディスプレイの前でやった礼讃行為は、
いつも『孤独同盟』の集会でやっていることと、ほとんど変わらないのだ。
モララー師は仰っていた
( ・∀・)「見えない、という事実は無限である、ということにとてもよく似ています。
例えば、貴方を取り巻く空気。貴方が生きるために必要な空気は、
目には見えず、しかしほとんど無限に存在しているでしょう。
真に『同盟』とは、つまりそういうことなのです。
それは見える物では無い。まして、手と手を繋ぎ合わせられるものでもない。
ただ、感じましょう。盲のように聾のようになり、ただ思うのです」
やはり師は正しいのだ。
- 57 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
23:35:31.43 ID:H/eHH6e/0
- 唯一の問題点は、やはりデレだった。まったく、しょぼんは余計な疑念を植えつけてくれた!
とはいえ、それが本当であれ嘘であれ、結局のところどうでもいいのだ。
言い過ぎて醜く思えるかもしれないが、何度でも言い募ろう。
僕はもはや、彼女と関係ない。
……だが、どうだろう。
あの時の彼女の呟き……まるで僕の考えに同調したかのように浮き上がったそれを、どう説明すればいい。
考えたくないことだが、まさか、僕は彼女の考えを読みたいと思っているのだろうか?
おかしな話だ。孤独同盟への愛を深める一方で、自分自身への疑念も増えてくる。
まるで、バランスをとるためにおもりを載せすぎた天秤のようだ。
いずれ、その腕は折れてしまうのではないだろうか。
……いや、まだ結論を出すのははやい。
この塔の最終目的が解放ならば、今はまだその最中なのだ。
だからこそ、しょぼんのような、過去の友人が現れたのだろう。
(゚、゚トソン「大丈夫ですか?」
いつの間にか歩みを止めていた僕を案ずるように、トソンがこちらを見上げている。
僕は何も言わず、ただ彼女の頭を撫でた。やや力を入れすぎた風だったが、彼女はされるがままだった。
塔はまだまだ続く。
……。
- 65 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
23:39:41.13 ID:H/eHH6e/0
- ---19---
『私の頭の中の法廷』
上階の扉を開けると、わずかなざわめきが僕を迎え入れた。
そこは法廷だった。ざわめきは傍聴席が生んでいた。満席だが、見知った顔はない。
全員がすでに着席している。被告人、検事、弁護士、そして裁判長らしき人びと。
裁判官の左右には、裁判員までもが勢揃いだ。やはり、どれも知らない顔。
その光景に僕が思い出すことなど流石にない、と言いたいところだが、やっぱりあるのだった。
物心ついたとき、僕の頭に最初に出来上がったイメージが、何故か、法廷だった。
今考えれば、それは法廷というより、評議会に似ていたかもしれない。
僕の中の法廷には複数の審判員がいた。彼らがそれぞれ、その時々に浮かんだ議題に善悪を下すのだ。
議題、と言っても別にたいしたことはない。
例えば晩ご飯のおかずをどの順番に食べようか、とか、
母に叱られてしまいそうな時は、どのような言い訳をすればいいだろうか、など。
様々な意見を様々な審判員がしゃべり立てた。
審判員はそれぞれシルエットのようであり、顔などは詳しく刻み込まれていない。
たぶん、映画か何かのシーンをそのままインプットしていたのだろう。
しかし、結局いつも、出される結論は同じだった。
( ^ω^)「こんな議論しても意味ねーお!」
……まあ、全部自分自身なんだから正しいといえばそうだが、思考停止とも言う。
- 69 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
23:41:50.16 ID:H/eHH6e/0
- さて、僕の役目は何だろう?
