第二話12 :第2話 ◆azwd/t2EpE :2006/08/03(木) 21:20:48.03 ID:UOc87glX0【Second Color : Purple】 吹き荒ぶ夕風は、混乱と不透明を取り込んで、色を変え始めていた。 「ちょ……ちょっと待って……」 か細い声を絞り出し、椎野に向ける。 しかし、届いたかどうか分からない。風に、遮られたかも知れない。 「俺を……好き……?」 「うん」 声は、届いていた。 しかし、椎野の気持ちはこちらに伝わらない。考えが、分からない。 「……何で……?」 当然の疑問だろう、と思った。 今まで一度も話したことがない。外見だけで好かれるような人間でも、無論ない。 好きになられるはずがなかった。 「何でって……だって、好きだもん……」 「好かれるようなことは一度もしてない……」 「私だってそうだよ! じゃあ何で毒尾くんは私のこと好きになったの?」 何で? そう問われても、答えようがなかった。 椎野のことが、好きではないからだ。 13 :第2話 ◆azwd/t2EpE :2006/08/03(木) 21:21:40.60 ID:UOc87glX0 「……可愛くて……明るくて……なんか、惹かれた……」 咄嗟に出た言葉は、それだけだった。 嘘ではないが、あながち真実とも言いがたい。 椎野の頬が、夕陽を反射させていた。 「ありがとう……」 今度は、椎野の声が聞き取りづらくなっていた。 「私は……電車の中で見てて……」 聞き取りづらかった声が、次第にはっきりしてきた。 椎野は節目がちにしていて、表情をしっかり確認することはできない。 「いつも一人で……クールで……孤高な感じが、カッコイイなって……」 耳を疑った。 友達も居らず、陰気な雰囲気を出していただけの俺を、そう捉えるのか。 信じられなかった。 「一回、隣に座ったことあったよね……? あれ、わざとだったの……近づいてみたくて……」 どう反応していいのか、分からなくなってきた。 こんなに暗くて、こんなに地味で、こんなに人に嫌われる俺が、好かれている。 想定し得なかった。有り得なかった。 14 :第2話 ◆azwd/t2EpE :2006/08/03(木) 21:22:47.20 ID:UOc87glX0 「あのとき、もたれかかっちゃってゴメンね……居心地が良かったから、ついうとうとしちゃって……」 「いや……別に、気にしないで……」 「ゴメンね、って言っても、毒尾くん、無反応だったから……怒ってるのかなって思って、怖かったの……」 「そうじゃなくて……あのときは、いきなりゴメンって言われたから、反応できなくて……」 「そっか……良かったぁ」 椎野と再び眼が合った。 大きな瞳の中に、明媚な輝き。恐らく、今まで多くの男を蠱惑してきたのだろう。 俺自身、夕陽を背にしているのに、きっと顔は赤くなっている。 「嬉しいな……私、毒尾くんの彼女になれるんだ……」 ―――――そうだ。 頭から抜けていた。俺が告白して、相手も好きだと言った。 つまり、二人は付き合うことになる。 どうすればいい。どうするのが正解だ? 今から断るか? いや、それは不自然だ。常識的に考えて有り得ない。 しかし、椎野のことを、好きだと思ったことはない。 その状態で付き合うことを、是とはしたくなかった。 だが、椎野が好きだと言ってくれている。 もし、椎野から告白されていたら、俺は間違いなく付き合うことを選択しただろう。 そう考えれば、このまま付き合ってしまうのが当然と言える。 いや、待て。そういえば、椎野には彼氏らしき男がいた。 毎日一緒に帰っている間柄だし、見ている限り、友人とは思えなかった。 あの男は何だ。 15 :第2話 ◆azwd/t2EpE :2006/08/03(木) 21:24:45.81 ID:UOc87glX0 「あのさ……椎野さん……」 「ちょっと待って、椎野さんはやめて」 「え?」 「恋人らしくない。違う呼び方にしてほしいな」 「それは……いや、その前に、聞きたいことがあって……」 「聞きたいこと……? 