前編三232 名前:前編 ◆azwd/t2EpE [] 投稿日:2006/11/19(日) 00:28:38.95 ID:zWgRdSp40あれだけのことをして、それでもまだ崖から垂れ下がっているロープを掴みたがっている。 もう落ちてるんだよって何度言い聞かせても、それでもまだ空を見続けている。 まだ飛べている、と思い込んでいる。 夜2時。 ここ最近、ずっと満足に眠れていないのに、夢からの誘いはまだない。 以前なら、こんな夜は必ずギコ君に電話していた。 満月が見たいのに、新月がどこか鬱蒼とした光を放つような夜。 迷惑に決まっている。いつもそういった躊躇いは、あるにはあった。 けれど、いつも眠気を全く感じさせずに電話に出てくれる。その、優しさ。 なくなって初めて気づくものが、多すぎた。 しかしやはり、このままではフィギュアに専念など、到底できそうにない。 そういった結論は、もう既に出したはずなのに。心の中に、甘さがあった。 大丈夫だ、という漠然とした安心。 ギコ君はまだ、自分のことが好きなのだから。どこかで、そう考えていた。 このバカバカしさには、もはや何の感情も湧いてこない。 それでもまだ、愚直さで前に進むしかない。 形振りには構っていられない。とにかくひたすら謝って、そして、また一度でいいから会ってもらう。 空いている日があるなら、その日は練習を休んででもしっかり話したい。 また付き合ってもらうなど烏滸がましいことは、今は考えられないが、それでも将来から流れてくる希望を見つけ出せればいい。 (*゚ -゚)(絶対、寝てるだろうけど……) 携帯を握った。 234 名前:前編 ◆azwd/t2EpE [] 投稿日:2006/11/19(日) 00:31:10.05 ID:zWgRdSp40 月明かりでも、充分過ぎるほど明るい夜。 新月の夜なのに、何故かそう感じた。 電話をかける。 今までなら、絶対に出てくれた。今なら、絶対に出てくれないだろう。 迷惑さも重々承知だった。ただの足掻き。 ひたすら申し訳なく思う限りだが、まだ、ギコ君が少しでも自分のことを想っていてくれたら。 あれだけのことをして、それでもまだ少しの好意を失わないでくれたら。 ひどく自分勝手な希望でも、今はしがみつくしかない。 小さく耳に響くコール音。十四、十五。 出て、くれない。 当然のことなのに、少し昂ぶっていたせいか、落胆する。 もしかしたらを、捨てられなかった。 携帯を耳から離して、またベッドに潜りこもうと思った、瞬間。 はっきりと、伝わる声。 (*゚ー゚)「ギコ君!?」 ( ,,゚Д゚)「こんばんは」 涙が、零れそうだった。 優しい声。眠れないときの、聞き慣れた声。 やはり、これだ。これがあってこその、自分だ。 (*゚ー゚)「ギコ君! あのね」 ( ,,゚Д゚)「眠れないの?」 238 名前:前編 ◆azwd/t2EpE [] 投稿日:2006/11/19(日) 00:34:02.15 ID:zWgRdSp40 明らかに、無理やり遮った声。 それ以上、言わせまいとするギコ君の気持ちが、伝わってきてしまう。 それでも、言わなければならないのに。何故か、喉が焼けたように痛い。 ( ,,゚Д゚)「お話、してあげよっか」 子供を、あやすような口調。 優しさの中の、暗さ。否が応にも、それを感じてしまっている。 ( ,,゚Д゚)「ある国に、一人の男と一人の女がいました」 一体、何の話なのだろう。 これ以上、一言も聞きたくない。しかしやはり、口は一文字から変わりそうにない。 ( ,,゚Д゚)「女はその国の王女、一方男は国の軍兵。 密かに愛し合っていた二人ですが、その関係を他人に口外したことはなく、二人は満足な付き合いをできずにいました」 今在るのは、ただ恐れのみだった。 ( ,,゚Д゚)「身分の低い男は、とても王女と結婚などとは考えられませんでした。 けれど王女は、身分など全て捨ててしまってもいい、あなたと一緒ならとの覚悟で結婚を決意しました。 しかし、それをどこからか嗅ぎ付けた王は、次の戦でその男を劣勢極まる最前線へと出兵させました」 二人に、重ね合わせているのか。 しかし、どこか違う気もする。合わない箇所も少なからずある。 242 名前:前編 ◆azwd/t2EpE [] 投稿日:2006/11/19(日) 00:36:48.40 ID:zWgRdSp40 ( ,,゚Д゚)「男は、迷っていました。彼女の気持ちは、凄く嬉しく思う。 けれど、自分は身分も低く、全てを捨てる彼女を養っていけるのか、自信がありませんでした。 いずれ、行き倒れてしまうのではないかと。そんな自分に、彼女を娶る資格はあるのかと。 理想と現実の狭間で彷徨する男は、最前線で自分の率いる軍が散々に打ち破られ、責任を取らされて軍を去ります」 (;゚ -゚)「…………」 ( ,,゚Д゚)「けれど、男はそれで良かったと安心しました。 他人による明確な、彼女から、言わば逃げる理由が生じたからです。 それが彼女のためだと自分を納得させて、誰にも分からぬように国を出ました」 この話が、何の意味を持つのか。 分からないふりを、しているだけだった。 ( ,,゚Д゚)「俺には、椎名さんを抱えて歩ける自信なんてなかった。 これだけの距離もあって、駄目だな、って。きっと役に立たないなって。 椎名さんの彼氏でいる資格、ないよ」 (;゚ -゚)「違う! 役に立つとか、そんな道具みたいな考え方しないで! 私は、ギコ君と一緒に居られる時間は打算とか全部忘れられる! 私の全部、捧げたい……」 相変わらず、口だけもいいところだ。 