どうも、ここには全てが揃っているようだ。僕が入ってくる必要など無い。
そう思って立ち往生していると、老齢の裁判長が僕に向かって言った。
/ ,' 3「証人は、証言台へどうぞ」
( ^ω^)「えっ」
キョロキョロと辺りを見回してみる。どう見ても、該当する人物は僕しかいない。
僕は改めて被告席で項垂れている男を眺めた。やはり見覚えの無い、中年の男だ。
いつの間にか後ろに立っていた係員が、僕をせっついた。
僕は仕方なく法廷のど真ん中、証言台に立った。
(,,゚Д゚)「……えぇ、では、証人にお聞き致します」
左側に座っていた男が書類を片手に立ち上がった。
確か、右側に座っているのが、弁護士であり、左側にいるのが検察官であるはずで、つまりこの男は検事だ。
(,,゚Д゚)「証人は、確かに、この男が殺害を犯すところを見た……よろしいですね?」
( ^ω^)「……」
この男は殺人を犯したのか、僕は後方の被告席を振り返ってそう思った。
男は情けない顔で僕を見つめていた。口元が小刻みに震えており、目尻に涙が溜まっていた。
- 71 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
23:44:14.22 ID:H/eHH6e/0
- ( ^ω^)「ちょっと、いいですかお? 僕は、事件のことなんて、何にも……」
(,,゚Д゚)「当日、証人は……」
僕の言葉を、検事はあっけなく遮ってしまった。
まさか聞こえなかったわけじゃあるまい、彼は意図的にそうしたのだ。
(,,゚Д゚)「……被告人が被害者を殺害している瞬間を目撃してしまった。
ネクタイで首を絞めている場面をです。それには間違いありませんな?」
( ^ω^)「だから、僕は……」
ミ,,;Д;彡「もう、ええやないか。ええ加減にしてくれ!」
突然被告席の男が喚きだした。彼は立ち上がり、涙を飛ばしながらしゃべり立てた。
ミ,,;Д;彡「もう、十分やないか。こんな仕打ち、せんでもええんちゃうんか!?
こないな、こないなとこに、こ、こ、コイツまで呼び出す筋合い、あらへんやないか!」
/ ,'
3「被告人は静粛に、静粛に」
裁判長が極めて落ち着いた声でそう言い、男は係員によって、無理矢理座らされた。
- 74 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
23:48:14.50 ID:H/eHH6e/0
- (,,゚Д゚)「……で、どうなんです、証人」
検事がじれったそうに書類を片手で叩きながら言った。
(,,゚Д゚)「あなたは見たんですか、それとも、見ていないんですか?」
僕は回答に戸惑った。……そう、僕は見ていない。
しかしその見ていないとは、『何も』見ていない、ということなのだ。
果たしてそれは求められている答えなのかどうか。
……だが、結局のところ、僕は正直に答えればいいのだと思う。
いつだってそう教えられてきた。正直者は救われる。素直でいること。嘘を吐いてはいけません。云々。
(;^ω^)「……見てませんお。僕は、何も……」
(,,゚Д゚)「む、それはおかしいですね。貴方は犯行がおこなわれた時間、確かに現場にいたはずです。
なのに、見ていない? そんなことは考えられないと思うのですが」
( ^ω^)「でも、僕は本当に」
(,,゚Д゚)「証人、貴方はもしかしたらこう考えているのではありませんか?」
( ^ω^)「は?」
(,,゚Д゚)「確かに貴方は事件を目撃した。しかし『犯行を止めなかった、それどころか、通報さえしなかった』。
それを悔いている、或いは責められると思っているのではありませんか?」
- 78 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
23:51:10.02 ID:H/eHH6e/0
- (;^ω^)「え、な、何を言ってるんだお?」
僕は慌てて抗ったが、法廷全体が僕のことを冷ややかに眺めていた。
被告人が嗚咽を漏らす、その音ばかりが無闇に響いた。
想像以上に妙な事になってしまっているようだ。
僕は彼の殺人を目撃した証人にとどまらず、どうやら僕自身の罪責をも問われているようなのである。
(,,゚Д゚)「しかし、まあ、ご安心ください。貴方にも確かに『責任』はある。
ですがそれは罪に問われるようなものではないのですよ。少なくとも、法廷の場では」
(;^ω^)「……」
どうやら検事は、僕をなだめにかかっているようだ。
身に覚えの無い慰めは聞いていても救われない。ただただ、不気味なだけだ。
(,,゚Д゚)「そう、だから……もしも貴方が責任を思うのならば、
今、この場で全ての真実を明るみに出すことこそが、被害者への償いにもなるのではないでしょうか」
……背中に目がついていないので分からないが、傍聴席はどうやら、検事の言葉に至極感動しているようだ。
僕はすがりつく思いで検事の反対側、弁護人の方を見た。
('、`*川「……」
だが、そこに座っている中年の女性は、一向に動く気配を見せない。
ただ俯いてじっとしている。書類を確認しているわけでもなく、ただただ人形のように。
- 80 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