私の呼び方より大事?」 「うん……」 椎野の表情が真剣味を増した。聞き入る表情になっていた。 「毎日一緒に帰ってる男子は……あの人は、何なの……?」 「ただの友達だよ?」 平然と言い放った。 嘘があるようには思えなかった。 「毎日一緒なのに……と、友達?」 「変かなぁ……? 同じクラスで、帰る方向が一緒で……毎日同じ電車になっちゃうのが当然だと思うけど……」 「……友達……?」 「うん」 普通に考えれば、そうだ。友達に決まっている。 しかし、蟠りはあった。自分の中で、二人が付き合っていると決め付けていたせいもあるが、納得できなかった。 だが、反論する言葉もない。 「……毒尾くん、何で残念そうなの……?」 俯きながら考えていた俺の顔を、覗きこんでくる椎名。 疑問と不安を抱えているのが分かった。 16 :第2話 ◆azwd/t2EpE :2006/08/03(木) 21:26:47.99 ID:UOc87glX0 「べ、別に残念とかじゃなくて……ちょっと意外だっただけ……」 「意外……? 私とあの人が、付き合ってるって思ってた、ってこと?」 「……まぁ……」 「だったら、何で『良かったら付き合って欲しい』って言ったの?」 椎野の語気が強まってきた。焦りで口が上手く動かない。 「……ダメ元だった……とにかく、言ってみたかったんだ……」 嘘が、綻び始めていた。 この場を乗り切れるのか、分からなくなってきた。 「……そっか……うん、分かった……」 「なんか、ゴメン……」 「謝るところじゃないよ……私もちょっと不思議に思ったから、聞いてみただけ……気にしないでね」 一瞬の静寂が流れた。 再び、考える。本当に、このまま事を進めてしまっていいのか。 全てを、明かす。そうしてしまったほうが、良いのではないか。 恋人が欲しい、とは思わなかった。楽しいこともあれば、辛いことも多分ある。 面倒事も、起きるだろう。考えたくもなかった。 全てを明かせば、嫌われる。恐らく、椎野は周りにも言いふらし、俺の評価は地に落ちるだろう。 それは無論避けたいが、しかし、このまま付き合うことになるのも、怖かった。 17 :第2話 ◆azwd/t2EpE :2006/08/03(木) 21:28:12.33 ID:UOc87glX0 椎野は、笑顔になっていた。 隣に立たれて、腕が触れ合う。椎野の甘い香りが、鼻に入り込んでくる。 やはり、高揚してしまっていた。 「……じゃあ、何て呼べば……」 「しぃ。私、みんなにしぃって呼ばれてるから、しぃって呼んで」 「……しぃ……」 「うん。じゃあ私はドっくんって呼ぶね」 「ド、ドっくん?」 「ダメかなぁ……下の名前、修哉だよね? シュウくんにする?」 「……いや……ドっくんでいい……」 ドっくんは小学生のときに呼ばれていたあだ名だ。呼ばれ慣れているほうがいい、と思った。 「じゃあ決まり! これで、ちょっと恋人っぽくなれたかな……?」 「……かな……」 もう、逃れようがなかった。 今更、嘘だと言える雰囲気ではない。どうしようもなくなってしまった。 付き合うことに、なってしまった。 「ねぇドっくん」 「え?」 「明日さ、遠足だよね」 そうだっけ、と言いかけた。 今日、死ぬつもりだった。明日のことなど、考えていたはずがない。 18 :第2話 ◆azwd/t2EpE :2006/08/03(木) 21:29:01.44 ID:UOc87glX0 「一緒に……回ってくれる?」 穏やかになった夕風が二人の隙間を縫うように通り過ぎる。 夕陽も、いつしか色を落とし始めていた。 「え……友達と回るんじゃないの……?」 「彼氏と一緒に回るって言うよ。ドっくんは?」 「……別に、誰かと回る予定があったわけじゃないけど……」 死ぬ翌日の予定など、組まれているほうがおかしかった。 しかし、嘘をつけば良かったかも知れない、と今は思える。友達と約束してしまった、と。 だが、椎野が"友達との予定を破ってまで俺と回る"と言っている以上、その嘘も効果的とは思えない。 