しかし、今はそれでもいい。何とか、繋げたい。 245 名前:前編 ◆azwd/t2EpE [] 投稿日:2006/11/19(日) 00:39:38.08 ID:zWgRdSp40 ( ,,゚Д゚)「俺なんか、そこまでしてもらう資格ないんだってば。 今まで俺が椎名さんに何をしてあげれたの? そんな俺に、まだ彼女でいてもらうなんて、烏滸がましいも」 (;゚ -゚)「なんで自分をそんなに下げるの!? 何もしてないのは私のほうだよ!? いっぱい相談に乗ってもらったし、お金が苦しいときは助けてもらった! 今だって、こうやって、私が眠れないってだけで付き合ってくれてる……。 ねぇ、私は何したの!?」 ( ,,゚Д゚)「俺が椎名さんを一方的に好きになって……。 スケートリンクとかの恩を感じてたから椎名さんは付き合ってくれた。 だから、もう」 (;゚ -゚)「違う! 恩を感じたとかじゃない! 私は、私は――――」 窮した。 あの笑顔に、魅せられた。分かっているのに、声が出ない。 都合よく焼きつく喉が、何故か好調だった。 ( ,,゚Д゚)「……なんか、ゴメン。眠ってほしかったのに、眠れないようなこと言っちゃって……」 (;゚ -゚)「そんな……こと……」 ( ,,゚Д゚)「また付き合ったところで、多分、意味ないよ……。 だから、お願いだからフィギュアに専念してほしい……。 俺はこれからも、椎名さんの一ファンであり続けるから。 ずっと、応援してるから。ファンの期待は、裏切らないでね。 じゃあ、おやすみ」 ほとんど、一方的だった。 250 名前:前編 ◆azwd/t2EpE [] 投稿日:2006/11/19(日) 00:42:35.29 ID:zWgRdSp40 ほとんど、一方的だった。 (;゚ -゚)「待って……最後に、ひとつだけ……」 ( ,,゚Д゚)「……何?」 (*゚ -゚)「……私のこと……まだ……少し…… ほんとに、少し……好きな気持ち、ある……?」 訊いてしまった。 最悪の、質問をしてしまった。 ( ,,゚Д゚)「少しの好きなんて、ないよ……」 今日は、新月の夜。 月明かりは、ない。 ( - )「ありがと……おやすみ……」 ( ,,゚Д゚)「苦しいほどの……抑えがたい愛情だけ……」 (*゚ -゚)「……え?」 ( ,,゚Д゚)「おやすみ」 言い終わったかどうか、分からないほどすぐ切られた。 好きで、いてくれていた。 それは、僅かな希望と、多大な絶望を与えられるものだった。 259 名前:前編 ◆azwd/t2EpE [] 投稿日:2006/11/19(日) 00:45:32.89 ID:zWgRdSp40 愛情があって尚、復縁のつもりはない。それはつまり、どうしようもないということ。 山頂に登って、更に上を目指せと言われているようなものだった。 本当に、この世に月などというようなものが存在するのか。 ぼんやり考えていたら、いつの間にかそれを忘れるような太陽が昇っていた。 太陽は、一定の姿しか見せないのに。何故、月は日によって違う表情を空に浮かべるのか。 常に満月であれば、何も考えずに済んだのに。 ('、`;川「会えないのが辛くて、別れたんじゃなかったの?」 皮肉なことに、日曜の練習は恐ろしいほどに捗々しく進んだ。 何も、考えていなかった。スケート中に、雑念が消えることなどほとんど無かったのに。 そのせい、そのおかげで、充分過ぎるほどの練習内容となった。 (*゚ -゚)「自分の小ささ……ひっくるめれば、そういうことだと思う……」 ('、`;川「一人でなんでも抱えちゃうタイプなのね、彼氏君は」 また有里が相談に乗ってくれるのは嬉しいことだったが、しかし、それも今後意味はあるのか。 ギコ君の背すら、もう、見えないのに。 ('、`*川「諦念を持つのは、悪いことじゃないわ。 世の中に停滞するものなんかない。時計の針は常に動いてゆく。 アンタも、いつまでも同じことをしていられる立場じゃないんだから」 分かっている。分かっているのに、諦めきれない。 初めて、好きになって、人生初の、恋人だった。 全て自分のせいだというのも勿論分かっている。それなのに諦観できない、というのが自分勝手甚だしいのも、全て。 262 名前:前編 ◆azwd/t2EpE [] 投稿日:2006/11/19(日) 00:49:57.32 ID:zWgRdSp40 けれどもう、これ以上の足掻きは、ギコ君を苦しめるだけだ。 同じ道を、歩んできた。けれど、絶えず二人は同じ歩幅では歩いてこなかった。 ギコ君は、ずっと足跡を追い続けて、そして、辿るのを諦めた。 追いかけても見えもしない背中。自分なら、追いかけようとしたかも分からない。 世界選手権の直前直後には、多くの取材を受ける。それを全てこなせば、シーズンオフ。 恐らく、ギコ君に借りたお金も一括で返せる。 それが、ギコ君との完全なる決別だった。 まだ、返したいものはある。けれどそれを為そうとは、ギコ君がさせないだろう。 もがくことが、ギコ君の心を苦しめるなら、もう何もできなかった。 叫んでも、叫んでも、もう二度と、振り返りはしないだろう。 そして恐らく、自分もこれからはこの道を、この景色を振り返ることは少なくなる。 けれど、足跡は傷跡のように残っている。心に、刻み付けた足跡。 ちょうど、スケートリンクで舞うように。 それからは、もう、フィギュアのことしか頭になかった。 前編 終了 ~後編へ続く~ ジャンル別一覧
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