23:54:09.07 ID:H/eHH6e/0
- ミ,,;Д;彡「なあ、頼むわ、よう見知った仲やないか」
被告人が小声で話しかけてきた。今度は誰も制止しない。
( ^ω^)「え、僕と貴方が、ですかお?」
ミ,,;Д;彡「そうや、キミのことはよう知っとる。随分熱心な人やないか。
なあ、一生のお願いや、聞いてくれ。今回ばかり、今回ばかりは見逃したってくれや……」
僕は振り返って彼を見た。どこにでもいそうな、みすぼらしい中年の男。
髪の毛は豊富だが痩せこけており、頬骨がみじめに浮き出ている。
――覚えがないと断言できた。第一、学生の身分で中年の男と知り合う機会などほとんどないのだ。
せいぜい、教師や教授などであるが、それにも心当たりがない。
( ^ω^)「……そんなことないお、僕は、貴方を知りませんお……」
ミ,,;Д;彡「いいや、知っとるんや。現に、こっちはよう知っとるんやから」
( ^ω^)「どこかでお会いしましたかお?」
ミ,,;Д;彡「ああ。最後に会うたのは、ええと、そや、この前の集会でや」
僕は息を飲んだ。男はそれを窺い、「やっと思い出してくれたか」と突然に破顔した。
ミ,,゚Д゚彡「そや、そのとおり、『孤独同盟』や。キミもボクも、その一員やないか」
- 83 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/07(金)
23:57:29.63 ID:H/eHH6e/0
- そんなはずはない、と僕は即座に否定した。
『孤独同盟』の集会では、隣り合う者同士でも会話することを禁止されている。
時折それを破って話しているやつを見かけるが、僕はもちろん、そんなことをしたことはない。
それに、皆仮面を被り、体系の分からないような服装を着て参加しているのだ。
この男が僕のことを『孤独同盟』の一員であるなど、知り得るはずが無いのである。
しかし、一方で。
もし仮に知り得ないのならば、僕に『孤独同盟』の名を出せるはずが無かった。
男は確信をもってその名を口にしたのだ。知り得ないはずがないではないか。
( ^ω^)「……」
法廷全体が奇妙に沈黙していた。誰一人、咳払い一つしなかった。
どうやら誰もが、僕か、或いは男の次の行動を待ち構えているらしかった。
ミ,,゚Д゚彡「なあ、キミもボクも、同じもんを信仰する仲間やないか。せやろ?
同じ仲間のことや、助けてくれてもええんとちゃうか?」
( ^ω^)「……貴方は、本当に人を殺したんですかお?」
ミ,,゚Д゚彡「そんなこと、関係あらへんやないか。
大切なんは、キミとボクが、他人同士やないってことや……」
僕は改めて弁護人を眺めた。もう少しで『助けてくれ』と叫びそうになっていた。
だが、僕は気付いてしまった。弁護席に座っているのは人間ではない。
それはマネキンだった。服を着せられ、かつらをかぶせられた、表情のないマネキン。
寒気がした。
- 85 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/08(土)
00:00:12.14 ID:H/eHH6e/0
- ( ^ω^)「……仮に貴方が『孤独同盟』の一員だとしても、それは助ける理由にはなりませんお。
だいたい、『孤独同盟』は信者同士が互いの身分を明かしてはいけないんだお。
それは、教義に反するんだお……」
その時、うっすらとした支配感が僕の中に沸き上がってきた。
そうだ、僕の発言一つで、この男にはどうにでもなるらしい。
証人という立場だから、運命そのものを左右することはできないが、その手助けぐらいはできるだろう。
……この男は教義に背いた。僕が彼を陥れようとすれば、理由はそれだけで十分じゃないだろうか?
( ^ω^)「信者は他人同士なんだお、そうじゃないといけないんだお」
いつの間にか無機的になっていた僕の声を聞いて、
その真意に気づいたのか、男はあっと叫んで飛び上がった。
ミ,,゚Д゚彡「ほ、ほ、ほな、ああアンタは、ボクを殺す気やねんな!?
そうや、絶対にそうなんや、そうに決まっとる。こ、殺すんや、ボク、ここで死ぬんや……!」
男は再び涙目になった。
ミ,,;Д;彡「そうなんや、そうなんや。ボクの人生、ここで終わってしまうんや。
ボクの人生、こ、コイツ、コイツらに殺されるためだけのもんやったんや、そうやったんや」
実際、僕はもうほとんど、そのつもりでいた。
殺す、と言っても僕はただ証言をするだけだ。検事の思うとおりのことを、口にするだけだ。
それに、僕はこの男を知らない。相手は知っているらしいが、そんなこと関係ない。僕にとっては『他人』なのだ。
それは、どこかの戦争で誰かが死ぬのと、大して変りない気苦労だ。
- 87 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/08(土)
00:03:49.93 ID:H/eHH6e/0
- ---20---
『わはははははははは』
( ^ω^)「貴方はさっき、本当に人を殺したかどうかは関係無い、と言いましたお。
でも、僕はそう思わない、むしろそこが、一番大切なところだと思いますお。
だから改めて訊きますお。貴方は、本当に人を殺したんですかお……?」
ミ,,;Д;彡「なんや、本当やったら助けへんのか!?