結局、道は一つだった。 「うん……じゃあ、一緒に……」 「良かった! 嬉しい!」 改めて考える。何故だ? 何故、こんなに好かれているんだ? 分からない。 今後、それが分かる日は来るのだろうか。 「じゃあ、また明日!」 電車に乗って、一つ前の駅で降りる椎野。 笑顔を振りまいて、去り行く電車を見送っていた。 19 :第2話 ◆azwd/t2EpE :2006/08/03(木) 21:29:45.01 ID:UOc87glX0 (……疲れた……) 率直な感想だった。 屋上で番号とアドレスを交換したあとは帰途に着いて、それからは雑談だった。 椎野由依、O型、4月22日生まれの17歳。 好きな食べ物はリンゴと蕎麦。嫌いなものはキノコ類。 会話のほとんどは彼女の自己紹介であり、俺のことはあまり聞いてこなかった。 隣の席から、椎野の残り香を感じることができた。 「ただいま」 ドアを開けると、家の中から光が漏れた。 NHKのアナウンサーの、静かにニュースを読み上げる声が聞こえる。 リビングへと歩を進め、あまり音を立てないようにしながら扉を開けた。 父親が既に帰っていた。 「今日は早いね」 「休みだ」 「あ、そっか。そういやそうだっけ」 不機嫌そうな顔でテレビを見ている。 眼鏡の奥の瞳は、光の反射で、確認することができなかった。 「疲れてるわね。どうかしたの?」 夕飯の支度を始めている母親が、顔だけをこちらに向けながら聞いてきた。 小さな鍋からは湯気が上がっていて、肉の茹だる匂いを辺りに漂わせている。 20 :第2話 ◆azwd/t2EpE :2006/08/03(木) 21:30:28.90 ID:UOc87glX0 「別に、何にもないよ」 「そう」 すぐにまた顔を背け、料理に集中しはじめた。 父親の瞳は確かめられないが、こちらに向いてはいないだろう。 弁当を流し台に置いて、リビングを出て、階段を昇って、自分の部屋に向かった。 死ぬ前に、自分の部屋くらいキレイにしておくか、と思って、昨日は部屋を片付けた。 雑然として狭小感があった昨日までに比べると、かなりさっぱりしていて、寂寞感すら漂う。 ベッドに倒れこんで、天井を見上げた。シミ一つない、純白の空。 窓から見える本物の空は、漆黒に染まっている。星の姿は確認できなかった。 (……付き合う……彼女……恋人……) 実感が沸かない。本当に、俺に、彼女ができたのか。 望んでいなかった展開。素直に喜べないのは、当然だった。 嫉妬が発展した憎悪も抱いていた。しかし、嫌いだと心の底から思ったわけではない。 最初に見たときは、可愛いと思った。今も、そう思う。 本人の性格は分からないが、明るくて、接しやすくて、誰からも好かれそうだ、と感じた。 多分俺も、あの性格を嫌いになることはないだろう。 (……いや、分かんないな、まだ……深く知れば、嫌になる部分もあるだろうし……) 結論付けるには早すぎる。まずは、相手のことを知らなければならない。 しかし、知ることが億劫だ、と思えた。一緒に居て、会話をするのが、面倒に感じられた。 21 :第2話 ◆azwd/t2EpE :2006/08/03(木) 21:31:21.59 ID:UOc87glX0 登校も下校も、いつも一人だ。誰かと一緒に帰りたいと思ったことはない。 静穏は常に孤独と共にあり、ある意味では、満ち足りていると言えた。少なくとも、俺はそうだった。 それが、消える。 耐えられるのか。上手くいくのか。不安はあった。 (……ん……) 携帯が震えている。 五回振動して、止まった。メールだった。 (……顔文字いっぱい使ってあるな……あんまり好きなスタイルじゃない……) 内容は他愛も無いものだった。これからよろしくね、とか、明日楽しみ、とか、今日既に話したような文面。 気だるさを感じながらも、返信する。それに対する返信は、すぐだった。 (早いな……女の子って、こんなもんか……?) その後夕飯を食べるために下に降りて、食べ終わってからメールを返信した。 そのメールに対する返信も、すぐに来た。 (……ホントに早いな……) 結局、メールは夜中まで続いた。 最終的には眠くなって、俺が返信するのをやめた。 申し訳なく思う気持ちは、全くといっていいほどなかった。 23 :第2話 ◆azwd/t2EpE :2006/08/03(木) 21:32:20.79 ID:UOc87glX0 翌朝。 遠足ということで、いつもより早めに家を出た。 電車に乗って、一駅進むと、ホームには椎野が居た。 「おはよう!」 「おはよう……」 隣の座席に腰掛ける椎野。 こちらの顔を覗きこむように、笑いかけてきた。 「毎朝会ってたのに、今日はなんか特別な感じ」 「そう……?」 「だって……好きな人が、隣に居るもん……」 今度は、夕陽の照らしではなかった。朝日を浴びているのに、頬は紅潮している。 体が火照っているのは、夏だからだろうか。 「……うん……俺も……」 「だよね! 好きな人の傍に居るだけで、こんなに違うなんて、知らなかったなぁ……」 嘘をつくしかなかった。 もう、真実は言えない。このまま、貫き通すしかなかった。 「ねぇ、ドっくん……」 「ん?」 「あのさ……昨日、メール……」 不安げな表情を、床に向けながら喋る椎野。 左手に携帯を握り締めていた。 25 :第2話 ◆azwd/t2EpE :2006/08/03(木) 21:33:15.82 ID:UOc87glX0 「あ……ゴメン、寝ちゃったから……」 「あ、そっか……それならいいの! 何か変なこと言っちゃったかな、と思って、不安で……」 「そういうんじゃないよ……不安にさせてゴメン……」 「こっちこそゴメンね……下らないこと考えちゃって……」 それから一駅分、無言が続いた。 車体を左右に揺らして電車が進む。 朝の静けさを、かすかに打ち消しながら。 「その……私、付き合うのって初めてで……どういう風に接したらいいか、まだよく分かんなくて……」 「え?」 驚きで、窓に頭をぶつけそうになった。 男と付き合うのが、初めて? 「付き合ったことないの? 今まで、一度も?」 「うん……恥ずかしながら……私、そういうのに何か、縁ないみたいで……」 「ホ、ホントに?」 「ホ、ホントだよ! な、なんでそんなに疑うの?」 信じがたかった。明らかに一般レベルよりは上の女が、高校二年生にもなって、付き合ったことがないなど。 少し可愛い女はすぐに彼氏を作っているものだと思っていた。偏見だったのだろうか。 28 : ◆azwd/t2EpE :2006/08/03(木) 21:34:44.63 ID:UOc87glX0 「いや……ちょっと意外だっただけ……」 「意外……かなぁ……?」 「うん……」 「……喜んでいいのかどうか分かんないけど……でも、ありがとう……」 はにかんで、こちらを見た。 前髪を整えて、後ろ髪を触った。女の子らしい仕草だ、と思った。 窓から射す光が、椎野の白き肌を際立たせている。 短いスカートから突き出た両足は、細く、長かった。 紺色のソックスが見事にコントラストを描き出している。 「……じろじろ見てるー」 「え?」 足に視線を集中させていたことに、気付かれた。 笑いながら、額を人差し指で突いてくる。 「ご、ごめん」 「可愛いなぁ、もう」 「え……」 「ふふ。あ、着いた着いた」 車掌が駅名を読み上げる。学生の多くが席を立った。 椎野と二人、並んで降りる。 周りからは、訝しげな視線が多い、と感じた。 29 :第2話 ◆azwd/t2EpE :2006/08/03(木) 21:35:54.69 ID:UOc87glX0 「今日は一日、楽しもうね♪」 「う、うん」 学校までは歩いて10分。 改札を出たあと、椎野に、左手を握られた。 7月に入る直前で、太陽の照りも強い日。 しかし、椎野の手の温かみを、不愉快だとは思わなかった。 そしてやはりこの時も、内藤の視線には気付けないでいた。 興味本位の、野次馬的な視線とは決して思えない、鋭い視線に。 第2話 終わり ~to be continued ジャンル別一覧
人気のクチコミテーマ
|