あ、アンタ、ボクと同じ身分やないか! モララーさん万歳した仲やないか!」
( ^ω^)「何度も言うけど、僕と貴方は他人同士だお。何の関係もないお。
……それに、本当に人を殺したのなら、それは悪いことだお」
ミ,,;Д;彡「なんでや! 関係あらへんやないか! 関係あらへんやないか!
ボクがアンタにとって他人なんやったら、殺されたヤツかって、関係ないんちゃうんか!」
( ^ω^)「……」
道徳が通じない相手だ。僕には、どうやって相手をなだめすかせばいいのか分からない。
……もういい、十分だ。あの台詞からして、男が殺害を犯したのはまず間違いないだろう。
何せ彼は罪を否定しなかったのだ。ただ執拗に、僕を糾弾しただけなのだ。
……だが、彼の罪を僕が証言すれば、それはつまり、僕自身の罪責をも認めることになる。
どうやら……全く覚えは無いが……僕は一人の人間が殺されるのを、黙って見過ごしていたらしい。
- 91 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/08(土)
00:08:12.22 ID:jQMqNLZI0
- (,,゚Д゚)「よろしいですか、証人」
急に、僕と男の周りの時間が動き出した。傍聴席は再びささやかなざわつきを取り戻した。
検事がゆっくりと僕の前を徘徊し、そして訊ねてくる。
(,,゚Д゚)「お答え頂きましょう。被告人が殺害するその瞬間、貴方ははっきりと目撃なさりましたね?」
僕はもう一度男を振り返った。それが、最後通牒のつもりだった。
だが男はもう、何も喋ろうとはしない。ただひたすら恨めしげな目で、こちらを見上げてくるばかりだった。
僕は一呼吸置いて、検事に言った。
( ^ω^)「はい、見ましたお」
僕の告発は、案の定すんなりと受け入れられた。法廷はそれ以上騒がしくなることもなかった。
ミ,,;Д;彡「もう終いや……」
ただ一人、男だけが頭を抱えて被告人席の長椅子の上で転がった。
検事は軽く頷き、裁判長に合図を送ると、自分の席に戻っていく。
勿論、マネキンの弁護士は何も喋らない。相変わらず弁護席で項垂れたままである。
- 94 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/08(土)
00:11:16.11 ID:jQMqNLZI0
- (,,゚Д゚)「……以上です。では、論告にうつりたいと思いますが」
さあ、これで僕の役目は終ったはずだ。今は一刻も早くここから出ていきたかった。
だが、検事が厳かに論告をはじめてしまったので、僕は出ていくことが出来なかった。
……結局僕は、事件の全貌を知ってはいない。
だが、論告で全てが説明されるはずだ。そしてそれは、僕にとって何の関係もない事件であるはずだった。
ミ,,;Д;彡「そんな都合ええように、いくはずないやろ……」
男が呟いた。
ミ,,;Д;彡「アンタはボクを告発した時点で、関係者なんや。もう立派に、関係しとるんや……」
不意に彼は笑い出した。「わはははははははは」と大声で。唾を撒き散らしながら笑いに笑った。
慌てて数人の係官が駆けつけ、男を黙らせようとする。なおも男は笑い続けた。
一人の係官が男の頭を殴った。男は一瞬黙ったが、再び笑い出した。
ミ,,;Д;彡「わはははははは、わはははははははははははは。わは。は。はははははは」
別の係官が男の腹を踏みつけた。また別の係官が男の腕に拳を叩きつけた。
そうして彼は、執拗なまでに痛めつけられた。床には赤いものが点々と飛び散った。
惨劇の中、僕は別のことを考えていた。彼の笑い声に聞き覚えがあったのだ。
しかし、誰なのかは分からなかった。
男の笑いと係官の集団暴行は、それからもしばらく続いた。
- 97 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/08(土)
00:15:55.46 ID:jQMqNLZI0
- 静かになり、係官がその場から退散していくと、男が長椅子にぐったりとうずくまった。
死んでしまったように、ピクリとも動かない。
(,,゚Д゚)「……ええ、それでは、罪状」
検事が言った。
(,,゚Д゚)「被告は、被告の妻であるところの被害者を、ネクタイでもって絞殺。
動機は、被害者に仕事の出来映え及び、体調に関して詰られたからであり、
極めて衝動的な犯行であることには間違いないでしょう。
……そしてその犯行の一部始終は、現在証言台におられる、息子さんの証言により、明らかです!」
ほう、と溜息が漏れる中、僕だけが一人、素っ頓狂な叫び声をあげていた。
(;^ω^)「ちょ、ちょっと待ってくださいお! 僕、息子だなんて……」
/ ,' 3「証人は静粛に」
(;^ω^)「僕、息子じゃないお! それに、こんな男、父親なんかじゃ……」
その時、男がピクリと体を震わせ、うっすらと目を開いた。
僕を見ている。目があった。彼は小さく、途切れ途切れに「わはは」と笑った。
ミ,,゚Д゚彡「せやから、言うたやないか。キミももう、立派な関係者やて……」
- 98 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/08(土)
00:18:30.45 ID:jQMqNLZI0
- 父親、及び母親とはもう何ヶ月もあっていない。
一人、大学に通うために田舎から出てきているのだから当然だ。
(;^ω^)「……」
……しかし、いくらなんでも、痴呆でもあるまいし、父親の顔を忘れるはずがないのだ。
……しかし、僕は血まみれで横たわっているその男を、父親で無いと否認することが出来なかった。
……しかし、確かに男が父親で無いとははっきり言えないが……そう、もし父親なら、一目見た時に気付くはずだ。
……しかし、検事が嘘をつくだろうか? そんな必要がどこにある? そうして誰が得するのだ?
……しかし、僕は『本当の』父親の姿をはっきりと覚えている……覚えている!
……しかし、今すぐに思い出すのは不可能だった。でも、きっと頭の奥深くに仕舞われているだけのことで……。
ミ,,゚Д゚彡「もう、後戻りできへんよ。キミは自分の父親を訴えたんや。
犯罪者や言うて、告発したんや……」
しかも、殺されたのは母親だという。僕は母親の姿も思い出そうとした。
しかし、いくらやっても思い出せなかった。思い出そうとすると、弁護席に座っているマネキンが邪魔をするのだ。
('、`*川「……」
もしかしたら、彼女が僕の。だからマネキンで。……。
- 100 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/08(土)
00:22:44.93 ID:jQMqNLZI0
- ---21---
『逆転×逆転×裁判』
そう考えると全てが虚ろに思え始めた。
今まで見覚えが無かったように思えた法廷の全ての人物が、一気に記憶の裏から噴き出してきた。
裁判長。あれは祖父だ。母方の祖父。その他の祖父母は全員死んでしまっているが、彼だけは健在なのである。
検察官。彼は確か、母の弟、つまり叔父である。たまに実家にやってきていた。真面目な人だった。
そうやって僕は、傍聴人、裁判員、そして父を殴りつけていた係官、
その全ての人物が誰であるかを次第次第に思い出していった。
彼らは全員親戚なのだ。
少なくとも一度は顔を合わせたことがある、遠かったり近かったりする親類縁者なのだ。
……人物の記憶に引き続き、過去が湧いて出てきた。
田舎住まいということもあってか、周囲は親戚の人間ばかりが住んでいた。
村の人間のほとんどが、同じ名字を持っているのだ。無論、僕もその一人だった。
幼稚園の頃だったと思う。僕は両親と共に、一族の集会へ連れて行かれた。
集会、と言っても実質はただの宴会だ。
適当に飲み食いしながら家族同士が挨拶をしたり、親しげに会話を交わす。
随分と持て囃された覚えがある。一族の中で、僕が最年少だったのだ。
当時は人見知りなんて言葉をまるで知らなかったから、
それだけで良い気分になって、様々な家族の間を駆け回っていた気がする。
確かその時、昔地主だったという最も大きな家に、五十人ばかりが集まっていたのではなかったろうか。
- 103 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/08(土)
00:27:16.79 ID:jQMqNLZI0
- それだけなら楽しい思い出だった。わざわざ記憶を封印する羽目にもならなかっただろう。
誰よりもたくさん暴れ、誰よりもはやく眠ってしまった僕は、夜中の十一時頃に目が覚めた。
広間で寝た僕は誰かに運ばれたらしく、他の子ども達と同じ大部屋で寝かされていた。
尿意を覚え、トイレに行くために部屋を出た。
初めて訪れた上、やたら広いのでどこに進めばいいのか分からない。
内股になり、僕は随分迷ったものだ。
泣きそうになった時、明かりを見つけた。僕はとりあえずその方向に進んでいった。
話し声も聞こえてきた。ぶつぶつと呟くような声。どうやら複数いるようだ。
明かりの元は宴会が行われていた広間だった。
障子をうっすら開けて中を覗くと、異様な光景が飛び込んできた。
宴会の会場はすっかり片付けられていた。長机が並び替えられ、奥と左右に置かれている。
中心に父と母が正座している。それを、親戚の大人達が取り囲むようにして座っていた。
奥にはこの家の持ち主である老人が厳しい顔で座っている。それだけで僕は小便を漏らしそうだった。
「……まったく、一族の恥さらし……」
誰かが呟いた。母は泣いていた。父はじっと俯き、肩を震わせていた。
その後も、大人達は次々に父母を罵倒する言葉を並べ立てた。
当時の僕には理解できないものも、いくつかあった。
誰も彼も、先ほど僕を甘やかしてくれていた時とはまるで別人のようだ。
そういえば宴会の時、僕が遊び回っているのを、両親は、どこか悲しげな顔で見つめていたような気もする。
- 106 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/08(土)
00:32:04.37 ID:jQMqNLZI0
- やがて父親か母親がボソボソと喋る。それに対して大勢がまた罵倒する。
延々とそれの繰り返しだった。
今思えば人民裁判のごとき酷さだったが、勿論当時はそんな言葉、思いつかない。
どれぐらい経っただろう。やがて一番奥の老人が、机を叩いて立ち上がり、こう叫んだ。
「こんな議論をしても意味が無い!」
そう言って両親をにらみ据えた。その瞬間、僕と目があったような気がして、僕は慌ててその場を立ち去った。
……そうだ、つまりそういうわけだったのだ。
今思えば、あれは夢だったのかもしれない。実際、僕はその日おねしょをした。
だが、確かな事実が一つある。それから一年ばかり経った後、僕らの家族は引っ越した。
都会へ出て行く金は無かったらしく、それほど遠くない別の田舎へだった。
以来、僕は親戚一同と一度も顔を合わしていない。
せいぜい祖父母のみ。それと何年かに一度だった。
そして、僕の中でその記憶は、『頭の中の法廷』というイメージのみとして残り続けたのだった。
今。その時の顔ぶれが法廷に揃っているというわけだ。
笑える。
- 108 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/08(土)
00:36:19.85 ID:jQMqNLZI0
- / ,' 3「では、判決を下します」
裁判長、いや、祖父が木槌を叩いて言った。
しかし、人民裁判は結局のところ茶番劇だ。
中学生ぐらいの女の子がよくやる、言葉での弾劾によく似ている。
つまり、それは結論ありきの吊し上げなのだ。
誰もが他人では無いこの法廷で、その事実はより際立っていた。
……本当に、真実など関係無いのかもしれなかった。
被告人は僕の父、そして被害者は僕の母。それだけで、何もかも事足りるのかもしれない。
/ ,' 3「被告人への判決は――」
いずれにせよ、幕引きできるのはこの言葉だけだ。
僕は初めて声に出して、その台詞を精一杯に叫んだ。
( ^ω^)「こんな議論、しても意味がねーお!」
気持ちよかった。
- 113 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/08(土)
00:41:47.03 ID:jQMqNLZI0
- ---22---
『そして誰も要らなくなった』
時間が止まり、あらゆる人物のあらゆる動作が滞った。
父が立ち上がり、ノロノロと近づいてきた。思わず目を背けたくなるほどのみすぼらしさ、貧弱さ。
ミ,,゚Д゚彡「親不孝やなんて言うつもり、あらへん。
別にそんな、大層なこと言うつもり、あらへんのや」
そう言って、父は僕に手を突き出した。
何の気なしにその手を握ると、彼の手はまるで紙細工のようにクシャっと押し潰れた。
驚いて彼の顔を見上げると、その顔も、いや、身体全体が紙のようにペラペラになってしまっていた。
……そうだ。『頭の中の法廷』は、いつもこんな感じで終わるのだった。
僕が「意味がねーお!」と叫ぶ。
すると、テレビドラマのセットのように薄っぺらい背景が、前に倒れこむ。
それと同時に、そこにいた全ての人物、オブジェも同じく紙のようになり、背景の下に折り重なる。
無論それは幼い頃の僕のイメージだが、ただそれが、目の前で起きているというだけのことだ。
裁判長の方を向くと、彼はもう倒れ込んできた背景の下敷きになっていた。
奥の背景は斜め四十五度まで傾き、今や真上にある。もうすぐ僕らも押しつぶされるのだった。
ミ,,゚Д゚彡「せやけど、難儀なことやと思うで。独りっちゅうんはな、ほんまに。
全員が全員、他人なんや。それがけっこう、しんどいもんやで」
そういう紙細工の父の上に、ゆっくりと背景がのしかかってきた。
父は潰れた。僕は潰れなかった。僕の肉体は背景を突き破り、張りぼてが取り除かれた、白い部屋の中に在った。
- 115 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/08(土)
00:45:48.00 ID:jQMqNLZI0
- そこには僕と、もう一つ残されているものがあった。
母のマネキンだ。椅子を失い、今それはリノリウムの床にみじめに横たわっている。
( ^ω^)「……」
僕は孤独を目指すにあたり、どうやら家族の存在をすっかりと失念していたようだ。
まるで腫れ物を扱うかのように、僕は僕の心情の一部分に見て見ぬふりを貫いてきた。
家族と他人になる、とは一体どういうことなのだろう?
分からないが、そんなことが有り得るのだろうか。血や、DNAの繋がりは結局、断てないものではないか。
だが、そんな科学的な証左はさておき……。
僕は今、現実に家族との縁を切ってしまっている。
事実、先ほど会った父は僕の中に出来上がったイメージなのだ。実物ではない。
マネキンだって……。
母は実際に死んだのだろうか? 僕のイメージの中だけで死んだのだろうか?
いずれにせよ、僕にとっては同じ事だと思う。
切れたの縁の向こう側など、どうやって気を配ればいいのだろう?
今家族に連絡を取ろうとしても無駄な話だ。ここにはポストも電話も無い。
どうやら、何よりも大事な別れの儀式を僕はおろそかにしてしまっていたらしい。
( ^ω^)「カーチャン……」
僕は目の前で転がっているマネキンに呼びかけた。
それは、見れば見るほど母の姿に似ていた。また、見れば見るほど母とは違うようにも思えた。
- 117 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/08(土)
00:50:43.10 ID:jQMqNLZI0
- そのうちマネキンもじわじわと床の中へ染みこむように消えだした。
別れの瞬間らしかった。僕は家族と別れるというのに、何の言葉も、品物も用意していない。
しかし、こうやって別れの機会を与えられたのは幸運なのではないだろうか。
もし塔でさえ家族に会わなければ、僕は自分でも許せないほどの不孝者になっていただろうから。
母はゆっくりと溶けていった。僕は駆け寄りもせずにただ眺めていた。
空気がひっそりと抜けていくような音がした。
それにしても、加害者が父親で被害者が母親なのはどういうわけだろう?
エディプス・コンプレックスでも関係しているんだろうか?
……いや、そうだ。これは現実じゃない。何度でも思い返さなければ、忘れてしまいそうだ。
現実には二種類ある。正真正銘そこに存在している現実と、自分の目を通し、頭に入ってきた現実だ。
僕にとって塔の内部は、その存在からして後者なのだろう。
だから、本物の現実よりも現実らしいのだ。そのせいで、すぐに混同してしまう。
目の前で消えていく母は、本物の母ではない。
ここには、自分しかいない。分かりきっていたことじゃないか。
消えゆく母を見ながら、僕は父を思い出した。
最初から父だと分かっていれば、僕はきっと、彼を助けようとしていただろう。
結局のところ、人を殺すにも生かすにも、そいつが他人であるかなんて関係無い。
重要なのは、『自分の中でその人物がどの程度のウェイトを占めているか?』なのだ。
母は消えた。白い部屋だけが残っている。
僕は家族との縁を、自分の中で(勝手に)切った。
- 119 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/08(土)
00:57:54.94 ID:jQMqNLZI0
- ---23---
『パスボール』
次の階には何も無く、僕はいつの間にか合流していたトソンと、休憩を取ることにした。
(゚、゚トソン「……」
トソンは何も喋らない。当然かもしれなかった。
考えてみれば今日、彼女といた時間は僅かでしかない。
かといって、僕の方にも大した話題はなかった。
流れる沈黙に耐えきれず、僕はノートを取り出し、昨日の続きを書き始めた。
……しかし、あまり書いている時間は無いのかもしれない。
その考えに至ったのは、ここまでの経過を考えてのことだった。
僕はどうやら、過去に向かって時間遡行をしているらしい。
最初に繁華街があった。あそこで僕は、もっとも直近の記憶。二年ばかり前のデレとの事を思い出した。
次はしょぼん。彼は小学校からの友人だ。彼との再会により、僕はかつての事に様々触れた。
そして先ほどの法廷。僕は幼稚園時代に遡っていた。家族に触れ、そして離れた。
もう、ほとんど何も残っていない気がする。
( ^ω^)「……」
焦ると良くない。文章が単調になり、適当な展開を平気で書くようになる。
- 122 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/08(土)
01:03:15.71 ID:jQMqNLZI0
- ( ^ω^)「トソン、ちょっと提案があるお」
僕はいささか離れた場所に座っている彼女に声をかけた。
(゚、゚トソン「何でしょう?」
( ^ω^)「明日は一日、進まないようにしないかお?」
(゚、゚トソン「……どうして?」
( ^ω^)「小説、書く時間があまりとれないな、と思って……」
(゚、゚トソン「別に、完成などさせなくてもよいのですよ。
元々、私が無理なお願いをして書いていただいてるのですから」
( ^ω^)「いや、でも……やっぱり、僕としても完成させたいし」
(゚、゚トソン「貴方には、もっと重要な目的があるはずです」
( ^ω^)「……」
(゚、゚トソン「何か、焦っておられませんか?
それを覆い隠すために、逆の提案をしているようにも見えます。」
その通り、僕は焦っていた。
- 125 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/08(土)
01:07:40.75 ID:jQMqNLZI0
- ( ^ω^)「……それよりも、トソンはいいのかお? 先を、急がなくても……」
(゚、゚トソン「私は構いませんよ。貴方についていくと言ったのですから。
しかし、それは話題そらしではありませんか?
ここは貴方の場所なのだから、貴方は自分自身の意向で判断すべきです」
( ^ω^)「いや、でも、君にだって目的はあるはずだお?」
(゚、゚トソン「それにしたって、貴方には関係の無いことです」
僕は、段々と空気が寒々しくなっているのを肌で感じていた。
しかし、引き下がれなかった。何故か引き下がれないのだ。僕は更に言い募った。
( ^ω^)「関係なくはないお。ここが僕の場所だと言うなら、尚更……」
(゚、゚トソン「確かにここは貴方の場所です。もしも私の目的が貴方の権利を侵害するようならば、
関係無いと主張するには無理がありましょう。しかし、実際まだ、そうではないのです。
その時点で、私のことを盾に、進むのを拒むのは卑怯といっても過言では」
(;^ω^)「別に僕は、拒んでいるわけじゃ……」
(゚、゚トソン「では、なんなのです? 今の貴方には、正当な理由を見いだせない」
(;^ω^)「……」
- 127 : ◆FeIP505OJ. :2010/05/08(土)
01:11:37.22 ID:jQMqNLZI0
- そうなのだ。僕が塔を上るのを拒んでどうする?
確かにここまでは苦行が続いていた。しかし宗教的な高みに達するには必要なことではないか?
茨の道を進むよりマシだろう、十字架に磔にされるよりマシだろう。少なくとも、死にはしないのだから。
それとも、僕には高みに達するよりも他に、優先すべき目的があるのだろうか?
そしてそれは、トソンのために小説を書くということなのだろうか?
(゚、゚トソン「……申し訳ありません。貴方を罵倒する権利など、私には無いのですが」
( ^ω^)「いや、別に……」
(゚、゚トソン「私は貴方を信頼しています。だから一緒にここまで来たのです。
しかし、信頼なんて、裏を返せば悪意のない脅迫なのですよ。
『これぐらいなら怒らないだろう、これぐらいなら許してくれるだろう』
……そうやって、貴方の善意を試す堕天使のような罪状に過ぎないのです」
( ^ω^)「何もそんなに悲観的に考える必要は無いお。
僕はただ、君のために小説を書きたいからそう言っただけで……」
(゚、゚トソン「……それが本当だとして、私にはどうすればいいのか分かりません」
彼女は三角座りの膝の間に頭をうずめるようにして俯いた。
……僕にだって、どうすればいいのか分からない。
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